第21話 私が主なのだから!

 長男アイオロスが神々への反抗の意思を示し、その告発を行ったのがヴァンゲリスだった――。

 

「やめてちょうだい、謂れもない言いがかりよ!」

 

 イリアディスの激昂はこれまで見たことのない種類だ。

 きっとまなじりをつり上げ、いますぐにでもリベルトを止めようと立ち上がったが、彼女とリベルトでは力の差は歴然だ。敵うはずもなく、またパパリズがイリアディスを止めたことから話は続く。

 ヴァンゲリスは皮肉げに笑い、リベルトを見上げる。


「なにか嗅ぎ回ってるとは思ってたけど、やっぱり調べたんだね」

「私の女神の後見先なのだから当然調べるさ。ただ、私の任命は急だったせいですべてを知るのは遅れてしまったけどね」

「リベルト、なにを知ってるの?」

「そこまで詳しいわけじゃないよ、アレッシア。ただ、ストラトス家が本格的に傾いたのは長男が追い出されてからという話だったから、気になっただけさ」


 長男がイリアディスの婚約者、ひいてはその人が追放された話は聞いていた。だが神々への反抗とは、告発を行ったのが弟のヴァンゲリスとはどういうことか。


「私としては高潔と名高い長男アイオロス殿であればアレッシアを任せたかったのだがね」


 リベルトはどこまでも容赦ない。詳細を知らなくとも、二人の様子から触れてはならない禁忌なのだと伝わってくる。

 しかしここで話を避けるかと問われたら、そうも行かない。ヴァンゲリスの一連の行動の原因がこの過去にあるとしたら無関心ではいられないからだ。


「ヴァン……」

「アレッシア、やめさせて。それは何かの間違いなのよ。ヴァンはそんなことしてないの、だってアイオロスのこと、いつだって大好きで仲の良い兄弟だったの!」

「そうだね。大好きで、大嫌いだったよ」


 静かで通る声がその場にいた全員の耳朶を打った。

 イリアディスは声をなくし婚約者を見つめるが、その瞳の奥はいたく傷ついており、彼の言葉を認めたくない様子でもある。

 一方の青年といえば、もはや諦観していた。


「リベルトの言うとおりだ。私が兄さんを告発して、神殿に渡した。彼の言ってることはなにひとつ間違ってない、事実だ」

「ヴァ……」

「兄さんは素晴らしい人だったよ。他の五大名家にも劣らない才能と人望があって、誰からも好かれる立派な人だったさ。そうだろ、パパリズ」


 イリアディスが婚約者と執事を交互に見るも、パパリズは肯定も否定もせず、これにヴァンゲリスの自虐の笑みは深くなり、この一連の動作だけでイリアディスはなにも知らなかったと知れた。否、噂だけは耳にしていても婚約者を信じていたのだ。


「違う」

 

 彼女は絶望的に顔を染め、青ざめながら首を振った。


「違う、違うわヴァン。だってあれはただの噂でしょう。アイオロスだって、最後まで貴方じゃないと言っていた。連行される前も、されてからも、お別れするまでヴァンを信じて、支えてくれって言ってた。だから、だからね、あたし……」


 イリアディスの両手が戦慄く。長男アイオロスが元々彼女の婚約者だったから、信じられない思いが強いのかもしれない。アレッシアは兄弟を知らないから黙っているしかないが、彼女がいたく傷ついているのだけは理解できている。

 息すら忘れた様子で目の端が涙で濡れていたが、それでもヴァンゲリスは意見を覆さなかった。

 

「……だとしたら、兄さんは最後まで愚かだった。唯一の欠点だ」


 イリアディスは部屋を飛び出した。

 彼女を追うべきか迷ったが、リベルトが静かに首を横に振る。そうだ、ここで流されては元の木阿弥でしかない。肝心な話をヴァンゲリスに聞かねばならなかった。


「だからお金を借りたり、経営が疎かになるの?」

「……彼らは」


 ふう、と長い息を吐く。


「とても、心地良いんだ。兄さんを知らないから私は比較されないし、名家も何も関係ない。ただの酒飲みのヴァンとして遊んでくれるんだよ」

「そんなの利用されてるだけじゃない。利息だって貯まって、大変だったって言ってたよ。イリアディスが苦労して実家からお金を借りてくれたってパパリズが……」

「みんな利用して利用される関係だ。だったら居心地が良い方を選んで何が悪いんだ」


 これにアレッシアは上手な回答を見つけられない。だから口からついた「家が傾く」や「イリアディスが悲しむ」なんて言葉はヴァンゲリスに響かなかった。こんな当たり前の言葉、彼とて何千と繰り返した自問なのだろう。

 ヴァンゲリスは肩を落とす。


「父さんと母さんが早世したのは、跡を継いだ弟にはなにも期待できなかったからだ」

「お坊ちゃま、それは……」

「何も違わないだろ、パパリズ。私は期待されてなかった。二人は兄さんがいなくなるなり憔悴して、私の言葉にはなにひとつ耳を傾けなかった。そのせいで死んだんだから」

「違います。それは……」

「いいよ、慰めなくても。昔っからそうだったんだから、いまさら期待はいらない。彼らは君ほど愛情をかけてくれなかったし、遺言書だって、いつか許されるはずの兄さんのために残しておけって……そんなのばかりだ」

