第18話 巫女の真実と本音
アレッシアは身体を張った喧嘩には慣れていない。初心者と呼ぶのもおかしいが、とにかくこの不慣れゆえに要領が掴めない。殴ろうにも肌に傷をつけたらかわいそうだと、頭の片隅で妙に冷静になった大人の自分が引き留める。
そしてそれはトリュファイナも同じだったようで、いざ拳を丸めても寸前で踏みとどまる。それでも腹は立つから言い争いを続けたら、お互い疲れ果てぐったりと椅子に座り込む始末だ。
アレッシアなどだらしなく椅子に横になる。疲労困憊で会話さえ困難になっていると、ちょうど商人が通りかかるので、ルドが歩み寄ってなにかを交換した。
戻ってきた時に持っていたのは二つの皮袋で、アレッシアとトリュファイナ、双方に投げて渡す。中は液体で満たされているらしく、ちゃぽんと水が揺れる音がした。
「まずは飲んで落ち着け」
そしてまた背中を向けて柱に寄りかかる。
栓を抜き袋を傾ければ、爽やかな甘みが舌を刺激する。スポーツドリンクに似ているが、かなり甘みは控えめですっと喉を通り抜ける。一気に半分以上飲み干すと、ようやくひとここちついて目を閉じた。
気を落ち着け耳を傾ければ、風が抜ける音が気持ち良い。火照った肌が落ち着くまでアレッシアは動かず、ようやく瞼を持ち上げたとき、目に飛び込んだのは人狼の大きな背中だ。
ルド、と呼べば耳がピクリと動いた。
「助けてくれてありがとう」
お礼を言わなければならなかったのに、自分の失態ばかりに気を取られ言えなかったのだ。トリュファイナの目があったが、いま言わねばタイミングを逃してしまうと声にした。
「俺はお前の護役だ。それが役目だから礼を言うには及ばんが……そうだな、次はもっと早く俺たちを思い出せ」
「うん、ごめんね」
凶器が拳だったから良かっただけで、一歩間違えばアレッシアは死んでいたかもしれない。知らなかったとは言え遠ざけたのは事実だし、ルドがあれほど怒ったのは彼女を案じたからだ。
「ただ……」
「ん?」
「……いや、なんでもない」
続きが気になったが、言いたくなさそうだし問い質すのも悪そうだ。
ふいに視線を横に向けると、トリュファイナは外側に身体を向け遠くを眺めている。わざと聞いてないふりをしているのだと気付き、なんとなしに彼女の横顔を見つめた。
認めるのは若干不服だが、性格に反し悔しいくらいに綺麗な子だ。髪の毛一本まで手入れの行き届いた天然の緩い金髪は羨むほどに輝き、日焼けと縁のない肌は陶磁器みたいにさらりとしている。体型が……主に胸の辺りは残念だが、清廉さが引き立ち、ただ立っているだけなら感嘆できよう。
見ているだけなら惚れ惚れできるのにと思ったら、相手がちらりとアレッシアを見た。
「そっくりそのまま同じ言葉を返すわ」
どうやら思ったことが口を突いて出ていたらしい。
起き上がるついでに自身の髪を一房掴んだが、トリュファイナの言葉はいまいち届かない。青銀の髪は珍しいのかもしれないが、これは響きが良いだけだ。実際は薄い青か白かいまいち区別の付かない微妙な色で、本人にしてみればもう少しはっきりとしてわかりやすい髪色が良い。目立って仕方がないし、例えば孤児院の仲間エレンシアみたく、宙をたなびくさらさらの黒髪の方が良かったのではないかと感じている。
エレンシアで思いだしたが、最近はストラトス家やトリュファイナの件で孤児院を思い出す暇がなかった。あれほど外に出たかったはずなのに、エレンシアの笑顔を思いだすと、心に空洞が空いた気がして胸に手を添える。
「話のついでに聞きたいんだけどさ」
「質問するならそのだらしない姿勢をどうかしなさいよ」
「疲れたんだもん」
だいたいトリュファイナ相手に繕うのもいまさらではないか。起こしかけた上体を再び倒すと腕を枕にする。ルドだからこそなにも言わないが、ストラトス家の者がいればすぐさま叱りつけたろう。
