#21 Life
「おい、どういう事だよ……!?」
フィリオは自分が月からやってきたというレイネの言葉を信じることができなかった。
「わたし……つきでうまれた」
レイネが言ったその言葉だけが、静寂を切り裂く。
「月と言うと、地球に最も近い星の事ですが……人が住んでいるとは、にわかには信じ難いですね」
「レイネ! 月に人が住んでる訳無いだろ? 何言ってるんだ?」
レイネは言った。
「でも……これはほんとうのことだとおもう……」
「そうか……もし、君が言った事が本当の事だったとしたら、キミは一体……何者なんだ?」
フィリオは混乱の渦の中で弱く言い放つ。
「わたし……わたしは……う……あ」
すると突然レイネがふらっと倒れ込んだ。
「だ、大丈夫か!」
フィリオはすかさずレイネを抱き抱える。
「う……」
目を閉じ、何かにうなされている様子を見て、フィリオが呟く。
「あの時の……」
旅先で、レイネが、手に取った木板を読んで頭を抱え座り込んだ時。あの時フィリオが感じた恐怖、混乱、心配。全てがあの時と同じだった。
「わたし……おもいだしたかも……ぜんぶ」
「レイネ、思い出さない方がいい。君の心が傷ついてしまう、そんな気がする……やめよう、自分の正体とか、どこから来たのかとか……あの時止めるべきだった。もうやめようこんな事」
息を荒くしてフィリオは思いを吐いた。
「でも、しりたかった。これは……たぶん、つらいこと。だけど、おもいださなくちゃいけないこと……だとおもうから」
レイネの言葉を聞いたフィリオは、感情を抑えられなかった。
「レイネ……いいんだ。やめよう直ぐにやめよう君が苦しんでる姿を見たくないもううんざりだ!」
レイネと一緒にいたい。
レイネと一緒にいたい。
ずっとずっと一緒にいたい。
「わたし……ね? つきに、かぞくがいた……そう。ほんとうの、かぞく」
「レイネ……」
「わたしは……かえらなくちゃいけない……いつか」
震える唇から放たれた言葉がフィリオの心を突き刺す。
「やめてくれ……」
「フィリオさん、レイネさん……」
エリアスが心配そうに二人を見つめる。
「あぁ、そうか」
フィリオは気付いた。
今自分の中にある恐怖は、レイネへの心配から来るものではなく、レイネと離れたくないと言う想いから来るものだったのだ。
フィリオの心臓が強く鼓動する。
レイネと一緒にいたい。
レイネと離れたくない。
レイネの頭を撫でていたい。
レイネの手に触れていたい。
レイネと同じ時を過ごしたい。
レイネと同じ空間にいたい。
レイネが全て。
レイネが欲しい。
「はぁ、はぁ……」
おぞましい何かにフィリオの感情が支配されている様だった。こんな気持ちになったのは初めての事だった。
「レイネ、レイネ……」
「フィリオさん……大丈夫ですか?」
「だいじょう……ぶ?」
エリアスとレイネが心配を口にし、レイネはフィリオの手をそっと握った。
フィリオは弱々しく言う。
「行こう、レイネ」
高鳴る心音を感じながら、フィリオは彼女の手を握り返した。
「なぁエリアス、頼む。僕が持ってたその板、ここに置いてもらえないか? レイネが読めたんだから、同じ言語のものって事だろ。そしてもう一つ。この部屋を閉じてくれ……今すぐに」
レイネが握る彼の手は震えていた。
「フィリオさん、ちょっといいですか」
「エリアス……早くここを出るぞ」
そしてエリアスはこう言った。
「フィリオさん……! 人には誰にでも、知りたくない事、信じたくない事があります! それでも……知識を積み重ねた先に、希望は待っているはずです! 世界は……自分の考え方でいくらでも変えられる。その為に知識が必要なのだと、お父様はいつもわたくしにそう言っていました……」
この場に沈黙が流れる。
「僕は……ダメなんだ」
彼は悲壮な口調でそう言って立ち上がり、レイネに手を出した。
「この部屋から出よう。レイネ」
「ちょっと……まって」
「お願いだ……僕と帰ろう」
彼の目には涙が浮かんでいた。
レイネは立ち上がって、彼の腕をそっと掴んだ。
「ごめん……エリアス。わざわざありがとう……それじゃ」
「あ……はい……」
立ち去るフィリオとレイネを、エリアスはただ見つめていた。
二人は帰路に着いた。曇り空の様な空気が二人の間に流れていた。
「わたし……やっぱりきになる」
レイネがバターミルクを飲んで言った。
「レイネ、君は知らなくていいんだ。僕とずっと一緒にいるだけでいいんだよ」
フィリオはレイネの向かいに座って優しくそう話して、彼女を見つめた。
秋の夕暮れ、突然家のドアが鳴り響く。
「フィリオ! いる? いたら返事して!」
ルミンの声だ。フィリオは急いで階段を駆け降りドアを開けた。
「どうしたルミン!?」
「フィリオ、よく聞いて。信じられないかもしれないけど……リーフ爺さんが死んだわ」
ルミンが発した一言の後、二人の間に静寂が一瞬流れた。
「え?」
「本当の事よ」
「おい、嘘だろ……?」
「私も信じられなかった。そして今もまだ……受け入れられないよ」
ルミンは泣き崩れる。
「そんな……」
フィリオは突然の出来事に思わず立ちすくんだ。
「私帰るね……」
「分かった……僕、リーフ爺さんの所へ行くよ……」
そしてフィリオは、レイネを連れてリーフの街病院へと向かった。
街病院にはクリスティーンに加え、シャンクとサニーがいた。
「よぉ……フィリオ」
シャンクがフィリオに言った。
「フィリオ……リーフ爺さんが、爺さん、が……」
サニーが流した大粒の涙がベッドに落ちる。
「クリスおばさん……本当に、本当にリーフ爺さんは……」
いつかこの時が来る事は分かっていた。覚悟はできていたつもりでも、別れを目の当たりにすると、涙が止まらなかった。
「えぇ。爺さんはついさっき、在るべき場所へ還っていきましたよ」
「そんな……ありえないだろ……」
フィリオは嘆いた。するとシャンクが話す。
「フィリオ。悲しいのは当たり前だ。だがな、いつかこの時が来るって、分かってた事だ。俺達は別れを乗り越えて、前に進んでいく。俺達は先輩の死だって乗り越えてきただろ? 爺さんは、俺達の背中を押してくれたんだよ」
「し……ってなに?」
レイネがフィリオに訊く。
「ずっとお別れって事さ。もう爺さんには会えない。レイネ、こんな事言わすなよ……」
彼がそう答えると、レイネはリーフの遺体に寄り添う。
「おきて……」
「起きるわけないだろ……レイネ」
「おいフィリオ……」
彼を心配する様子でシャンクは声をかけた。
「僕……帰るよ。レイネはここにいていい。少し一人になりたいから」
フィリオはそう言って街病院を出ていった。
日が落ちて、街は寒さを増す。
悲しみに包まれた病院の花壇に、リンドウの花が咲いていた。
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