第23話 練習開始

 目はギンギンに冴えている。

 目の前には、パジャマ姿の遥。

 無防備で、可愛くて、手が届くところにいるのに触れられない。

 それどころか……、


「本気か?」

 怒っている。

 時刻は既に日を跨ごうかというこんな時間に、凪人は真剣に頷いた。

「俺は、本気です」

 真剣に、訴えていた。


「そんな体でよくオーディションを受けようなどと思ったな」

 結局、遥の片付けが想像以上に時間をくってしまい、夕飯を食べ終えてからもなかなか練習を始められなかったこともあるのだが、それよりも…、

「仕方ないじゃないですかっ。演技なんかしたことないしっ」

「言い訳をするな!」

 ぴしゃり、と一喝する遥。


「事務所のレッスンは受けたといったな?」

「はい。何度か」

「なんと言われた?」

「もう少しだね、と」

「嘘だ!!」

 ソファから立ち上がり、凪人を指す。


「そんな忖度の言葉を鵜吞みにしていては受からんぞ! いいか、台詞というものは、だなっ」


 さっきからずっとこの調子である。


 オーディションがどのような形式なのかは発表されていない。だが、マネージャーの橋本曰く『面接のあと、配布されたセリフを2、3言わされるのが一般的』らしい。

 そんなわけで二人は、カレントチャプターの漫画本片手に適当なシーンを練習しているのだが……。


「じゃ、ここの台詞をもう一度だ」

 遥が漫画をめくり、吹き出しを指す。凪人が台詞を確認し、挑む。


『世の中に生まれた命はなぁ、生きたいから生まれてきたんだっ。生きると生まれるは同じ字なんだぞっ。天命を全うするまで、死ぬだの殺すだのという茶々があってはならんのだっ! 断じて!』


 これはサカキの台詞である。

 誘拐してきたヴィグという少年に放つ感動的な台詞である。ハッキリ言って、そこまで下手ではない。だが、遥は眉を寄せ、怖い顔のままだ。


「……ダメ?」

 なんだか落ち込んできた凪人である。

「ってか、これって一期のサカキの台詞ですよね? 今回やるのは二期なんで、このセリフは出てこな、」

「ばかもん!」

 パシ、とデコピンを食らう。

「痛って!」

「一期のサカキを理解出来ずして、いつのサカキを理解出来るというのかっ。ヴィグもだぞっ? どの役になるかはわからないのだろう? まずはこの作品を理解することが出来なければ先には進めん!」


 サカキのことになると寸分の妥協も許さない遥である。


「凪人、サカキという人間を作っている源はなんだ?」

 この質問……、もう何度目だろう。

「愛、です」

「そうだ、愛だ! サカキは愛で作られているんだっ。この物語は、愛の物語だ。わかるかっ?」

「はい、わかりますっ」

「それを、出せ!」


 何とも抽象的なのである。

 そう、愛だ愛だと言われても、凪人にはどうもピンとこない。理解は出来るつもりだが、出せ、とは…?


「愛を……出す……、」

 考える。

 ふと、視線を上げると、そこに遥がいた。何とも言えない、気持ちになる。体の奥底から湧き上がってくる得体のしれない『なにか』が凪人を沈めていく。苦しいのに、どこか心地いい感覚に身を委ねる。


 凪人はスッと立ち上がると、ゆっくりと遥の前に立った。そっと手を取り、遥を見つめる。焦れたような視線。


『……例え君がこの世のものではなくなる日が来ても、俺は君を忘れることはないだろう。例え君が手の届かない遠くへ旅立ってしまったとしても、俺は君を愛し続けるだろう。この命尽きるまで、変わらずに……、』


 遥が目を見張る。


 これは……。

「サカキ……、」


 呟くと、凪人の手をキュッと握り返した。凪人がそのまま遥を抱き寄せようとしたその瞬間、弾け飛ぶように遥が離れた。


「すごい! すごいぞ凪人! そうだ、今のその呼吸を忘れるな! 今のは完璧にサカキだったぞ! いやぁ、痺れた!」

 大興奮である。

「しかし、まさかエピソードゼロの台詞を持ってくるとはな。いやぁ、これは驚きだっ」

 はしゃぎまくっている。


 今のは、遥が言うようにエピソードゼロ……若かりし頃のサカキが、彼の想い人であるアルロア・ベルを想い呟く言葉なのである。

「やればできるじゃないか!」

 バンバンと凪人の背を叩く遥。

 凪人は、一瞬我を忘れたあの瞬間を思い出し、放心していた。


(なんだ、さっきの……、)


 初めての感覚だった。目の前の遥に向けて放ったのだ。サカキがアルロアに言ったように、気持ちを込めて……。これが弟、タケルが言っていたやつなんだろうか。


「ああ、もうこんな時間か。長いこと付き合わせてしまって悪かったな。そろそろ解散しよう」

 遥が壁の時計を見て、言う。

「あ、いえ。俺の方こそこんな遅い時間までお邪魔しちゃってすみませんでした」

「役に立ったなら幸いだ」


 本当は帰りたくなかったが。


「とても役に立ったと思います」

「今の調子ならオーディションも問題ないだろう。頑張れよ!」

「はい」


 帰りたくないのだが。


「……ん? まだ何か、」

 遥が凪人を見上げる。

「帰りたくない!!」

「は?」

「あ!」

 声に、出た。しかも結構強めに。


「どうした? そんなに不安なのか?」

 心配そうに凪人を見上げる、遥。

「……あの、はい。とても不安です!」

 心にもないことを言ってみる。

「芸能界というのは、大変なんだな。そういえば昴流も大変だと言っていた」


 ピキーン


 昴流の名を聞き思わず触角が硬くなる凪人である。


「そういえば昴流……さんて、その、遥さんのこと……好きなんですか?」

 つい、深追いしてしまう。

「そうらしいな。まぁ、どこまで本当なんだか怪しいもんだが」

 ふふ、と笑う。

「遥さんはっ、」

「ん?」

「いえ、その……。おやすみなさいっ」

 慌てて部屋を出る凪人。


「どうしたんだ、一体?」

 首を傾げる遥であった。

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