「トリュファイナ、なんでみんなに黙って出てきたの?」
「……それを聞く?」
「だっていまだに護役を呼ぼうとしないじゃない。あんな目に遭ってまで黙ってるって相当でしょ」
「だったらなおさら察してくださらない? わたくしにも事情ってものがあるんですから」
「気を遣いたいと思える相手になってからいいなよ」
けっこうな一言だが、言い返さないところをみるに思うところがあったらしい。トリュファイナもあからさまに態度が悪くなっているので、お互い様であると言外に語れば、途端肩から力が抜け落ち空を仰いだ。
「……まぁ、別にわたくし自体は隠し立てしているわけじゃないからいいけど」
「隠し立てしてないのに後ろめたいんだ?」
「叩くわよ」
たしかに今のは余計だった。黙って拝聴する姿勢を示すと、ぽつりと言った。
「母親を探してたの」
思ってもみない回答に声を詰まらせたが、トリュファイナは頬杖をつき淡々と話し出す。
「わたくし、ものごころついたときにはマルマーの神殿に預けられていたけど、生まれは多分ロイーダラーナと言われてる」
「言われ……?」
「……本当になにも知らないのね」
鼻で笑うが、今度は嫌味がなかった。どちらかといえばなにも知らないアレッシアを羨む雰囲気さえある。
「マルマーの神殿にいる子供達は大抵が孤児なのよ。たまに親が連れてくる子もいるけど、そういうのは希」
なぜ孤児が多いのか、その答えを彼女はこう言った。
「巫女は都市のどこにでもいるものだけど、マルマーの巫女は特別。一度神殿入りしたら純潔を強いられるし、才能が枯渇しても神殿付きを強いられる。出られない牢獄みたいなものよ」
「え、でも……」
「……意外とませてるわね? それとも貴女くらいの年なら興味を持つのかしら」
「う、ううるさいな」
ルドがいる手前、少し恥ずかしくて頬を赤く染めたが、奇妙なのは先の男が言っていた「そういう行為」で男を接待する話だ。事実無根であれば彼女があれほど取り乱すはずはない。奇妙な齟齬にトリュファイナは笑った。
「それは身の置き場のない、本当に才能がない子達の話。マルマーでの生活は生きるには困らないけど、本当にそれだけなの。個人の信者を増やしてお布施をもらえれば部屋を飾り立てて、絹の敷布を自由に使うことができるのに、黙って見ている道理がある?」
ここまで言われれば察することができる。
つまり信者を獲得するために、裏で人を誘惑しているとトリュファイナは言っているのだ。これにはアレッシアも顔を顰めざるをえない。言葉は悪いが、まるで身売り同然ではないか。
「それって、神殿としてありなの……?」
「わたくしは糞食らえと思っているけど、才能のない巫女に言わせればわたくしの考えは傲慢なのですって」
平然と言ってのけるから、よほど腹に据えかねているのだろう。
これは神殿長も織り込み済み。性を司る愛神の信仰を奉る行為と許されているが、この行為に及んでいるのは才の無い巫女だけだ。トリュファイナのような〝本物〟は厳しく管理され、男に裸体を晒すのは許されない。
実状を一般人は知らないが、マルマーの巫女たちに自由がないのは事実だ。
娘を巫女にさせたいなら各々が信奉する神の神殿があるのだし、こちらの方が家族との距離も近くなる。婚姻を許される場合が多いから、わざわざしきたりが多く、閉ざされたマルマーの神殿を選ぶ道理はない。
「お母さんを探してるってことは、トリュファイナの場合は……?」
しばらく沈黙があった。彼女の視線は床に落ち、その表情から感情は読み取れない。
「売られたと聞いているけど……」
ただ、それにしては少しおかしい、と彼女は言う。
「わたくし、幼い頃から才能があったから……それに付随して記憶力も良かったのよね」
