第40話 帰宅困難
「じゃ、ここで失礼します」
凪人はドンチャン騒ぎを続ける会場を後にすべく、貸し切っているパーティールームの外、プロデューサーと監督に挨拶をする。
映画の製作というのはこんなにも沢山の人が関わっているのだと驚いたし、顔合わせ後の懇親会では演技論や映画論、とにかく熱い話がそこかしこで討論されており、この世界での熱量も知った。
いつまでも終わりそうにない懇親会は、一人、また一人と参加者が抜けていき、人数が減るほどに話が濃くなっていくようだった。
「あ、そういえば大和君、さっき見せてもらったよ~?」
赤い顔でニコニコしながら言い寄ってくるプロデューサー。酒臭い。
「はい?」
「事務所のホームページ。大和君の動画、今日から上げてるから是非見てくださいって橋本さんに言われてさ」
「ああ……、」
沖縄で撮ったムービーのことだ。
なるほど、今日の顔合わせに間に合わせたのか。ちゃっかり宣伝している橋本は、やはりマネージャーとして優秀である。
「え? 何ですか、それ?」
どうやら知らなかったらしい監督が聞き返す。凪人は自分の携帯で動画を流し、
「これの事ですよ」
と監督に差し出した。
「へぇ、宣材ムービーか。これどこ? あ、沖縄か……いいね」
「大和君さ、なんでここで笑ったの? これって誰の指示?」
真面目な顔で聞いてくる。
「え? あ、いや指示っていうか……ここで泣いてって言われたんで、」
「でも最後、微笑んだよね?」
「そうですね。今はいない恋人とマリア像の顔が重なって、自然に……ですね」
「自然に!?」
掴みかからん勢いで、監督。
「えっと……、なにか、まずかったんでしょうかね?」
昔何かで使われていた演出のパクリだったとか?
「……あ、いやごめん。逆だよ。とてもよかったから気になってね」
そう言ってばつが悪そうに笑う。
「じゃ、気を付けて帰ってね」
プロデューサーに差し出された右手を握り返す。
「では、」
「撮影、頑張ろうね」
「はい、おやすみなさい」
二人に頭を下げ、店を出て、帰路につく。
鞄の中には、今日渡されたばかりの台本が入っている。少しだけ、緊張していた。
*****
アパート近くでタクシーを降りた。ふと見上げると、
「あれ?」
遥の部屋の電気が暗い。
寝るにはまだ早い時間だと思うのだが。
携帯を取り出し、電話を掛ける。
『もしもし』
「あ、遥さん。外ですか?」
『ああ、ちょっとな』
ガヤついている外の音を聞くに、どこかの店にいるようだ。
「俺、先に家に、」
『はーちゃん、早くっ』
(んんんん?)
「遥さん、今どこです? 昴流の声してませんっ?」
こめかみがピクつくのを感じながら冷静を装って訊ねる。と、
『悪い、今日は遅くなるかもしれないからまた明日話そう』
プツ
一方的に電話を切られる。
(なぁ~にぃ~?)
また明日、などと言われて納得出来るはずがない。向こうで、昴流の声がしていたのだから!
家まで戻ったというのに、すぐさま踵を返す。場所ならわかる。頭のアンテナがある限り迷いはしない!
あの、喫茶店だ。
そこに、いる。
車より電車の方が早いと踏み、急いで向かう。なぜこんな時間に遥があの場所にいるのか? 昴流は未成年を理由に、映画の懇親会を大分早い段階で切り上げている。ということはつまり…、
「俺がいない間に抜け駆けとはなっ」
敵もさるもの。
油断大敵である。
昼間は喫茶店だが、夜はお酒を出す店になるようだ。今日は貸し切り、の看板が出ているが…、
「遥さん、中にいるのか?」
チラ、と中を覗くと、中にいた昴流と目が合ってしまう。
カララン、と店の扉が開き、昴流が中から顔を出す。
「なんでお前がここにいるんだよっ、大和凪人!」
「そういうお前こそ、どういうつもりだっ。なんで遥さんがここにいる? お前、懇親会早抜けしてなにやってるんだよっ」
「はっ、お前に関係ないだろう。今日は俺の映画出演祝いで関係者以外立ち入り禁止なんでね。部外者はお帰り願おうか」
シッシッ、と掌で払う仕草をする。
(ムカつくわ~)
「遥さんと話をさせろよ」
「やなこった。ベーッ」
ご丁寧にあっかんべーをしてドアを閉じる昴流。
「あ、おいっ」
無情にも閉じられた扉の前で立ち尽くす。
凪人は遥に電話を掛けた。が、繋がらない。多分昴流が手を回したのだろう。
ふと、冷静になってみる。
俺はここで何してるんだ? と。
なんだか妙な感じだ。高校生相手にムキになってみたり、一日会えないだけで不安になってみたり、こんな風に必死に追いかけてみたり。知らなかった自分の顔がガラスに映っている。かっこ悪くて、ちっともイケてない一人の男(宇宙人)……。
「……でも、それも悪くないかもな」
ふっと微笑む。
(今日くらいは、大人しく帰るか)
ふらっと歩き出す。
空には、月。
こんな風に空を見上げて歩いたことなどあったろうか。少なくとも大人になってからはなかったのではないだろうか。ただの月を美しいと思える自分がいるなんて。
道路脇、小さな公園のベンチに座り、ふぅ、と息を吐き出し、空を見る。
「月が……綺麗ですね」
何とはなしに口にする。
「死んでもいいわ、か」
「えっ?」
いつの間にかすぐそこに遥が立っていた。同じように、空を見上げている。
「遥さんっ?」
凪人がベンチから立ち上がる。
「情緒、の概念は理解するが、なぜ日本人というのはすぐに命を懸けるんだろうなぁ」
空を見たまま、遥。
「ああ、死んでもいいわ、の話ですか?」
夏目漱石の『月が綺麗ですね=愛しています』と、その返事として有名な二葉亭四迷の『死んでもいいわ=私も愛しています』の件だ。
「私としては、そう簡単に命を投げ出すなと言いたい」
至極真面目な顔で、遥。思わず吹き出してしまう、凪人。
「ふふ、」
「おかしいか?」
「いえ、遥さんらしいな、って思って。で、どうしてここに?」
昴流の会はどうしたのか?
「迎えに来たんだ。事情を聴いたマスターが、是非凪人にも参加してほしいと」
「……えぇ? 昴流のお祝いの会にぃ?」
あからさまに嫌な顔をする凪人。
「お前も出演者だろ? 一緒に祝うから、凪人もおいで」
遥がスッと手を差し出す
差し出された手を、凪人は秒で握り返した。
(うわっ、うわっ、手を! 繋いだ! 嬉しいっ。遥さん、手、ちっちゃ)
小学生並みの感想だ。
そのまま並んで店まで歩く。
何を話すでもなく、ただ、手を繋いで。
この時間が永遠に終わらなければいい。
凪人は月の光に照らされる遥の横顔を見ながら、そう思わずにはいられなかった。
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