第39話 飲酒誘導
「ねぇ、ちょっと遥! これ見たっ?」
空き時間に保健室に滑り込んできたのは、国語教師の宮田亜理紗である。
「なんだ、騒がしい」
書類から顔を上げ、遥。
「これ! 王子の事務所のホームページだってば!」
携帯を突き出す。
「は?」
出された画面を見る。
流れてくる映像と音楽。そしてストーリーがいかにも亜理紗好みである。
(私には、青いけどな)
写真も、映像も、遥には遥目線の凪人でしかないのだ。いわゆる、
『私、みんなとは彼に対する見方が違うっていうかぁ~』
というあれの、リアルバージョンである。
「すごいわよねぇ~。なんだかあっという間に遠くに行っちゃったって感じだわ」
そんな遥を余所に、亜理紗は大興奮である。自分の知り合いが芸能人として活躍する、ということ自体、なかなかない経験だからわからないでもないのだが。
「今頃どうしてるのかなぁ」
さすがに、アパートの隣同士で住んでいることは奈々以外誰にも話していなかった。面倒なことになりそうだからだ。
「それより亜理紗、今日の飲み会だが」
久しぶりに飲みに行こうと誘われていたのだ。
「あ、うん。お店はねぇ、ここ」
見せられた店は、いつも行くような居酒屋ではなく、お洒落なショットバー。
「珍しいな、こんな高そうな店」
「あら、たまには私だってこういう店に行きたくなるわよぉ?」
くふふ、と意味深に微笑む。
「じゃ、また放課後ね!」
ご機嫌な様子で保健室を出ていく亜理紗。
「お洒落な店、か」
あまり興味はないのだが。
でも、いつも同じ店というのも味気ないか、と思い直し、自分の携帯で店の名前をググる。そして、思い立ったように、
「あ、凪人に言い忘れていたな」
今日の予定を言い忘れていたことに気付いたのだ。知らせておいた方がいいだろうか、と考えたが、すぐに思い直した。
(いや、確か今日は凪人も帰りが遅いんだったか……?)
初顔合わせのあと、懇親会だと言っていたような気がする。それに、
(そんなに細かく報告する必要……ないよな)
奈々に言われたように、なんとなく毎日連絡を取り合ってベランダで話をしているが、当初の目的が何だったかは、もうすっかり忘れていた。
「あまり遅くならない時間に帰ればいいさ」
そう言って、再び机の上の書類に視線を落とした。
*****
「かんぱ~い!」
ニコニコしながらグラスを掲げる亜理紗とは対照的に、すこぶる不機嫌な顔でグラスを傾けているのは遥。
お洒落なバー……。
そこにいたのは遥と亜理紗だけではなかったのだ。学校を出るとき、音楽を教えている阿部凛々子が合流した。それ自体は別に構わない。だが、
「じゃ、自己紹介から始めようか」
そう言って場を仕切り始めたのはビシッと紺のスーツを着こなした男。更に二人の見知らぬ男。つまり……
「これが合コン…、」
騙された。
そんなことは聞いていないのだ。
「えっとぉ、国語教諭やってます、宮田亜理紗ですっ」
「おお~」
「先生、いいねぇ」
男たちが盛り上がる。
「私は音楽を教えてます、阿部凛々子です。楽器は、ピアノとクラリネット、バイオリンを少々」
「すごいな!」
「芸術家っぽいよね~」
いちいちコメントを入れてくる。
「ほら、遥!」
亜理紗に言われ、仕方なく後に続く。
「谷口遥。養護教諭」
ぶっきらぼうなことこの上ない。
「マジ!?」
「保健の先生か~」
「いいねぇ」
今日イチの反応を見せる。
亜理紗がそんな彼らを遮って促す。
「さ、今度は皆さんの番ですよぉ!」
目が、肉食獣のそれになっていた。
*****
「つまらないですか?」
隣に座ってきたのは、もさっとした感じの男。確か…、
「えっと、水沢……さん?」
「あ、名前覚えてくれてるんだ」
くしゃっと人のよさそうな顔で笑う。
三人は会社の同期らしい。上場会社の若手社員。どこで見つけてきたのか知らないが、亜理紗もよくやるもんだ、と感心する。
「谷口さんは、合コンだって知らないで連れてこられたんですね」
「ま、そういうことです」
遥がグラスを煽る。と、水沢がすかさず店員を捕まえ
「何にします?」
と聞いてきた。
「同じのを」
店員が頭を下げ、去っていく。
「水沢さんは、自らの意思で?」
おかしな質問ではあるが、他の二人と違って水沢は大分落ち着いているように見えるのだ。つまり、出会いを求めているわけではないのでは? と推測する。
「あはは、わかりますか? 私も連れてこられただけなんですよ」
「やっぱりか」
聞けば、遠距離恋愛中だとのこと。たまには息抜きも必要だから付き合え、と人数合わせに引っ張られたらしい。
「谷口さんも、彼氏が?」
「いや、彼氏は……いない」
言い淀んでしまった遥に、水沢がすかさず突っ込む。
「あ、彼氏じゃないけど気になってる異性がいるんだ?」
「えっ?」
「図星ですね?」
そんな会話を亜理紗が茶化す。
「んもぅ、遥ったらまだ二次元? そろそろ三次元に帰っておいでよぉ!」
完全に出来上がっている。
「あ、そっち系なんですか?」
水沢が訊ねると、亜理紗が頷く。
「そうなんですよぉ、遥ってば二次元に嵌ってて、なかなかこっち側に戻って来てくれないんですぅ」
そんな友人を心配して無理矢理外に引っ張り出しているんです感を出しながら、友人思いの優しい私、をアピール。さすがだ。
「ま、そういうことだ。不機嫌で申し訳ない。私は先に帰るから、後はみんなで楽しんで」
テーブルにお金を置き、荷物を持つ。
「ええ、帰っちゃうの?」
男の一人が焦った顔をする。が、遥はお構いなしだ。
「亜理紗、凛々子先生、また来週」
そう言い残し、店を出る。
飲み会開始から一時間くらいか。まぁ、いいだろう。
(あの四人は盛り上がっていたようだし)
残る一人は彼女持ち。これで彼も帰りやすくなっただろう、などと考えていると……、
「おおい、谷口さ~ん!」
後ろから水沢が追いかけてきたのだ。
「上手く抜けられましたか?」
遥が訊ねる。
「ありがとう、おかげで彼女との定期連絡時間に間に合いそうです!」
嬉しそうに、笑う。
「そうか、それはよかった」
「谷口さんも、二次元じゃない彼とうまくいくといいですね!」
爽やかな笑顔で言われ、小さく息を吐き出す遥。
「ん?」
携帯電話が振動している。そこにはよく知る人物の名が記されていたのである。
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