第25話 毎日一回

 オーディションは無事終了した。結果が出るまで一週間から十日。あとは待つだけだ。


 凪人は事務所に報告しに行き、その足でスーパーに立ち寄る。独り暮らしを始めて思ったが、なんだかんだとやることが多い。

 近くのスーパーはこじんまりしているが品揃えは悪くない。簡単に作れるよう、パスタや冷凍食品、カップ麺や飲み物などを買い込む。


「ねぇ、あの人さぁ、」

 買い物をするだけでも、コソコソ囁かれ、レジではパートのおばちゃんがぽーっとした顔でレジを打つ。少し前の自分だったらここぞとばかりに愛想を振り撒いていたに違いない。が、今はもう、そんなことには全く興味がなかった。


(変わるもんだな)


 ぼんやりとそんなことを考える。


 控室で昴流に宣言したことで、妙な爽快感がある。と同時に、焦りも生じていた。昴流ごときに焦りを感じる自分にも驚くが、なによりも『会いたい』という気持ちが日を追うごとに強くなっていく。部屋は隣でも、そう毎日チャイムを押すような用事はないのだ。どうやって遥に会えばいいのだろう。


「……夕飯に……誘う、とか?」

 とっぷりと暮れた空を見上げながら、声に出してみる。

 しかし、今までずっと誰かが作ってくれたご飯しか食べてこなかった凪人である。料理など、したことがない。

「胃袋から攻める、ってやつか」

 ブツブツと呟く。


 アパートが見えてくる。見上げると、遥の部屋はまだ暗いようだ。

「早く帰ってこないかな」

 飼い主を待つ犬のような凪人だった。


*****


 その頃遥は、奈々と飲んでいた。


 社会人になってからはお互い忙しく、そう頻繁に会うこともなくなっていたのだ。なのにここ数週間で距離感が随分縮まっている。


「で、どうなのよ、独り暮らしは楽しくなりそうなの?」

 グラス片手に聞いてくる奈々に、遥が神妙な面持ちで答える。

「……正直、」

「うん」

「面倒臭い」

「ちょっ……、」

 奈々が吹き出しそうになるのを堪え、グラスを置く。


「遥ったら、自分の歳考えなさいよ? いつまで実家でグダグダやってるから面倒だとかいう感想になるのよっ」

 精神的自立は大事なことである。

「しかしだ。飯は用意しなきゃならん、買い物に行かなきゃならん、洗濯も掃除も……、」

「それが普通なの! まったく」

 サラダを口に運びながら、呆れる。


「隣に凪人がいるんだから、呼び出しゃいいじゃない」

 モグモグと咀嚼しながら言う。


「そういう奈々は凪人を都合よく使い過ぎじゃないのか? 元カレなんだろう?」

「ビジネスパートナーよ!」

 言い直す。


「遥は……ああいうタイプ苦手なんだっけ?」

 顔だけ良くて中身のないチャラ男のどこがいいんだ、と言われるに違いないと思いながらも、つい聞いてしまう。

「得意ではないな。しかし、実習に来た時から比べると、凪人は大分変った気がする」

 軽く腕を組み、思い返す。


 確かに初日の印象は最悪で、ただのチャラ男だと思ったのだ。が、次第にその印象は変わりつつある。


「何故だ?」

 つい、奈々に聞いてしまう。

「何故って……、ねぇ、前に言ってたけど、遥って学校で生徒たちの恋愛相談とか乗ってるんでしょ?」

「まぁ、適当にな」

 かなり的確な返答だと兄のみつる経由で聞いたことがあった。遥の助言でそこそこの数のカップルが誕生しているのだ、と。


「自分の近くは見えないわけ?」

「何の話だ?」

 きょとん、とした顔で奈々を見遣る。奈々は大きく息を吐き出すと、グラスを煽った。

「こりゃ大変だ」

 凪人に同情する。


「なんだ? なにが大変なんだ?」

 意味の分からない遥が奈々を問い詰める。


「さっき言ったわよね? 凪人が変わった気がするって」

「なんだ、話が戻るのか?」

「そ。凪人はね、変わってきてるのよ。今までになかった状況に陥ってるせいでね」

「ほぅ、」

 ここまで言っても全くピンと来ない遥を前に、奈々は段々イライラしてくる。が、ここで『凪人は遥のことが好きなのよ!』と言ってしまうのは、さすがに凪人に対して失礼だろう。どういえばいいものか、と頭を悩ませる奈々である。


「彼、今まであの容姿のせいで周りの女性にチヤホヤされて生きてきたわけ。遥も気付いてると思うけど、自分から誰かを好きになったこととかないんじゃないか、ってくらいね」

「ああ、それはよくわかる」


(そこはわかるんだ)


 奈々が脳内で突っ込みを入れる。

「そんな彼が、今、生まれて初めて自分から人を好きになってるみたいなのよ」

 このくらいは言ってもいいだろう。

「なるほど、興味深いな」

 遥が頷く。

「でね、その辺、遥少し面倒見てあげてよ」

「……なんで?」

「いや、なんでって…、」

 一瞬言い淀むも、パン、と手を叩く。

「お隣さんのよしみで!」

 強引だが仕方ない。


 折角隣人になったとはいえ、このまま放っておけば多分『ただの隣人』で過ごしてしまうだろう。何かしら、接点を作っておかないと一向に先に進みそうもない。


「都会の一人暮らしは近所との関係が気薄だと聞いていたんだが」

「嫌ねぇ、いつの時代の話よ。今や都会では『隣人同士で助け合う』が基本中の基本だからね?」

 適当なことを言っておく。

「そうだったのか……、」

 遥は奈々の言葉を鵜呑みにした。


「ってことだから、凪人の事、よろしくね」

 無茶なこじつけではあるが、これだけ言っておけば少しは気にかけてくれるだろう。あとは凪人本人が何とかするしかない。

「しかし、具体的になにをすればいいのかわからんな」

 首を捻る遥に、奈々が言った。


「とりあえず、一日一回は顔見せてあげればいいんじゃないかな?」

 毎日顔を突き合わせていれば、否が応でも何かが始まるに違いない。


 奈々は心の中で深く、頷いたのである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る