第22話 隣人同士
「ご苦労様」
遥が最後の荷物を受け取り、引っ越し業者を見送った。
振り返れば、部屋の中はそれなりに新生活が始まる予感に溢れている。
「あ~、お腹減ったぁ」
騒いでいるのは奈々である。引越しの手伝いをすると言って押しかけてきたのだが、ものの三十分もしないうちにこれだ。
「まったく、何しに来たんだ、奈々。手伝いに来たんじゃないのか?」
腰に手を当て、へたり込んでいる奈々を見下ろす遥。
「だぁってぇ。もうお昼過ぎたもん」
時計を見ると、確かに昼はとうに過ぎているようだ。
「腹が減ってはなんとやら、か。じゃ、昼にするか」
「わーい! 凪人、お昼だって!」
部屋の奥、段ボールを運んでいる凪人に声を掛ける奈々。
「悪かったな、凪人。手伝わせて」
遥がそう口にすると、横から奈々が割り込む。
「あら、凪人は喜んで手伝ってくれてるんだから気にすることないわよ? ねぇ?」
凪人に話を振る奈々。
「それに、ただってわけじゃないもの」
「え?」
「は?」
奈々の言葉に、遥と凪人が反応する。
「ただじゃないって、」
「引っ越し手伝う代わりに、遥にもあることを手伝ってほしいって、凪人が」
凪人の知らないところで話が勝手に進んでいく。
「ちょっと、何の話だよっ」
何を言われるのかと焦る凪人。
「明後日のオーディションに向けて、少し練習に付き合ってあげてよ、遥」
わりとまともな話でホッとする凪人。これを口実に一緒にいられる時間が増えるなら万々歳だ。
「私がか?」
遥が驚いた顔をする。凪人を見ると、キラキラした瞳で遥を見ている。
「モデル以外の仕事を受けるのは初めてなんですって。しかも役者なんて未知の世界。少しナーバスになってるみたいだから。ね?」
「私は演技経験なんかないぞ?」
断ろうとする遥に、すかさず凪人が畳みかける。
「でもっ! 遥さんはカレントチャプターへの情熱があるじゃないですかっ。その辺のことを詳しく伝授してもらえたらっ」
可愛くお願いモードである。
「……まぁ、物語の解釈やキャラクターについてなら無限に語れるかもしれないが……、」
「充分です!」
「……そこまで言うなら。練習に付き合うのは構わないんだが……、」
「お願いします!」
そう。オーディションは明後日。もう目前なのだ。
「わかった、やろう」
「よっしゃ!」
思わずガッツポーズをしてしまう凪人である。そしてそんな凪人を、肩を震わせ見守る奈々である。
*****
昼を食べ、あらかた荷物が片付いたところで奈々は引き揚げてしまった。凪人は遥と二人きり……。
「飲むか?」
冷蔵庫からビールを出し、凪人に掲げる。凪人は頷くと差し出された缶ビールを受け取った。
「いよいよ一人暮らしスタート、か」
プシュ、と蓋を開ける。
「独り暮らしは初めてなんですよね?」
「まぁな。家を出ようとしたこともあるんだが、その時は親に止められたんだ。なのに今度は出て行け、だもんなぁ。まったく」
眉をしかめ、遥。
「何かあれば呼んでくださいよ。俺、すぐ隣にいるんで」
「ふふ、」
可笑しそうに声を上げる遥に、凪人が首を傾げる。
「何で笑うんですかっ」
「いやぁ、イケメン君がイケメンみたいなことを口にするもんだから」
「なんか変ですかっ?」
口を尖がらかせる。
「いいや、可愛いなと思って」
そう言ってビールを飲み、凪人の顔を見上げる。
(ちょ、ダメだって、その顔っ)
ほんのり染まる頬。眼鏡の奥の強気な瞳。完璧に可愛いのだ。
「俺たちって、」
凪人が、手にしたビールをグッと煽った。
「俺たちってどういう関係なんですかね」
「うん?」
「隣人? 推し仲間? 奈々の友人?」
(それとも…、)
「なんだ、そんなの何でもいいだろう。そんなことにこだわるタイプか?」
そうだ。
今までだったら関係性に名前を付けることなどなかっただろう。恋人、という存在にすら、正確な名前など付けたくなかったくらいだ。なのに……どうしてか遥との関係には、名前が欲しくなっていた。それが例え『隣人』だとしても。
「俺……遥さんとは繋がってたい……、」
ぼそり、とそんなことを口走る。遥が驚いた顔で凪人を見た。
「どうした? 柄にもないことを。……もしかして……、」
遥が息を呑む。この想いに、気付いただろうか。
「……ホームシック?」
ズル、
「違いますよっ」
「寂しい病でも発症したのかと……、」
「ああ、それはあながち間違いではないですね。なんだか最近、妙に寂しくなることがあります。あなたのことを考えると…」
「え?」
凪人が遥をじっと見つめる。
「凪人……?」
「俺、こんな風になるの初めてなんです。これって何なんですか? 養護教諭ならわかるでしょ?」
ずい、と迫る。
「それは……、」
遥が視線を外す。
「責任……取ってくれません?」
缶ビールをテーブルに置く。両手を伸ばし、遥を包み込む。すっぽりと腕の中に納まってしまうこの得体のしれない生物に、どうしてこんなに振り回されるのか。こうして抱きしめているだけで、どうしてこんなに切なくなるのか……。
「我々の関係か……。ま、推し仲間で隣人、だろうな」
「あ……そうですよね」
現実に引き戻される。
「で、特訓とやらは今夜でいいのか?」
律儀にも、本当に特訓に付き合ってくれるようだ。それは有難い話である。が、
「俺は……いつでも。……けど、」
まだ段ボールの残る部屋を見る。引越し当日の夜だ。ゆっくり片付けがしたいのではないかと思ったのだが。
「ああ、気にするな。片付けるのに大して時間は掛からんだろ。そうだな……、一旦解散して、夜集まるか」
「わかりました。じゃ、何か食べるもの買っておくんで、夕飯食べてからにしましょう。何か食べたいものありますか?」
「任せるよ」
「わかりました。じゃ、また後で」
缶ビール片手に部屋を後にする。すぐ隣のドアを開ければ我が家だ。この距離感、最高じゃないか!
「いっそ壁もなけりゃいいのにな」
部屋に戻り、そう、ひとりごちる凪人なのだった。
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