第19話 まだ少女の知らない何か
二人の視線を浴び、トリュファイナはため息をつく。
「まさかと思うけれど、貴女がたも巫女は必ず信仰深いと勘違いしてらっしゃるのかしら。だとしたらその考えは改めてくださらない?」
その態度は堂に入りすぎている。毛を逆立て声を忘れたルドを見やり、これはまずいとアレッシアが間に入った。
「ちょっと落ち着こうよ、トリュファイナ。それに考えを改めるって、なにを――」
「信仰心などなくても人は力は授かるのよ」
ひえ、と喉が悲鳴を上げていた。否、アレッシアとてトリュファイナの言いたいことはわかる。なにせ神様を敬う気持ちがちっともないのに女神の候補者なんてものになってしまったのだ。神のお導きだなんて巫山戯た台詞を吐くつもりはなく、かといって人前で悪態じみた態度を取るつもりはない――が。
……なお、前のアレッシアを殺ってくれたあの戦神は別とするものとするけど。
ともあれトリュファイナに軽々しく「そうだねー」とは頷けない。生まれ変わった頃ならともかく、孤児院やストラトス家、それにルドを前にして「神様なんて役立たず」だとか口にしたら最後、愛想を尽かされる可能性が高い。かつて宗教に縁のなかった少女ですら、人々を見ているだけで下手をすれば殺されるかもしれないと感じ始めているのに、この巫女様はなにを言い出すのか。
普段は叱られる側のアレッシアが飛びついて彼女の口を塞ぐほどだ。
ちりちりと肌を刺すような感覚が全身を襲い、本能で飛び出し口を塞いでいた。
なぜそうしたのかは、後になってもわかっていない。
「なに……のよこのこむす……」
「だめー! それ以上はだめー!!」
アレッシアが必死すぎたからだろうか。怒るはずのトリュファイナが呆れると途端にしらけた様子で顔を背ける。どうやらがっかりさせたらしく、少し残念に感じたが、それ以上に安堵で胸をなで下ろした。トリュファイナが止めなかったら、背後の人狼がきっと怒りだしていただろうからこれで正解だ。
「ふん。意気地無し」
「冗談でもそういうこと言っちゃ駄目だから!」
「……でも、貴女こそそう思ってるんじゃないの、アレッシア」
「そ、そんなことありませんけど」
言い当てられたせいか声が裏返ったが、否定は否定だ。とにかく外でこんな話題は厳禁だ。彼女の気を逸らせるものがないか探ったところで、後ろから低い声が響く。
「……早くお前の護役を呼べ」
「る、ルドさぁん?」
おそるおそる振り返れば、人狼の目が違う意味で血走っている。叱られ慣れているアレッシアでさえも後ずさったが、トリュファイナは強かった。
「言いつける?」
「まさか、そんな親切なことをしてやるつもりはしない。俺が貴様に手を上げる前に、さっさと迎えに来させろと言っている」
「あっそ。……その様子じゃ、神々の管理する土地外でなにが起こってるか知ってるくせに、無駄に忠誠を捧げてるのね」
神々の管理する土地外。
それを耳にした途端、ルドが背中から大剣を抜いた。
トリュファイナの喉元に突きつけたのである。
「黙れ。それ以上は俺を、否、俺たち神々の戦士すべてを侮辱したものとして受け止める。いかに女神の候補者と言えど許せん発言だ」
なぜだろう。はじめはアレッシアとトリュファイナが犬猿の仲だったはずなのに、いまやルドの方が彼女に嫌悪感を示し、相手もまたルドを軽蔑している。まさか板挟みになると思わなかったアレッシアは狼狽を隠せないが、それも少しの間だ。体感五分も経たないうちに、巨大な鷹に乗った女性二人が現れた。ひどく慌てた様子で駆け寄ると、はじめはルドやアレッシアを警戒したが、主に諫められ引き下がった。
「不本意だけど、そこの落ちこぼれちゃんに危ないところを助けてもらったの。モラリスに言って粗品でもストラトスに送るよう伝えておいて」
言うなり席を立ち、颯爽と歩き出すではないか。
これには護役二人も驚きを隠せない。
「お待ちくださいトリュファイナ! なぜ我々に黙って出かけたのか、説明を――」
長髪の女性が追いかけ、短髪の女性が困りながらも礼儀正しくアレッシアに頭を下げた。よく見れば二人の顔立ちはそっくりで、双子なのだとうかがい知れる。
「ああもう……と、とにかく、助けてもらった……かは後ほど真偽を確認させていただく。アレッシア殿におかれては礼を失するが、今日の所はこれでお許し頂きたい」
