第36話 帰宅直後

「じゃ、俺、用事あるんで、すみませんがここで失礼します」

 橋本マネージャーにぺこりとお辞儀をし、別れる。


 病人を連れて先に帰ることになった遥は、今、保護者に会って事情を説明していた。引き渡しが終われば自由の身になるはずだ。


「遥さん、何処かな……、」

 空港は人でごった返していた。

 凪人は邪魔にならないよう柱の脇に移動すると、遥の気配を探った。

「いた!」

 迷わず向かう。


 タクシー乗り場で、生徒とその保護者を見送ったところのようだ。

「遥さん!」

 カラカラとキャリーケースを引き、凪人が駆け寄る。

「生徒さん、大丈夫でした?」

「ああ、熱は高いが問題ないだろう。で、どうしてここが……は聞くまでもないか」

 遥の視線が凪人の頭の上に向けられた。


「どこかで夕飯でも食べて帰りましょうか」

 遥を誘う。が、

「いや、すまないが私はこのまま帰るよ」

 断られてしまった。


 凪人が遥を見る。

「……なに?」

 あまりにじっと見つめられ、遥が眉間に皺を寄せた。


 凪人は何も言わず遥の腕をとり、タクシー乗り場まで歩く。いつにない強引な動きに、遥が驚く。

「おい、なんだ凪人っ」

「なんで我慢するんですかっ。遥さん、具合悪いでしょ?」

 ドアが開いたタクシーに遥を押し込み、二人分のキャリーケースをトランクに入れると、タクシーに乗り込み行き先を告げる。


「嫌かもしれないけど我慢してください」

 凪人が遥の肩に手を回し、自分の体に寄りかかるよう倒す。

「随分積極的だな、凪人」

 ふふ、と遥が力なく笑う。

「遥さん、熱、ありますよね?」

「バレたか……、」

 少し、呼吸も荒いようだ。


「遥さん、医者行きますか?」

 救急診療になるが、何処か探したほうがいいかもしれない、と思ったのだが、

「いや、大丈夫だ。薬なら家にある」

「わかりました」

 そのまま自宅に向かう。


 タクシーを降りる頃には、遥の容態も悪化。一人で立つのがやっとの状態になっていた。運転手に荷物を下ろしてもらい、遥を支える。部屋の鍵を受け取り、開けた。

「ありがとう。あとはもう、」

「なに言ってんだか」

 ドアを閉めようとする遥を押し退け、中に上がり込む。

「おい、凪人、」

 遥が止めようとするが、無視する。


 遥のキャリーケースを玄関先に入れると、上がり込んで冷蔵庫を確認する。やっぱり、何もない。

「とりあえず、飲み物と、食料品が必要ですね。買ってきます。遥さんは着替えて、ベッドで横になってください」

 自分でも驚くほど、スムーズに指示を出していた。

「……そう……だな」

 歩き出そうとしてふらつく。よろける遥を凪人が抱きとめた。


「医者の不養生とはこういうことですね」

 ひょい、と遥を抱き上げる。

「おお、これがお姫様抱っこ……、」

 遥がぐったりしながらも、口にする。

 寝室に運び、ベッドの上に降ろす。安心したのか、そのまま横たわってしまう遥。

「ああ、もう、せめて着替えを、」

「いい、面倒」

 凪人の言葉などお構いなしに布団に潜りこむ。そんな遥を横目に、凪人が溜息をつく。

「仕方ないな。じゃ、俺買い物行ってくるんで、大人しく寝ててくださいよ。あ、鍵、お借りしますね」

 小さく頷いたのを確認し、外へ。


 コンビニまで小走りに向かい、プリン、ゼリー、スポーツドリンク、うどんなどを買い込む。こんなときはアイスもいい。思い立って籠に入れる。

 急ぎ、アパートに戻る。


 部屋に入り、買ってきたものを冷蔵庫にしまう。

 薬を飲ませなければならないな、と、すぐに食べられそうなゼリーを持って、寝室へ。


「遥さん、どうですか?」

 チラ、と覗くと、布団にくるまっている遥が震えているのがわかる。

「遥さんっ!?」

 駆け寄る。酷い汗だ。

「遥さん、やっぱ着替えないとダメだ。着替え、何処です?」

 訊ねるが、返事はない。

「ああ、もう、開けますよ!」

 凪人は箪笥の引き出しに目星をつけ、スエットを探す。


「ほら、一旦起きますね」

 遥を抱え、半身を起こす。

「服、脱げますか? これ、着替えです」

 半分寝ぼけたような遥にスエットを渡すと、服のボタンを外し始める遥。

「わっ、ちょっとっ」

 慌てて凪人が部屋を出た。

「急に脱ぐなっての」

 心臓がドキドキする。


 少し、間を置き声を掛ける。が、返事がない。そっと中を覗くと、上だけスエットの遥がひっくり返っている。下は下着のままである。

「あああ、もぉぉぉ!」

 女の下着姿など今更、な経歴の持ち主である。しかし、脳内は大パニック祭り開催中なのであった。


「……寒い」

 遥が呟く。

「でしょうねっ、下丸出しですからっ」

 何とか遥の態勢を整え、布団を掛けてやる。

「薬の前に少し食べてください、ほらっ」

 枕を背に、少しだけ体を起こす。スプーンとゼリーを渡すと、遥が何故か口を開けた。

「へっ?」


 これは、もしや『あーん』というやつなのでは!? と浮足立つ。震えそうな右手にぐっと力を籠め、ゼリーを乗せたスプーンを遥の口に入れると、ぱくりと食べる。

「……これが、あ~ん、……か、」

 遥が言い、更に口を開ける。

 凪人は次々にゼリーを口に放り込んだ。


(うわ、なんだこれ……楽しい!)


 大人しく差し出されたゼリーを食べる遥。ペロッと食べ終えたところで薬の場所を聞き、水と一緒に渡す。

「それ飲んで、寝てください」

「すまないな、凪人。何から何まで」

 コクリ、と水を飲み、一息つく。


 遥を横にし、布団を掛ける。立ち去ろうとする凪人の服を、遥が掴んだ。

「……なんです?」

「寒い」

「ああ、他に布団は……、」

「寒い」

「わかりましたって。今布団を、」


「あっためて……、」

「ふぇっ!?」


 心の底から変な声が出た凪人である。

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