 

 そこで思いだした。初対面で借金が明らかになったとき、イリアディスが口にした「遺言書にもしっかり忠告されてたお金」の言葉をだ。

 もしや彼の両親はヴァンゲリスのためには言葉を遺さなかったのか。それらがすべて長男のために遺したのだとしたら、それを見た次男はどれほど絶望を抱くのだろう。


「ヴァン、だからお金に手をつけてたの?」

「…………違うよ、アレッシア。全部私が至らないからさ」

 

 もはや涙も零れないのは、それだけ苦しみ続けた証か。

 如何ともし難い空気なのだが、相変わらず空気を読まない人物はいる。

 ルドですら口を噤んでいたのに、リベルトがうなり声を上げたのだ。それもいかにも「困っています」といった様子で、真剣さは欠片もない。


「君の事情はそれで構わないとして、なんだが」

「……他に何があるんだい、リベルト。アイオロス兄さんがいるストラトス家がよかったのなら、神殿に申し立ててくれ。元々彼らもストラトスに義理立てていただけなんだ。ヴァンゲリスでは頼りないといえば、再度審議してくれる」 

「いや、自分でアイオロス殿が良かったと言っておきながらなんだけれど、すでにいない人物に拘るつもりはないんだ」


 ヴァンゲリスも、アレッシアも怪訝そうに男を見つめる。ではリベルトはどうしてこの話題を出したのか、答えはここからだ。


「私は君が真剣に当主をやるつもりかを確認したいんだよ」

「それは……別に……」

「だって君、アレッシアがストラトス家を訪ねた時は喜んだだろう? 立て直すつもりがなければああも感情に出ないはずだし、たとえ君が能無しであっても……」

「リベルト!」


 アレッシアが怒鳴れば、こほんと咳払いを零す。


「能力不足でもやる気は認めているのさ。それに当主はこの体たらくでも、ストラトス家が築き上げた力は本物だからね。だから、私が確認したいのはやる気と、もうひとつさ」


 にこりと目元を緩めた。親しみ溢れるはずだが、このときはどこか薄ら寒くすら感じる。

 たしかに、彼はルドとは対を成す存在かもしれない。少なくとも彼の人狼はどのような状況であれ人を気遣う姿勢を見せていた。


「君の兄上が、本当に神々への反逆の意を示していたかだ」

「……それが大事かい?」

「何を言う、君のやる気などより大事に決まっている」


 大真面目に頷く。


「それがただの妬みで行われた告発なら、いますぐアレッシアを連れて神殿に赴くべきだ。だが君、ヴァンゲリスよ。君は真実ないものを捏造できるほど、感情の切り分けができる人ではないだろう。他の五大当主の中でも、いっとう凡庸な当主だよ」

「……酷いな」

「だが事実だ」


 なぜだろう、とアレッシアは思う。リベルトがこれほど雄弁な人だったと驚きもあるが、ただ悲壮感に溢れていた個室が、途端に尋問室に変わった趣さえある。


「七十年以上前からここにいる人達に話を聞いたよ。たしかに兄上君は優秀な人だったそうだね。幼い頃から思いやりに溢れ、力にも秀でて、塾でも上位を張るほどの好成績。年齢が違う他家の次期当主とも仲が良くて交流も盛んだった」

「……他家の当主だけじゃないよ。うちの使用人に、管轄する領民、商人にも好かれてた。私が当主になった途端、彼らがあからさまにがっかりするくらいにね」

「そうそう。本来なら処刑のところが追放処分で済んだのは、両親や領民のみならず他家からの懇願があったからとか」


 アレッシアの知識では、五大名家はそれぞれ競い合っていると聞いている。それが他家の介入があったとしたら余程なのだろうが、リベルトが実に楽しそうに話すので、若干そちらに気を取られがちだ。いくらなんでも落ち込む青年の前であんまりではなかろうか。

 もはやリベルトの独壇場、彼は「でも」とヴァンゲリスの額を押した。


「君の性格を鑑みるに、あながち反逆を企てていたのも嘘じゃないんだろう。アイオロス殿、本当に拙いことをしてたんじゃないのかい」


 抵抗ができない彼は、痛いところ突かれたと言わんばかりに表情が曇った。

 話したくない様子だったが、リベルトは逃げを許さなかった。出口は再びルドが塞いだし、パパリズも彼を助けないためだ。

 むしろ彼女はすべて知っているのではないか、そんなことをアレッシアが感じたとき、とうとう青年は観念した。


「兄さんは追放地に住む人々にも加護を与えてほしいと、神々ではなく主神に直訴するつもりでいたんだよ。だから虚偽の罪を作って……」


 聞いたことのない単語だ。しかしそれはトリュファイナが口にしていた「神々の管理する土地外」にも似ている響きがある。

 追放地という響きは不吉だが、何が問題なのかはまだ計れない。しかしリベルトはこれですべての合点がいったようだ。


「それはまあ……告発しておいて正解じゃないか?」

「……そんなことはない。私が兄さんを説得しきれていたのなら、こんなことにはなってなかった」

「しかし上奏を許していたら、ストラトス家はそもそも存続してなかったろうに」

「それは私の力不足なんだ! 私の信用が足りなかったから、兄さんが主神に意見するつもりだなんて誰も信じてくれなかった!! ただの僻みとしか、受け止めてくれなくて……」


