第16話 手遅れになる前に

 もしかしなくても自分は馬鹿か、もしくは相当のお人好しじゃないか、なんて走りながら自重した。迷っている。本当に彼女を助けるべきなのだろうか。女神になって周囲を見返してやりたいアレッシアにとって、有名な巫女だなんて優位ステータス持ちのトリュファイナはライバルなのだから、黙っておけば勝手に傷ついてくれるはずだ。

 そもそもトリュファイナはいけすかない相手だから、助ける理由がもっとない。一人で行動しているのだから路地に入る危険性は熟知しているはずで、身を守れる術程度身につけているはずだ。

 ここは『日本』じゃないのだから、その世界と見合った考え方と態度で挑まねばならない。よって人間の命が軽い世界で、無謀な行動は避けるべきだ。大体誰かに一人で挑むなんて考えは外れてはいないか。正しくは衛兵に助けを求めるべきだが、よりによって衛兵が見える範囲にいない。

 大通りから路地をのぞき込んだとき、すでにトリュファイナの姿はない。大通りとは違い、カビ臭く変な臭いさえする路地は、靴の裏にべったりと汚れが付着しそうなほど不潔だ。行くか行くまいか迷うアレッシアに、果物売りが声をかけた。


「ちょいとそこのお嬢ちゃん。そこの通りは入っちゃ駄目だよ。女神様のお膝元でも、あんたみたいな子供はすぐにかっさらわれちまう。大人も助けてあげられないよ」


 好きこのんで危険に踏み込むつもりはないが、それを聞いて黙っていられるならはじめから飛び出しはしなかった。躊躇は一瞬、えいやと細路地を走り出すが、中は入り組んでおり迷路状態だ。通りに人気はないが、住居部分にあたる二・三階の小窓は開いており、刺青を入れた男や、露骨に肌をはだけさせた女と目が合った。

 手出しはされないが、明らかに場違いのアレッシアには冷たい観察眼が向けられる。

 早速怯んで帰りたくなったが、ルドに言えば約束を破ったことを叱られるかもしれないし、前に戻らねばならない。どうにかしてトリュファイナを連れ戻して……と、ここで聞き覚えのある声を聞いてさらに走った。

 角を曲がると、ある建物の影で女性が悲鳴を上げている。地面に押し倒され、外套を剥かれたトリュファイナを押さえつけるのは十代から二十代前半の若者達だ。


「早く済ませろよー」


 呑気に見張りをする男が新たに駆けつけた乱入者に気付いたが、立ちすくむ少女には軽く笑うだけだった。しっしと片手で追い払おうとしたのだ。

 もちろん怖かった。身の丈が倍もある青年に挑む勇気はないし、出方を間違えてしまった。ここは衛兵を呼んできた体で叫び、彼らを追い払うのが正解だが、そんなことすら思い浮かばなかったのだ。

 トリュファイナの悲鳴が大きくなり、男の下卑た笑いが臆病心を恐怖に変える。

 いますぐ帰るのが正解。

 だがいまから戻って衛兵を呼んでも間に合わない。愚直にも一歩を踏み出し叫んだ。


「ちょ、ちょっと、なにやってるのよ!」


 見張りに詰め寄ると、若者達の笑いが止まった。なんだなんだと興味深げにこちらを見やり目を丸めている。


「そ、その人を離して!」

「あのなぁお嬢ちゃん」


 見張りの男がしゃがみ、アレッシアに目線を合わせる。細身の目つきが悪い男で、馬鹿にした口調で語りかけてきた。


「……ここ、どこだかわかってるか? 表と違って、いけない大人がたーくさん集まる場所なわけよ」

「だ、だからなに! 衛兵呼ばれたらどうなるかわかってるでしょ!」

「うんうん。好きにしたら良いけど、あんまりお勧めはしないなあ。おれたちは見逃してやるけど、お嬢ちゃんくらいの年齢もじゅーぶん範囲だって悪いやつも多いんだ」

「だからぁ!」

「あのおねーちゃんはおれたちと遊びたいから仲良しするわけよ。いいかい、これは同意なの同意。だからさっさと……」


 男が説得しようとする間にも、トリュファイナの悲鳴が再開された。咄嗟に走り出したアレッシアの首根っこを男に掴まれる。


「ちょ、離して! ぎゃー! やめろ変態離せー!!」

「だからねー……はぁ、どこのお嬢様だよこのガキ……手ぇ出したらめんどくさそ」


 男がうんざりした調子で呟く。もがいてもびくともしなかった。

 

「離してってば! というか、そこの馬鹿、彼女が誰だかわかってるの!?」


 言うか言うまいか迷いはある。しかし実力行使できない以上、ここはもう暴露するしかない。馬鹿達、に反応した男に向かって叫んだ。


「その子ねぇ、マルマーの巫女トリュファイナなんだから! 女神、女神の次期候補者! そんな人に手を出して、ただでいられると思ってる!?」


 女神の一言にはさしもの若者達も一時停止した。首根っこを掴んでいた男も戸惑いがちで指を離し、身を起こしたトリュファイナは呆然とアレッシアを見つめている。最悪な展開までは至っていない様子で、ほっと安堵した瞬間だった。

