第17話 泣けど拳は握りしめ

 涙を流すトリュファイナにたまらず人狼を見上げる。しかし彼は素っ気ないもので、後は知らんと言わんばかりに自らが斃した連中を見下ろしていた。遠巻きには最初トリュファイナを襲った連中が覗いていたが、人狼を恐れて近寄ろうとしない。彼女は泣き止まないが、残り続けるわけにも行かずに手を取り立たせた。


「どこへ行く」

「と、とりあえずここを抜けて安全なところにいく」

「そちらは逆方向だ」

「うぐっ」


 ため息を吐いたルドが呻いた男を蹴り上げたのは八つ当たりか。存外足癖が悪いのは置いといて、倒れた彼らをそのままにして良いのか一瞬迷った。


「放っておけ。ここで助けては我らが因縁をつけられるぞ」


 そう言うと隠れていた若者達を怒鳴りつけ、彼らを片付けるように言い渡し離れた。その足取りに迷いはなく、出たのは大通りでも地元民しか使わない道だ。トリュファイナはいまだ大粒の涙を零しているし、目立たぬ方が良いと判断したのだろう。


「あの人達、衛兵に突き出さなくて良かったのかな」

「やめておけ。ああいった連中は大概ろくでもない横の繋がりが強い」

「だって女の子を……女神の候補者を傷つけたのにそれでいいの?」

「その時は彼女の護役が手筈を整える。俺が手を出しては彼らの恨みを買おう。こちらとしてはお前に手を出したツケはあれくらいにしておかねば、もし先方が事実を知った場合に立つ瀬がない」


 トリュファイナ達自身にケリをつけさせると言いたいらしい。アレッシアとしては未遂だったとはいえ警察……もとい自治を担う衛兵に突き出さないのは如何なものかと考えるが、ここで手を引っ張られた。トリュファイナは涙を滲ませたまま首を横に振り、ルドはこう付け足す。

 これらの処遇は本来子供に教えるには早いのだが、曲がりなりにも女神の候補者のために伝えざるを得ない。

 

「それに無駄に騒ぎにしてはお前達の沽券に関わる」

「あ……」


 これでアレッシアにも伝わった。

 失念していたが、あと一歩遅かったらトリュファイナは手遅れだったのだ。女性としては致命的な噂になると言外に語るルドに、恥ずかしくてぐうの音も出ない。


「マルマーの巫女」


 くるりと振り返ったルドが問えばトリュファイナは人狼を見上げる。彼女は被害に遭ったばかりなのだが、その相手にはたいした感慨も抱いていない。


「慣習に倣えばお前の後見たるモラリスを呼ぶべきだが、その様子では護役すら拒んだままだな。アレッシアがお前を助けた以上は送り届ける義務が生じたと俺は考えるが、送り届ける必要はあるか」

「……いいえ」

「ではどうするべきだとお前は考える」

「…………ひとまず落ち着きたい。安全で人気のないところまで案内してください」

「承知した。アレッシアと共に付いてくるがいい」


 あっという間にその後が決まってしまって、なおさら立つ瀬がない。しかしトリュファイナは手を離さないし、いまだに落ち込んでいる様子なので無下にもできなかった。


「……ヴァンゲリスは?」

「おそらく家に戻っているはずだ」

「言うこと聞くかな」

「戻らねば一月ほど動けなくすると伝えた。あの男は愚かだが馬鹿ではないからな、言うことは聞くだろう」

「そだね。…………あの、ルド」

「なんだ」


 女の子二人が人狼を追う姿はなかなかに奇怪に写る。しかしアレッシアに周りを気にする余裕はなく、揺らめく外套を見つめながら呟いた。


「……怒ってる?」


 返事がない。やはり怒っているのか、しかし約束を破って離れてしまったのは自分だ。

 落ち込める立場ではないが、気落ちする心は止められず自然と肩が落ちる。

 ルドが案内したのは浮島や離れた農園などに行き来することができる街道の中間休憩所だ。屋根がある東屋的な造りで、傾斜の上に作られているため眺めは良い。ルドは二人を座らせ、自らは入り口に立って背を向ける。


