第13話
ビルの最上階ワンフロアが、ルゥの自宅になっていた。
他に家族の姿はなく、家具が少ない。妙にデカい演算装置の筐体が、居間の中央に鎮座していた。
「テキトーに座って。いま持ってくるから」
ルゥが奥の部屋に消えると、ベルカはソファの端に腰を下ろす。
何となく部屋を見回している、壁に写真を見つけた。
家族写真だろう。ルゥと、父親らしき老年の男性が写っている。場所は、ビルの中庭だろうか。母親の姿はない。
ふと、ベルカも同じ写真を見つめていることに気付く。そういえば、
▽なぁベルカ、お前写真がどうのって言ってなかったか?
「……ん、うん」
▽あれって──
「お待たせー」
ルゥが毛布と枕を抱えて戻ってきた。菓子が山積みになった器も持っている。
「まぁまぁ、ちょっとお話でもしない? ほら、お菓子もあるわ」
器をテーブルにおいて、ルゥが向かいの椅子に腰を下ろす。
「あ、うん……」
この状況でそそくさと立ち去るのは、ハードルが高かった。
▽すこし我慢だ、ベルカ。
目の前に置かれた菓子から目を背け、ベルカがちいさく頷く。
そんなベルカの様子に、ルゥがハッとした顔になった。
「あ、ごめん。ひょっとしてサイボーグ食じゃないと食べられないとか?」
「え、あ、いえ、そうじゃなくて! ただ、今はお腹がすいてないだけで……」
嘘ではない。ベルカはあと70日ほどは「空腹」にはならないのだから。
「それじゃ、お茶はどう?」
ルゥが戸棚から茶道具を取り出しながら、ベルカを見やる。
「飲んだことなくて……」
縮こまるベルカに、ルゥは優しげな笑みを浮かべる。
「ま、ちょっと飲んでみてよ」
▽無理するなよ、ベルカ。
目の前に置かれた小さな湯飲みで揺れる薄い褐色の液体を見つめ、ベルカが生唾を飲み込む。
ぎゅっと目を閉じ、恐る恐る、ベルカが湯飲みに口を付ける。
ベルカの唇に、茶の熱さが触れる。唇の隙間からほんの僅かだけ茶を吸い込み、おっかなびっくり舌に触れさせる。
「…………?」
▽……なんだこれ。
俺とベルカは、二人そろって疑問符を浮かべた。
「……飲める」
▽え!?
ベルカが再び湯飲みを傾ける。湯飲みの半分ほどを口に含み、舌で味わい、そして飲み込む。
「飲める、ルゥ、ぼく、これ飲める……」
「お口に合ったようで、なによりです」
目をまん丸にするベルカに、ルゥは目を細めて言った。
「これ、お父さんがあたしのために作ってくれたお茶なの」
屋上でルゥが口にした言葉を思い出す。お父さんが生きていた頃、と言っていた。
「ルゥのお父さんは……」
「うん、五年前に。大往生だったわ。前の日まで晩酌してた」
誇らしげに、ルゥは笑った。ベルカは、難しい顔をしていた。
「ベルカは、どうして台湾に?」
あくまで自然に切り出された質問に、ベルカは一瞬の間を置いて身を強張らせる。
「あ、別に言いたくなかったらいいよ。ワケありなんて珍しくもないし」
気にしないで、そう言ってルゥは茶をすすった。
ベルカは湯飲みを両手で包み、ぼんやりとした視線を壁の写真に向けている。
「ぼくは、写真が……」
ベルカはハッとして口を噤む。
「写真?」
「あ、や、違うの。ぼくは、ユーリ……兄の遺品を引き取りに」
死んだ兄の遺品を引き取るために台湾に来た少女。
それが、ベルカと俺が前もって決めておいた、外向けの説明だった。
ルゥが眉根を寄せる。
「お兄さんの? ベルカ、あなた家族は……」
ベルカがふるふると首を振る。
「その、他に一緒に暮らしている人とか、親身に相談に乗ってくれる人とかは」
ベルカは首を捻る。ルゥはベルカの返答に耳を傾けていた。そして、俺も。
