第36話

 ホテルの部屋でシャワーを浴びたベルカは、タオルで髪と俺の水気を拭き取りながらベッドに腰を下ろす。

 窓の外では家々の灯りが、海と街を分ける境界線を描き出していた。


「ユーリ、ぼくの話、聞いてくれる?」

 ▽ああ、もちろん。


 ベルカはそこで一度口をつぐむ。足元に広がる大きな亀裂を前に足踏みするように、ためらい、目を伏せる。


「シュトレルカは、ぼくの姉妹機だったんだ」





「シュトレルカ――シュカとぼくはずっと一緒だった。シュカはいつも何かに怒ってた……半分くらいはぼくのことだったけど、あの頃のぼくにはよく解らない色々なことに敏感だった」


 暖房の唸りに掻き消されそうなほどの小声に、俺は全身を傾ける。


「他の子たちからは変人扱いされてたけど、ぼくはシュカのことがすきだったんだ。シュカに叱られるのは嫌だったけど。でも、ちゃんと思ったことを口にできて……きっとお姉ちゃんってこういう人なんだろうなって」


 少しずつ張りを取り戻していたベルカの声は、そこで再び陰る。


「シュカはときどき、普通じゃないくらい黙り込んでることがあった。静かに、じっとどこかを見つめたまま。ぼくは、そんなシュカに声もかけられなかった」


 ベルカは唇を引き結んでしまった。後悔しているのだろうか。あのとき、勇気を出してシュトレルカに話しかけていれば、と。


 ▽ひょっとして、似てるのか? ヨシノは、シュトレルカに……


 その問いに、ベルカは目元を緩めた。


「雰囲気がね。背はヨシノの方がずっと高いけど」


 ベルカは思い出したようにくすりと笑う。


「ヨシノが列車に乗るのを手伝えって言ってきたとき、なんだか懐かしかったんだ。なんでだろって思ったけど、ヨシノと話しているうちに気付いたんだ。あぁ、シュカに似てるんだって」


 目元を緩ませたまま、ベルカは続けた。


「ぼくたちは、教会の命令で人を喰い殺していたの」

 ▽……それって、戦争中のことか?


 ベルカが頷く。彼女が戦時中どこで何をしていたのか聞くのは初めてだった。


 ▽教会が、ベルカたちを造ったのか……?


 再び頷くベルカ。

 にわかには信じられなかった。だが、噂を耳にしたことはあった。


 人造妖精は、教会が人造生命への憎悪を作り出す為に生み出したのだ、と。


「ぼくたちの部隊はね、「劇団」って呼ばれてた。教会の教えが届かない地域に派遣される。そこで、はじめは目立たないように、少しずつ派手に人を喰い殺していくの。作戦区域の人たちが恐怖や憎悪を充分抱いたところで、「宣教師」がやって来る」

 ▽宣教師?


 ベルカが瞳をぎゅっと閉じて、二の腕をさする。


「……あの人たちは、ぼくたちの捕まえ方と殺し方に精通してた。劇団の中から、「当番」が選ばれると、劇団はその子を残して作戦区域を出る。残された当番の子は、宣教師に捕まって、殺される。ぼくらが家族や友だちを喰い殺した人たちが見ている目の前で」


 ベルカの身体が震え出す。


 ▽無理するな。ゆっくりでいい。大丈夫、大丈夫だから。


 自分の身体をかき抱いて、うな垂れたベルカがコクコクと頷く。


「本当なら、当番の子が殺される前にぼくらは次の作戦区域へ移動するはずだった。でも、戦争末期はスケジュールがめちゃくちゃで、よく当番の子が殺される場面を見るハメになった……。広場に吊し上げられて、身体中切り刻まれて手足を潰されて。普通だったら目を背けたくなるけど、システムをハックされて身体の一部だけ――大抵、それは頭なんだけど――捕食形態に変わってるから、見るからに化け物で……。集まった人たちが大声でなじりながら石を投げるんだ。ぼくらの身体は頑丈だから、それでも傷が治っていく。それを見て人はさらに怖がって……そこに宣教師が現れて言うんだ」


 かつて目にした光景を再現するかのように、ベルカの声音が変わる。


「人造生命は人が作り出した悪魔だ。生命の創造という神の領域を人が侵したせいで、神はこの世を見捨てた。しかし我々は悪魔を狩り、神のご加護を取り戻す。その証拠に、いまここでこの化け物を殺して見せよう……。そう言って宣教師は、聖水――ぼくたちの身体を不活性化させるナノマシンを振りかける。それまで傷つけられても再生していた身体が、どんどん腐って崩れ落ちていくの。当番の子は叫ぶけど、獣の口から出るのは化け物じみた叫び声で、それを聞いて集まった人たちは歓声を上げるんだ」


 ゆっくりと、いつものベルカの声が戻ってくる。


 ▽劇団から逃げようとは思わなかったのか?