「……もう怒ってはいない。どちらかといえば、お前に俺たちの正しい関係を伝えていなかった己に腹を立てている」

「関係?」

「召喚と拒絶だ。その様子では知らなかったろう」


 初めて聞く言葉だ。きょとんと目を丸めていると、東屋から景色を眺めていたトリュファイナが口を開いた。


「女神の候補者と護役は女神様の庇護の元、決して離れない絶対の主従契約を交わしている。でも貴女が彼を拒もうと思えばできるのよ」


 時間が経ったからか、目元は赤いがいくらか落ち着いたらしい。


「……そこの人狼。貴方が説明するより同じ候補者のわたくしが教えた方がいいのではなくて。この子、あまりにも無知だわ」

「トリュファイナ。ええと……別に無理しなくても」

「無理してないわ。あれは驚いただけよ。……別にああいうのは初めてじゃないもの、いまさら落ち込んだりするものですか……って」


 声も無く驚いたアレッシアに慌てて付け足す。


「誤解しないで。ちゃんと全部はね除けてるし、わたくしは清らかな乙女のままです。ただ……ここでもそんなことが起こるなんて思わなかっただけ」


 調子を取り戻してきたらしい。ルドが背中を向けたままだと確認すると、唇を尖らせてジト目になった。


「それより護役よ。わたくしはともかく、どうして貴女が彼を呼ばないのか不思議だったけれど、知らなかったのなら覚えておきなさい」


 わがままで性格の悪い嫌味な女が、突如教師めいた風格を漂わせるではないか。逆らう雰囲気でもなく自然と背を伸ばす。

 ――なんでこんなことになってるんだっけ?

 などと思う暇もない。


「わたくしたちはね、女神様の候補者なのよ」

「それは知ってる」

「知っていようが理解していなくては意味がないの。先ほど主従契約と言ったでしょう。あれはあなたがどれだけ馬鹿で無力でなんの特筆すべきものもない小娘だろうが」

「……喧嘩売ってる?」

「女神の名の下に、彼と主従関係を結ぶと認められたの。つまり貴女は彼の主、主人になる祝福を神々から直に得たという話になる」


 人さし指がアレッシアの額を押すと、勢いに負けて背もたれによりかかる。


「だから彼は貴女を守るために全力を尽くす必要があって、貴女がたとえどこにいようとも気配を感じ取れるようになってる。距離があっても……これは実力によるけど召喚も可能。貴女は多分無理だけど、これも覚えておきなさい」


 いちいち余計な一言を付け足す。アレッシアの目元が痙攣したが、実力不足はストラトス家ですでに指摘されていた。孤児院での『祈り』同様、彼女は風をそよがせる魔法一つ使えない。トリュファイナにはそんなことを話した覚えすらなかったが、彼女はアレッシアの実力を見抜いているらしい。


「だけど実際の実力はどうあれ、力関係では貴女が上なの。本気でちょっとでも見つかりたくない、嫌だと拒めば護役は主人を見つけられなくなる」

「そんな、ルドを拒んだ覚えなんて……」

「本当に? ちょっとでも見つかりたくないなんて思わなかったの?」


 問われて思いだした。そういえば路地に入る前、ルドに怒られたくないがために早く終わらせたい。見つかりたくないとは思わなかったか。

 思い当たる節をみつけたアレッシアに、トリュファイナは「それ」と言った。


「少しでも思ったのならきっとそれが作用したのね。貴女がやっと助けを求めたから見つけられたのでしょう」


 だから駆けつけられたのだと合点がいった。ならばルドが怒るのは当然だ。彼は必死にアレッシアを探していたろうに、肝心のアレッシアが彼を拒んでいては見つけようがない。

 知らず叩かれた頬に手を添える。


「次はもうちょっとうまくやることね。……まったく、これがわたくしの競争相手だなんて気が滅入るわ」


 静かに愚痴るではないか。さしものアレッシアもここでむっと腹を立てた。気落ちしているからと憐れんでいたが、そんな気さえ失せたのだ。


「そういう言い方はないんじゃないの」

「事実を言ったまでじゃない。なにを勘違いしているか……は思い当たるけど、わたくしを助けたのは貴女じゃなくてそこの彼よ」

「でも私が駆けつけたからルドも間に合った。彼は私の護役なの。あなたを助けたくないって思えば見捨てられたんだよ」

「なに、恩を着せた後は脅してお礼を言わせたいの?」

「脅しって……」


 そんなつもりはなかったが、しかし冷静に考えれば確かに脅しだった。つい言い淀んでしまうと、相手は嫌なことをずけずけと言い放つ。


「あの愚か者共の間に割って入った勇気は認めます。ですがあんな下手な声かけ、あれじゃ自分の命を晒したのも同然なのよ。自分じゃどうしようもなかったくせに、考えなしに行動するからああなるんじゃない」


