第5話 問題提起

 その日はなんだか調子が出なかった。

 授業をしていても上の空で、女子からの黄色い声も耳障りに感じた。いつもそれが当たり前で、心地いいものだったはずなのに、だ。


 昼休み、国語教諭の宮田亜理紗がいつもの如く、すり寄ってくる。


「大和せんせっ、なんだか今日、元気ないですね? やっぱり具合がよくないのかしら?」

 猫なで声で首を傾げる亜理紗を見る。ウルウルした眼差し。わざとやっているに違いないアヒル口。そうだ、これが凪人の見る「女」の顔。遥のような、あんな仏頂面ではなく。


 遥……?


(なんで谷口先生あいつのことなんかっ)


 急に恥ずかしくなる。

 どうでもいいだろう。相手は実習先の学校の、ただの養護教諭。

 しかし、さっき言われた言葉が頭をぐるぐる回って離れないのだ。


『特定の女性との付き合いは、最長でも一年程度だろう』


 その通りだった。


「……宮田先生って、お付き合いしてる方とかいるんですか?」

 半ばボケた頭で、そんな質問をしてしまう、凪人。

「えっ? わ、私ですかっ?」

 亜理紗の声が上ずって顔が赤く染まったのにも気付かなかった。

「えっとぉ、気になる人はいるんですけどぉ、お付き合いとかは、まだでぇ…、」

 モジモジしながら答える。


「付き合うって、なんなんですかねぇ……」

 溜息交じりに、吐き捨てる。


 好きですと言われれば悪い気はしない。相手が好みから大きく外れていなければ、そのまま付き合っていた。女性が喜ぶことをちょっとしてやれば、それで関係は上手くいっていたし、飽きたら離れればいいだけだ。相手も、そこまで執着してくることがなかったから揉めたこともない。


『凪人はみんなの凪人だもんね』


 いつだったか誰かにそう言われたことがある。それは凪人にとっては誉め言葉であり、実際、そうであるべきだとすら思っていたのだ。だからモデルにスカウトされた時も、芸能事務所に所属した時も、ごく自然な流れで将来の自分を思い描いた。

 ただ、教員免許だけは取っておきたいと思っていた。いくら自分の容姿に絶対的な自信があっても、芸能界で成功するとは限らない。いわゆる、困った時の保険のつもりだった。わざわざ弟の学校を選んだのは、単なるマウントだ。


「大和先生ってぇ、」

 すっかり存在を忘れていたが、亜理紗はまだそこにいた。

「はい?」

「えっとぉ、どういう女性が好きなんですかぁ? あ、それとも、もう彼女さん、いたりします?」

 獣のような目つきである。

「好み……、」

 容姿端麗? グラマー? 優しいとか……?

 頭を巡らせるが、どれもピンとこない。

「好み…って、なんなんでしょう」


 わからない。考えれば考えるほどわからなくなってくる。今までそんなこと、考えたこともなかったし。いや、考える必要がなかったというべきか。


「やだぁ、大和先生ったら。モテる男は好みなんて持たないってことですかぁ?」

 キャラキャラと笑う亜理紗を横目に、凪人は過去の恋愛遍歴を思い返していた。だが、あまり記憶にない。燃え上がるような恋愛などしたこともないし、苦しい片思いの経験もなかった。


「俺、案外中身空っぽなのかも……、」

 思わず呟いてしまう。


「あら、もしかして中身の濃い恋愛がしたいんですかぁ?」

 ズイ、と体を摺り寄せてくる亜理紗に、妙な嫌悪感を覚える。


「あ、いたー! 大和せんせ~!」

 職員室の入り口で凪人を呼んでいるのは、実習クラスの女子生徒数名。昼休みに勉強を教えてほしいと言われていたのだ。もちろん、そんなのは口実なのだとわかってはいるが。

「ああ、今行くよ」

 約束は約束だ。

 凪人は亜理紗に軽く頭を下げ、職員室を出て行った。



*****


「……ってことがあったんだけどさ~、遥、どう思う~?」

 保健室でくだを巻くのは宮田亜理紗。

 遥とはほぼ同期で、よく飲みに行く仲でもある。


「は? どうも思わん」

 亜理紗の話は、


『王子に、宮田さんは好きな人いるのか、と聞かれた』


 という内容だった。ハッキリ言って亜理紗が思っているような、


『もしかして王子、私のことが気になってて、彼氏がいるかを確かめたかったのかも!』


 なんてものではないだろう。


 凪人は、相手に彼氏がいようが旦那がいようが興味はないはずだ。そもそも恋愛の何たるかを知らないタイプだ、と思っている。そして、遥は凪人自体に興味がない。よって、答えは「どうも思わない」になるというもの。


「もぅ、そんなこと言わないでさぁ、話聞いてよぉ。私さ、今まで年下には興味なかったんだけど、王子ならちょっと付き合ってみたいなー、って思っててぇ」

「やめておけ、顔だけ男なんか」

 遥がサラッと酷いことを口走る。

「ええ? なんでよ。カッコいいって大事じゃない? 大体、そう言う遥だって面食いなんでしょ?」

「ま、面食いなのは認めるが、私は心の面食いだ」

 胸を張って言い切った。


「え? なにそれ。意味わかんない。……あ、ねぇ遥、王子にそれとなく聞いてみてくれない? 私のことどう思ってるか!」

「はぁ? なんで私がそんなこと、」

「いいじゃん、お願い~」

 わざとらしくお願いポーズを見せ、片目を瞑る。


(これがあざと女子……)


 口には出さないでおく。


「はいはい、チャンスがあれば聞いておくよ。確約は出来かねるがね」

 半ば呆れたようにそう言うと、大袈裟に両手を上げてみせる。

「遥様、ありがとうございます! なる早でよろしくね」

「ええ?」

「だって、王子は二週間しかいないのよ? 正確にはあと七日しか学校に来ないんだもの。切っ掛け作ってデートの一度くらいしておかないと間に合わないじゃない!」

 なるほど、ごもっともである。

「だから、ね?」

「……まぁ、頑張ってはみるが」


(自分で聞けばいいだろうに)


 ふぅ、と息を吐き、言葉を飲み込む。


「やった!」

 亜理紗は満足そうに保健室を出て行った。それと同時にチャイムが鳴り、五限が終わったことを知る。


「あざと女子は強いな……、」

 苦笑いで亜理紗を見送る遥なのだった。

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