 背後から別の力によって持ち上げられた。


「五月蠅いと思ったら、お前ら何やってるんだ?」


 さらに屈強な大男だった。若者達とは比にならない、さらに人相の凶悪な男達を引き連れており、棍棒を腰にぶら下げている。その内の一番偉そうな男に、まるで猫の如く持ち上げられていた。まるで品定めするが如く観察された。


「なんだ、ガキかと思ったら見た目は悪くねぇ。そこの女も上玉だが……女神がどうとか言ってたな」


 この人相どころか性格も悪そうな男達は、路地では若者達よりも上の存在らしい。彼らの登場に若者達はぺこぺこと頭を下げるのだが、彼らは眼中にないようだった。


「その女は置いていけ」

「え、あ、でも……俺たちが声をかけてですね……」


 ぎろりと一睨みされ、取り巻きが棍棒を抜けばすごすごと引き下がった。はじめにアレッシアを抑えた青年が「あのぅ」と男に問いかける。


「そのガキは……」

「おめぇには関係ないだろうがよ」

「いやでもまだ子供ですし……」


 男は露骨にため息をつき、予備動作なく青年を殴った。暴力を知らないわけではないが、至近距離で人が殴られるのはまた違った恐怖がある。

 ルドがアレッシアを市街地に行かせたがらなかった理由をようやく察し、ぎゅっと目をつむったが、再びトリュファイナの悲鳴が上がると思いだしたかのように叫んだ。


「やめて! その子は女神候補のトリュファイナよ、手を出したらどうなるかわかってるんでしょうね!!」


 若者達にも有効だった言葉だから、きっとこの男達にも通じるだろうと声を張り上げた。アレッシアの期待通り相手は手を止めたが、それも一瞬だけだ。


「マルマーの巫女様ねぇ」


 なぜか目つきがいっそう嫌らしくなり、悲鳴の方向に向かって犬歯を見せつける。

 この瞬間、やっとルドの存在を思いだしたのだが、同時に彼を連れていかなかったことを酷く後悔した。


「助けるための方便としちゃ大仰だが、本当だったら尚更いいじゃねぇか」


 などと不思議なことを言うではないか。アレッシアには軽めの平手打ちを放ったが、それだけで身体が大きく揺れた。脳しんとうを起こして尻もちをつく少女を鼻で笑った。


「マルマーの巫女様といやぁ、男を接待してベッドの中でいいコトの予言を授けてくれるって有名だぁ。とんでもねぇ床上手って話だし、ほんとかどうか確かめてみるかね」

 

 この瞬間はまだ発言の意図を掴みかねているのだが、呆然としている間に場に変化が起こった。

 黒い影が飛来したのだ。

 それは上から振ってきた。ふわり、と見覚えのある外套が舞い、目視した瞬間には残像を伴い走り抜けている。太陽の光を反射し目に飛び込んだのは研がれた大剣の煌めきだが、それは振るわれる前に鮮血が飛び散る。


「え、あ?」


 いつの間にか、トリュファイナに覆い被さっていた男達を含めて全員が地面に伏している。全員どこかしら傷を負っており、特にアレッシアを殴った男は胴体に酷い傷を負っていた。唯一五体満足で立っているのは黒い影、もとい見慣れた人狼で、右爪から粘液じみた鮮血を垂らしている。男達の傷はルドの振るった爪痕と一致しており、大剣を振るうことなく、自らの凶器だけで彼らを一瞬で制圧したのだと知れた。

 助かったのだ。

 呆然と名前を呼んだ。


「ル」

「この――痴れ者が!」


 なぜか怒鳴られた。

 目を白黒させるアレッシアにルドは詰め寄る。くわっと目を血走らせ、傍目にどう見たって怒りに震えながら肩を掴む。


「呼びかけが間に合ったからよかったものを、俺から隠れようとしたな!」

「へ?」


 さらに頭がまっさらになった。

 呼びかけ、隠れようとした?

 そんな行動は一度たりとも取っていないのだが、激怒したルドは止められない。

 

「否、置いていった俺にも問題がなかったとは言わん! だがこうなる前に俺を呼びつけるべきだろうが、なぜすぐに助けを求めなかった!?」


 叩かれたアレッシアの頬を忌々しげに……違う、間に合わなかった己を責めて瞳を歪ませている。懐を探ると適切な布がなかったのか、左指で口元を拭われ、そこで頬を切っていたらしいと気付いた。


「あ……話はあと。ごめん、トリュファイナを……」


 お説教は止みそうにないが、女神候補の名にはルドも強くは出られない。

 幸いあれ以上酷い目には遭わずに済んだらしいから、アレッシアが服を直してやるのだが、その手つきをぼんやりと見つめ……やがてわっと泣き出した。

 暴漢に襲われたのだから怖かったはずだ。背中を撫ですさっていたのだが、涙の理由は暴行未遂だけではなかったらしい。


「私はあんな汚い方法で信徒を取ったことなんてない。本当のことしか言ってないのに、どうしてみんな信じてくれないの」

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