「昔は、いたけど……みんな、いなくなっちゃって」
ベルカの過去。それについて、俺が知っていることはまだ少ない。
生命戦争――旧世界を崩壊に導いた終末戦争、その最中に投入された人喰いの人造生命兵器。それが人造妖精だ。
ベルカはその一人として、世界各地で人間を喰い殺して回ったのだと聞いた。
成層圏での核爆撃が生み出した電子パルスが世界中の電子機器を滅茶苦茶に破壊して、生命戦争はうやむやのうちに休戦状態となった。
逃げ出したベルカたちは、しばらく世界各地でくすぶる熾火のような戦場を点々とした。そこには死に瀕した人々が、死を渇望する人間がたくさんいたから。
そのころは、まだベルカのそばには仲間の人造妖精たちがいたそうだ。
だが、今のベルカは一人きりで、俺と一緒にいる。
当時の話を、ベルカはあまり語りたがらない。俺も無理に聞き出そうとはしない。
「じゃあ、ベルカは一人なの?」
おずおずと訊ねるルゥに、ベルカは一瞬きょとんとして、あ、と口を開いて両手を振った。
「ち、違うの。あえっと、違わないんだけど……その、寂しいとか、そういうのはないの。ぼくは、一人じゃないから」
ベルカの言葉に、ルゥが首を傾げる。
「あのね、こんなこと言ったら変に聞こえるかもしれないけど、ユーリはぼくの中にいてくれてるの、だから、大丈夫」
俺は思わず声を上げそうになった。だが、
「わかるよ、ベルカの言いたいこと。あたしも、自分の中にお父さんがいるって思うもの」
湯飲みを愛おしそうに見つめて、ルゥが呟いた。
彼女の言葉で、俺は冷静になった。考えてもみれば、さっきのベルカの説明で、ベルカが人造妖精でその耳に俺を宿らせているなんて理解の仕方をする人間がいるわけがない。
そのとき突然、ベルカが声を上げた。
「ルゥは……!」
あまりに唐突に発せられた大声に、ルゥは肩を震わせ、お茶を少しこぼした。
俺も飛び上がりかけたが、それ以上にベルカのその顔を見てぎょっとした。
▽どうしたんだ、ベルカ……
下唇を噛み、苦しいのを必死で隠そうとするかのようなベルカの顔に、俺も、ルゥも言葉を失った。
何を、そんなに、お前は……
「ご、ごめんなさい。何でもないの、なんでも……」
そんなワケあるか。どう見たって、今のベルカは明らかにおかしい。
だが、俺にはなんと声をかければ良いのか解らなかった。
湯飲みを置く音が聞こえた。
柔らかな衝撃が、ベルカを包みこんだ。
駆け寄ってきたルゥが、ベルカを抱きしめていた。
彼女の手がベルカの髪を撫でる。俺の身体を、ルゥの指がなぞっていく。
ベルカを凍り付かせていた緊張が解けて流れ出していく。
解けた不安が、ベルカの頬を静かに伝う。
言葉などなかった。必要ではなかった。
そこにはただ、抱きしめるという行為があれば良かった。
ベルカを抱きしめ、頭を撫でるその腕が、手が、指があればそれで充分だった。
ルゥの背中に手を回し、ベルカがぎゅっとしがみつく。
しばらく二人は言葉もなく、ただそうして身を寄せ合っていた。
そしてそのことが、俺には、何もできない俺には、叫び出したくなるくらいに羨ましいのだった。
取り乱したことを詫びるベルカに、ルゥは頬を緩めて首を振った。
「気にしないで。困ったときはお互い様。それじゃおやすみ」
ルゥから借りた枕と毛布を抱えて、俺たちは屋上の小屋に戻ってきた。
壁のスイッチを押すと、白熱電球の淡い光が家具の少ない室内を照らし出す。
寝具をソファに置いて、ベルカは腰を下ろす。
「ユーリ」
▽どうした?
「聞いて欲しいことがあるの」
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