 ベルカは力なく首を横に振る。


「ぼくらにとって、必要なことだったから」

 ▽見せしめのために殺されることが? 一体どうして。


「ぼくらは呪われた存在。そんなぼくらが神さまの祝福を受けるために必要な試練だと、教えられていたから。教会の教えを信じない不届き者を殺せ。人殺しは罪だけど、ぼくらの行いが巡り巡って教会の教えを広め、人々を救う糧になる。そうしてぼくらは宣教師によって「浄化」されて初めて、罪を許されて天国に行けるんだ、って。そう劇団では教えられていたから」


 人を喰い殺すことを拒否することは、教会の教えに背くこと。そうなれば天国には行けず、地獄に落ちる。

 都合よく改造された教義を背負わされ、ベルカたちは命を奪い奪われるプロパガンダ劇を演じ続けてきた。


 ……あんまりだ。


「冬至が近づいてきたあの日、シュカに「当番」が回ってきた。「これでやっと天国に行けるね」って、いつも通りみんなでお祝いしてあげたけど、その間もシュカはずっと不機嫌だった」


 人を喰い殺し、最期は自分が殺される劇の主演に選ばれた少女を笑顔で送り出す。その風景を想像してみる。なにもかもがわざとらしくて、白々しくて、でもすがり付くように必死な少女たちの姿を。


「あんまりにもシュカが怒ってるから、みんな出て行っちゃって。ぼくとシュカだけが部屋に残ったの。そのとき、シュカがぼくに言ったんだ」


『私が生きるのは私のため。私が死ぬのは私のため。他の誰のためでもない』


 ベルカの手が俺を撫でる。柔らかな毛並みを、細い指がなぞっていく。


「次の日、シュカは自殺したの」


 劇に組み込まれることを拒んで、教えに背き、自分自身で終点を決めた。


「あのころのぼくは、シュカが何を考えていたのか、本気で知ろうとしてなかった。だから何もできなかった。ただただ悲しくて、辛くて、思い出すと切なくて。だからシュカのこと、考えないようにしてきたの」


 考えることは思い出すこと、思い出すことは傷つくことだから。


「ヨシノと話していると、シュカと話しているみたいな気分になる。ヨシノに責められると、シュカに責められている気分になる」


 ヨシノという存在は、ベルカの中にシュトレルカを蘇らせた。


「彼女と一緒にいると、辛かった。でも、またシュカに会えたみたいで、なんだか嬉しくもあったの。だから、だから……ぼくは、ヨシノを放っておけない。でも、ヨシノを喰い殺したくなんてない。自殺も、誰かを傷つけて欲しくもない。……せっかく、会えたのに……」


 ベルカは今、板挟みから抜け出せなくなっている。ヨシノを喰い殺したくない、しかし要求を拒み自殺させたくもない。どっちに転んでも、ベルカの心は傷つけられる。


 どうしようもないのだ。現状からの脱出法は、一つしかない。

 なにもかもを放り出して、ヨシノのことなど忘れて旅に戻ることだ。

 たしかにそれによってベルカの心は傷つくだろう。シュトレルカという心の影に、ヨシノという存在を上書きして闇を濃くすることになるだろう。

 

 だが、そうでなければそれ以上のダメージをベルカは負う。それは避けねばならない。こうなった以上、心を痛めずに先に進む方法など残されていないのだ。


 ▽ベルカ、あの医者の言う通りだ。お前はもう、彼女に会うべきじゃない。


 肩を落とし、ベルカは黙っていたが、やがてちいさく頷いた。


 ▽明日はぎりぎりまで部屋にいて、一直線に駅まで行こう。ヨシノが待ち構えているかもしれないが、俺が誘導する。お前は列車に乗ることだけ集中してくれ。な?

「……うん」

 ▽今夜は少し寝ろ。こういうときは眠った方が良い。


 布団に潜り込み、ベルカはぎゅっと目をつぶる。


 ▽大丈夫だ、安心しろ。おやすみ、ベルカ。


 すとん、とベルカは眠りに落ちた。

 一人きりになると、ふつふつと苛立ちが湧いてくる。


 こんな状況は望んじゃいない。


 俺はベルカを苦しめたくない。彼女に嫌な想いをして欲しくない。俺たちが生きるために必要な「食事」だって、可能な限りベルカの心を傷つけない方法で済ませたいと常々思っている。

 それなのに。


 腹が立つ。綱渡りをしている俺たちに、厄介事を投げつけて邪魔をしてくるこの世界に。

 ベルカを傷つけようとする明確な敵意があれば対処は楽だった。だが今回の出来事にはそれが欠けている。


 白か黒ではない。互いのエゴが絡まり合った名付けようのない色の中で、俺たちは途方に暮れている。


 だからこそ、俺は、俺たちは塗り潰さなきゃならない。相手の色が濃くなる前に、自分の色でキャンバスを埋め尽くす。


 そうしなければならないんだと、自分に言い聞かせる。疑問や反論を抱かないようにするには、一人きりの夜はあまりに長く感じた。


 溜息がこぼれる。

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