彼女は物心ついたときから神殿にいた。親は彼女を「夢で神託を授かった奇跡の子」といって売りに来て、大金を受け取って笑顔で帰ったのだと教え込まれた。巫女達の現状はともかく、トリュファイナに対してマルマー神殿長は親代わり同然だから疑いたくはないが、彼女には記憶がある。
瞼を下ろし、大事な思い出を丁寧に掬うように告げた。
「ちいさなわたくしを抱いて喜ぶ、わたくしに似た面差しを持つ女の人。わたくしを連れて行かれて泣き叫ぶ姿を覚えてる」
親を夢見た記憶の捏造ではない。それだけは彼女はしっかり覚えていて、現実なのだと知っている。出身地は教えてもらえなかったが、時間をかけながら過去の記録を辿り、調べ上げたそうだ。
「で、それが路地に繋がったと」
「定かじゃないけど……マルマーにお金をもらいに行くくらいよ。あまり良い家の出身とは思えなかったの。家の造りでも見ればなにかわかるかもしれなかったし……」
「む、無謀じゃない?」
「巫女を侮らないでちょうだい。常人には理解できないでしょうけど、家も、母も、見ることさえできれば当てることができるわ」
「護役さんに言わなかったのは……」
「わたくしの私用よ。手を煩わせるのは本意ではないし、なにより彼女達はマルマーの信奉者だから……」
複雑な関係でもあるのだろうか。
それでも彼女の行動は大分無謀だが、野暮は言わないでいておこうと決めた。トリュファイナなりに事情があるのはアレッシアでも理解できたし、真摯な願いを揶揄するほど落ちぶれてはいない。
というよりは、ここまで聞いてしまってはアレッシアも傍観者でいるのは難しい。
「……えーと……その、護役に言えないんだったら、協力とかしようか?」
「いらないわ。これはわたくしの問題だし、なんで競争相手の手を借りなきゃいけないの」
「でも、だとしたらどうやって裏路地とか捜索するの? ひとりってむずかしくない?」
「それでもどうにかするわ」
なかなか頑なだ。困り果てていると、トリュファイナの方こそ心底呆れた様子で少女を見やる。
「みたところ貴女能力が足りていないでしょう。候補者達の中でも一番実力がないわ」
「うぐっ」
もしやとは思っていたが、やはり当たっていたらしい。他の者達は一般人にも名を知られている様子があったのに、無名なのはアレッシアだけだ。
「落ちこぼれは落ちこぼれらしく、周りに苦労をかけないようにつとめを果たされたらどうかしら」
「でも……」
「アレッシア、そこまでだ」
止めに入ったのはルドだ。彼としてはあまり会話に割り込みたくなかったが、アレッシアを守る者として止める義務がある。
「ルド、ちょっと協力しようって言ってるだけだよ」
「それでも駄目だ。その巫女は肝心な話を誤魔化している」
「あら、ご存知だったの。もしかしてマルマーの巫女をお抱きになったことがある?」
「馬鹿を言え。これでも長く生きている、最低限の知識は蓄えているつもりだ」
嘆息するトリュファイナ。ルドが彼女を評価するとしたら、アレッシアを巻き込まぬよう協力を拒んだ点だ。
「マルマーは他の神殿に比べ、特に常識が当てはまらん。上位の巫女となれば俗世とのしがらみを断つため誓いを立てている。自らを棄てた親を探すなど認められん行為だ」
「え、じゃあ……」
「背信行為だ。護役は連れて来られんわけだな」
つまり協力すればアレッシアも道連れで共犯者というわけだ。
まさか率先して違反を犯しているとは思わず唖然としたが、肝心の巫女は皮肉げに笑っただけだ。
「……背信ね。そうは言うけど神なんて人の命を弄ぶだけで、人間のためになった試しはないわ。馬鹿の一つ覚えで信奉するなんて考える力のない間抜けのすることよ」
巫女様、否、女神の候補者が発言するには聞き捨てらならない台詞ではないか。
この世界の人々の神信奉を当たり前と思っていた少女に、神より戦士に任命された人狼は固まった。
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