 今度はヴァンゲリスが罪を認めたリベルトに噛みつくではないか。なんとも奇妙な光景に少女は首を傾げるしかない。


「……つまり、ヴァンは一族滅亡からお家を救ったってことで良い?」

「そうなるねぇ」

「違うよ! 私は本当に兄さんが嫌いで……」

「嫌いで、好き。……私は上手に理解してあげられないけど、そういうことでしょ」

「劣等感の塊かな?」


 リベルトはいちいち一言余計だが、そういうことなのだろう。


「聞くに、親から比較され続けたこの手の兄弟にはありがちな話だ」

「ありがちなの?」

「優れた兄弟を妬む話なんてありふれているさ。少なくとも私の周りはそうだった」


 ぐうの音も出ないらしいヴァンゲリス。

 そんな彼をリベルトは蹴った。

 流れるような動作だ。この中年はまるで怒りも見せていなかったのに、突如一歩踏み出し右足から腹に一撃入れた。青年が衝撃で吹っ飛ぶ直前、恐ろしい速さでもう一発を捻じ込むと、今度は花瓶が割れ、壁に背中からぶつかって崩れ落ちる。

 叫んだパパリズが主に駆け寄るが、室内は滅茶苦茶だ。たった一瞬で花瓶の中身が飛び散り、頑丈なはずの椅子が倒れ、青年はさらにぼろぼろになったのだ。

 中年はゆっくり歩を進めたが、そこでアレッシアが飛びつく。

「なに?」と変わらぬ護役を、少女は真っ青になって引き留めた。言葉がうまく紡げないが、それでも必至に引き留めた。


「な、ななんで、なんで突然の暴力なの!?」

「いや、だって彼、贖罪したそうだったから」

「だからって蹴る人がいる!?」


 なんだこの思考回路は。一体全体どうして贖罪から暴力に繋がる。そもそも温厚そうな顔と雰囲気を垂れ流しておいて、力に躊躇がないのはルドと同じか。

 アレッシアを押し退け行こうとするリベルトに、流石に主を守ろうと盾になるパパリズ。きっと彼は女性であろうと躊躇はしない、腕を掴み、全体重を使って重石になった。


「だめ! 死ぬ、ヴァンが死ぬから!」

「死なないよ。彼が満足する分殴るだけだから」

「わかったいい方を変える! ヴァンが傷つくの見たくないから止めて!?」


 悲鳴に近い叫びを上げるとリベルトは止まった。いまだ彼を信じ切れないアレッシアは手を離さないが、その姿にはどことなく柔らかい眼差しを向けている。

 もしや……彼はルド以上に狂犬なのではないか。

 嫌な予感に背筋に汗が流れる。そしてこれ以上はリベルトに主導権を握られては拙いと声を上げた。


「ヴァンゲリス!」


 かろうじて意識はあったのか、なんとか首をもたげる青年に叫んだ。


「もういい! リベルトはあなたの意思を確認したかったみたいだけど、もうこの際関係ない! 私はあなたの意見を考慮しないことにした!!」


 ちくしょう、と嘆かなかったわけではない。

 アレッシアだってできるなら強い後見を得たい。そのために心の底でストラトス家を見放す可能性だって、少しだけど考えていた。だけどこのままヴァンゲリスを放って神殿に懇願しに行くかと問われたら、きっとそれはできない。

 なら、できるのはひとつではないか。知らずと指に力を込めた。


「あなたのその情けないところは私がなんとかしてあげる! だからとりあえず、その馬鹿な賭け事と、都合の良い言葉ばっかりに酔いしれる根性と、イリアを泣かした罪は反省して! 具体的にはちゃんと謝って!!」

「アレッシア、それは流石に無理がないかな」

「ええい、リベルトは余計な一言ばっかり……!」


 無理なのは承知済みだ。キッと従僕を睨み申しつけた。


「リベルト、しばらくヴァンを見張って、また妙なところに行こうとしたら、次は足をへし折ってもいいから止めて!!」

「……根本的な解決にはなってないな」

「それは今から考えるの!」

 

 上手く立ち回れない、たった数人でさえ納得させられる言い回しはできないし、いつだって判断は鈍い。

 だけどもうしょうがない。この際どれも致し方ないのだと少女は決めた。


「リベルト、ヴァンゲリス、この命令は絶対です。私があなた達の女神候補者なんだから、私に従いなさい!」


 息せき切った言葉に青年はぽかんと口を開け、従僕は薄く微笑んだ。


「喜んで」


 恭しく頭を垂れたのは、果たして本心からだったのか、この時のアレッシアにはまるで判別が付かなかった。

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