第21話 独居生活
朝からいそいそと準備をしている凪人に、弟、タケルが声を掛けた。
「急に引っ越しだなんて、どうしたわけ?」
面倒臭がりの兄がわざわざ独り暮らし…。長野の大学だって、自炊が面倒だからと祖父母の家に居候していた兄が、だ。
「どうって……なんだよ」
面白くなさそうに、凪人。
「いや、別にいいけどさ。兄貴、身の回りのこととか自分で出来るのかな、って」
「はぁ? そんなの、出来るに決まってんだろ?」
自信満々に言ってのける。
「まだ大学だって卒業してないしさ、今すぐ独り暮らしって、急だよね? オーディションだってもうすぐだっていうのにさ。ちゃんと起きられる?」
お前はオカンか、ってなもんである。
「オーディション……か、」
そう。
いわば勝負のオーディション。あのいけ好かない男……
「ビックリしたよ。まさか役者に興味があったなんてさ。やっぱりあれなの? これも谷口先生絡みなの?」
ニコニコしながら聞いてくるタケルに、凪人が慌てる。
「ばっ、なんだよ、それっ」
「だって、カレントチャプターの映画化のやつでしょ? メインはサカキじゃなくて義息子のヴィグだけどさ。……っていうか、兄貴って演技とか出来るわけ?」
「それは…なるようになるだろ」
モゴモゴと口を濁す。
そうなのだ。演技未経験。一応レッスンは受けてはみたものの、イマイチ演技というものがよくわからないのである。
「俺、経験者だからアドバイスしてあげようか?」
急に上から目線である。
「は? お前の経験って文化祭でやったクラスのやつだろ?」
そんなもの、経験には入らない。
「そうだけど、ちゃんとクラス賞もらったし、舞台観て涙した人いっぱいいたんだよ?」
「……ふ、ふぅん」
ちょっとだけ、気になり始める。
「ま、俺からのアドバイスっていうか、俺がもらったアドバイスなんだけどね、演技を上手にやる方法は『気持ちを込めて』だよ!」
「なんだ、それ?」
「だ~か~ら~、ヴィグだったら、相手はクララでしょ? 彼女への想いがどうで、どうしてあげたいと考えるのか、ってことを大事にするんだよ」
サカキが大切にしている亡き想い人の娘、クララと恋をするヴィグ。だが、凪人が狙っているのはサカキ役だ。
サカキの回想シーン……まさに想い人であるアルロアが幼いクララを残して亡くなる場面。サカキはその場にいないアルロアの夫……友人でもあるカルロ刑事のふりをしてアルロアの手を握り、カルロを演じ切るのだ。涙なしでは見られない重要なシーンだった。
「気持ちを……込めて、か」
ひとりごちる。
「役と一体になるあの感じって、結構グッとくるもんだよ、うん」
当時を思い出してか、深く頷き懐かしそうに遠くを見つめるタケル。
「ま、好きな人のために頑張るって意味では今の兄貴も同じ気持ちなんだろうし、うまく行くんじゃない?」
「ばっ、なんだよそれ……、」
「受かるといいね、オーディション」
弟に応援されて、急に恥ずかしくなる凪人である。
*****
奈々の情報によると、遥の引っ越しは明日だ。本当に急な話だったが、あの物件は素晴らしく条件が良かった。結果、二人とも即決。家が決まった途端、遥は早く家を出ろとせっつかれているらしい。そんな遥の引っ越しをさりげなく手伝うためには、彼女より先に、引っ越しを終えなくてはならなかった。
「ふ~、こんなもんか?」
段ボールだらけの部屋を見渡す。
初めての一人暮らしである。
家具や電化製品は現地調達だったし、服や靴は大量すぎるから適当に必要な分だけを宅急便で送った。それがさっき届いたのだ。
「家具の設置、完了っと」
届いたソファに腰掛け、部屋を見渡す。決して広いわけではないが、新生活……しかも隣には遥がいるというこのシチュエーションは何とも言えないドキドキ感がある。
夜中にチャイムが鳴る。ドアを開けるとパジャマ姿の遥。
「どうしたんです? こんな夜更けに?」
「いや、その……、」
モジモジと何かを言おうとする遥。
「ああ、中入ってください。今ちょうどコーヒーを煎れたんで」
部屋に通すと、中を見渡し、遥が言った。
「間取りが同じでも違って見えるもんだな」
凪人がテーブルにコーヒーカップを二つ置いた。
「そんなことより、なにがあったんです?」
遥の肩に手を置く。何かを言いたそうに俯く遥。そんな遥の髪を撫で、抱き寄せる。
「俺でよければ、何でも聞きますから。遥さん」
「凪人……、」
「はる……か……、」
ピピピピピピピピ
「うわっ!」
耳元で電子音が鳴る。
いつの間にか転寝していたようだ。
「なんだよ。夢オチかよっ」
舌打ちをし、電話を取る。
「はい、もしもし?」
『凪人? 今日引っ越しだったわよね?』
奈々である。
「ああ、そうだよ。あらかた終わったよ」
『明日は手筈通りに?』
「問題ない」
『……ふふ、』
「……なんだよ」
奈々に笑われ、ムッとする凪人。
『ほんと、変わったなぁと思って』
しみじみと、語る。
『私さ、凪人と同じで真剣に誰かと恋愛したことないじゃない? たまにさ、ああ、これでいいのかなぁ、って思うことあるのよね』
「……おお、」
『いつかさ、思いっきり…こう、我を忘れるくらいの恋愛してみたいって思ったりするわけよ』
付き合っていたころは、そんな事、微塵も感じさせなかったが。
『だからさ、凪人が遥を好きだって知った時、な~んか嬉しくなっちゃってね』
「そっか、」
『それに、見てて面白いし』
そっちが本心だろう! と喉元まで出かかるが、ぐっと堪える。
『このチャンスをちゃんと生かしてよね?』
「わかってるよ」
『じゃ、また明日!』
「ああ、また…って、奈々も来るのかっ?」
『勿論、楽しませていただくわ!』
あはは、という笑い声と共に電話が切れる。
なにか割り切れない思いの凪人である。
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