 二人の会話に耳を傾けていたルドが空を見上げる。果たしてこれは止めるべきか否か。アレッシアが落ち込んでいたのは知っている。少女のためを考えるならここらで止めるべきだが、候補者同士の会話に口を挟む権限を彼は有しておらず、そして彼はどこまでも規律に忠実な護役だ。

 目を見開き、時すら忘れた様子で止まっていた少女は拳を振るわせる。


「ト」

「なによ、今度は言い負かされたからって泣くわけ」

「トリュファイナだって、私に負けず劣らずの、へっぽこ巫女のくせに」

「……は?」


 区切り区切りの言葉。いつの間にかアレッシアの目からはぼたぼたと涙が溢れており、頬を伝い流れ落ちている。

 腹が立って仕方がないのは、そんなこといちいち言われずともわかっているためだ。

 トリュファイナにいわれる以前から、彼女は自身の実力不足を認めている。認めざるを得ないくらい何度も言われている。転生したのに力はないし、特別な素養なんて授からなかった。女神の候補者になったのも成り行きだし、見返してやりたいだけで高尚な目的なんかない。

 それでもなるようにしかならないと前を向いたのに、今度はこれだ。ただでさえ無鉄砲に突っ込んだのに、いざとなれば男達を前に怖じ気付く始末。さらにはトリュファイナの助け方を間違って、殴られて、ルドに迷惑をかけた。

 まるで駄目だった。

 己の役立たずっぷりにどうしようもないくらい落ち込んでいる矢先に、馬鹿だの実力がないだの言われて腹が立たずにいられようか。

 助けなければよかったなどとは言わないが、これには物申さずにはいられない。


「あの調子じゃ護役に黙って出てきたんでしょ。勝手に襲われて、気位だけ高いから助けも求めなくて、ルドがいなかったら、いまごろ目も当てられなかったくせに」


 それはトリュファイナの疵だ。主従契約の事実を知った以上、ああまでしても護役に助けを求めなかった彼女にはきっと理由がある。だがそれを察しても、相手が傷ついても言わずにはいられない。激しく肩を上下させながら、あえて相手が堪えそうな言葉を探す自分に嫌気が差した。

 ……孤児院にいた頃は、相手が傷ついてしまえばいいなんて考えもしなかったのに。


「なにが巫女よ。予言がなかったらただの人間のくせに、考えなしなのはあなただって一緒じゃない」


 衝撃が走った。

 またもや叩かれたが、路地ほどの衝撃はない。そのうえ本日二度目、加えてすでに怒りが頂点に達しているために、思考はすぐさま臨戦態勢に移行した。

 肩を大きくいからせたトリュファイナが再びぼろぼろと涙を零しているが関係ない。身長差がある分、平手は不利だと考えた瞬間には飛び出して頭突きしている。もんどり打って転がるマルマーのお偉い巫女様に、少女も泣きながら大きく息を吸った。


「ばーーーか!!!」


 主の語彙もへったくれもない罵倒にたまらずルドは瞑目する。

 彼は候補者二人に背を向けている。なにも見ていないと思い込もうとしているが、その間にも背後では教養の欠片もない罵り合いと取っ組み合いが始まっている。


「このクソガキ!」

「だまれ年増!」


 この言葉の貧相さは誰かを悪し様に言う環境にいなかったためだろう。それ自体は喜ばしいが、言葉を選ばせるためにも本は読ませるべきかもしれない。

 護役の人狼は再び始まった子供らの喧嘩に遠い目をして、誰も来ないでくれと祈りながら腕を組んでいた。

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