「あー……はい、大丈夫。それよりもトリュファイナを追った方がいいから急いで。本人言いたがらないだろうけど、男の人に襲われて……」
「男に襲われた!?」
アレッシア、とルドの冷静な声が挟まれる。
「……街中で変な人に絡まれてたんです。ちゃんと無事だったけど傷ついてると思うので、あんまり叱らないでいてくれると……」
「わ、わかりました。私たちのいない間にそんな……あああ、ありがとうございます! どうぞ、どうぞこのことはご内密にどうか……」
「大丈夫、トリュファイナの名誉のためにも他言はしないから」
「ああ、貴女様を候補者に選びたもうた女神に感謝いたします。どうか候補者アレッシアに美神のあたたかな吐息が届きますように!」
褒めと感謝と思われるお言葉をいただき、トリュファイナ一行は去った。
もはやこれだけで一日の気力を使い果たしてしまったが、まだ帰路が残っている。
「ルド、私も鷹とかに乗って帰りたい。いっそ熊でもいい、むしろ熊ちゃんでもいい。もう歩きたくない」
「悪いが俺の乗り物は特殊だから都市内では出せん。大人しく歩いて帰るぞ」
「つらい」
「お前は年頃の娘に比べ体力が不足している。鍛錬も兼ねて歩け」
こころなしか態度が段々と辛辣になってきていやしないだろうか。ごねつづけても意味がないと悟ったか、億劫そうに来た道を戻り始める。
「ルドの都市内で出せない乗り物ってなぁに?」
「竜だ」
「そっかぁ」
なるほど、本当に話すつもりがないらしい。
主ならば知っていて当然と思われそうだが、アレッシアは本当に知らないし、それどころかルドやリベルトがどんな武術を得意とし(少しは武器で察せられるが)、魔法を扱うかを知らない。聞いても教えてくれなかったのだ。
理由としては単純で、アレッシアが半人前以下だから。魔法の中には他人の心の声を読む術もあるらしく、魔法障壁を張らないと防げないそうだ。未熟者にあれこれ知らせてしまうと、いざとなった場合の情報漏洩が怖い、とのリベルトの意見で秘密主義が採用となった。そのためアレッシアは、ルドが表立って彼女を護衛し、リベルトが裏でコソコソ情報収集を行っていることしか把握していない。まさに護役の光と影という名の役割そのものだが、見た目的には完全に逆だ。愛想だったら完全にリベルトが勝利している。
「リベルトってさ、打ち解けてるようで私によそよそしい気がするんだけど、なんか理由知ってる?」
「俺がヤツと打ち解けていると思ったら大間違いだ。そもそも出会ったのもお前達候補者任命の儀の後ゆえ、あれとはそこが初顔合わせだ」
「うそ、打ち解けてるように見えたのに」
「同じ護役となれば目的はひとつのみだ、打ち解けるなど考える必要はない」
詳しく聞けば、事前に候補者が強く望み申請すれば、護役に親しい人を選んでもらえる場合もある。トリュファイナの場合はマルマー側と本人の希望でおそらく関係者が採用されたが、アレッシアは頼る人もいないため、神殿側で人選を行ったのだろうと見解を示した。
「なら私は運が良かったのかな」
「運?」
「うん、だってルドが私の護役でしょ。ちょっと怖いけど、強いし、かっこいいし、これって運がいいんじゃないの?」
突如怖い顔をしてそっぽを向かれてしまった。
「リベルトのことが気になるなら、そんなことは本人に尋ねろ」
神様の人選を運の一言で済ませてしまったのは問題があったらしい。次回は気をつけようと反省するも、話はこれで終わらない。
――次からは履物にも気を配ろう。
足の裏を保護するクッションがない履物は長時間の歩行に不適格だ。土踏まず以外痛くない場所はなく、膝やふとももが疲れを訴えている。ルドは本当に手を貸してくれず、情けない悲鳴を上げながら帰り着いたストラトス家で驚きの悲鳴を上げる羽目になった。
玄関を潜るなり青あざを作り縛られた青年が二階から吊されていた。
疲労は彼方へすっ飛んだ。
「やぁ、おかえり……」
力なく呟くヴァンゲリスに当主の威厳はない。
縛り上げたのはきっとイリアディスだろうが、長期間顔を損なうあざまで作るとは予想外だ。今回はあの酒場で一体なにをやらかしたのか、問おうとしたところで青年がルドに話しかけた。
「……私、壁まで吹っ飛ばされたんだけど、強く殴りすぎじゃない?」
「その程度で済んだのだから感謝してもらいたい」
下手人は隣の人狼らしかった。
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