#30 MOONLIT

 それは満月の夜の事だった。

 街は暗く、月の光だけが僕らを照らす。

 浜辺で僕らは手を繋いで、座って、寄り添って、時を待っていた。

 波が街に近づいて、そうかと思うと遠のく。そしてまた、近づいてくる。それを延々と、誰に言われた訳でもなく、誰の為でもなく、ただ繰り返すだけ。僕らはそんな海が好きだ。


「て、あったかい」


 レイネの桃色の唇は、かすかに震えていた。


「君の手も、あったかいよ」


 レイネと二人きりで、昔話をしていた。


「一年前だね、君と出会ったのは」


「あのときは、こわかった。このまちも、すんでるひとも。でも、あなたといると、ふしぎとあんしんできた」


「僕も混乱してたさ。急に海がひかり出して、君が現れたんだから」


「おたがいさまだね」


 レイネは今、どんな気持ちでここにいるのだろう。


「パン、とってもおいしかったって、つたえてね」


「あぁ。ルミンはレイネの事大好きだから、きっと喜ぶさ」


 この街のみんなは、突然現れたレイネという存在を、優しい気持ちで受け入れてくれた。警吏の人はつんつんしてたけど。それでも、この街の人達には感謝してもしきれない。


「あれから、いろんなえをみた。どれもきれいで、やさしかった」


 レイネと出会ってから、僕は絵描きである事に一層誇りを持つようになった。彼女は、僕の人生を変えた。


「わたしがあめのひにたおれたこと、おぼえてる?」


「もちろん覚えてるさ。あの時は心配して、自分を責めたりもした。けど、リーフ爺さんやクリスおばさんは僕らを助けてくれて、一緒に同じ時を過ごしてくれた。それだけじゃない。シャンクさんと一緒に釣りをした時や、スコルスさんと一緒にランテ国へ旅行に行った時だってそう。みんなに支えられたり、一緒に経験したりして、僕らはここまで生きてきたんだよ」


「そうだね」


 波が段々と荒くなっていく。


「そろそろか、レイネ」


 まるで海が怒っている様だ。


「うん」


 突然、眩い光が海から溢れて、僕らを包んだ。僕は、反射的に目をつむって手で顔を覆った。

 そして、光が弱まりまぶたを開けると、僕は目を疑った。


「レイネ。迎えだ。我々の元へ帰ろう」


 野太い男の声だ。白く巨大な翼を生やした仏頂面の男がこちらを睨んでいる。


「掟を破った罪への罰は、今終わりを告げた。さぁ、この星から離れ、記憶と翼をお前に還す」 


 僕は言葉が出なかった。この人がレイネの本当の家族なのか?


「わたし、もうかえらなくちゃ」


「うん……」


「さぁ、こちらへ来い」


 レイネはゆっくりと立ち上がり、一歩一歩、記憶を噛み締める様に歩いていった。

 レイネが男の側まで来ると、男は彼女の額に手を当てて、目をつぶって静かに息を吐いた。

 すると、レイネの服の、大きく開いた背中から、左右に白い翼が、淡く神秘的な光を放って生えてきた。


「う……」


 彼女は苦しそうだった。

 翼が生え終わると、レイネは空中に浮いた。今にも消えてしまいそうな白い肌と亜麻色の長い髪が、ただ美しかった。


「レイネ、レイネ!」


 僕は大急ぎで駆け寄った。レイネに最後に一言だけ、言いたかった。


「レイネ……」


 彼女が僕の方に振り返った。サファイアの様な澄んだ瞳が僕の全てを包んだ。


「最後に、言いたかった。レイネ。愛してる」


 これだけは言いたかった。やっと言えた。


「フィリオ、貴方は私にとって、太陽みたいな人だった。貴方は私の心に光を灯して、温かくしてくれた。私も、フィリオの事、愛してる。今まで、ありがとう」


 震える彼女の声は、どこか大人びていた。

 レイネの翼がはためき、風が吹く。

 

「愚かな地球人類よ。我々に触れるな」


 男の声に、恐怖が背筋を伝う。


「貴様らが持つレイネの記憶も消す。地球への羨望と言う名の罪。その罰とはこの事だ」


 男はそう言い残し、再び強い光が僕を襲った。


「レイネ……レイネ!」


 叫んでも何も変わらなかった。

 レイネは体を逸らし、まぶたを閉じ、飛翔した。

 彼女は何も言わずに、母の様な月明かりに照らされていた。

 気が付くと、そこにレイネの姿はなかった。

 呆気ない最後だった。

 これで良かったんだろうか。

 胸の高鳴りがまだ収まらない。

 僕はしばらく、月を眺めていた。今までと何ら変わりない、ただの満月だ。

 どういうわけか、僕は何故ここにいるのか、よく分からなくなってきた。でも、今はもうちょっとだけ、このままでいたい気分だ。

 あたたかな月の光が、この街と、海と、僕を照らした。

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MOONLiT 一文字零 @ReI0114

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