#20 Fate

 帰りの船に揺られながら、フィリオはぼんやりと空を見上げていた。レイネは何処か不安そうに彼の腕を掴む。


「なぁ、レイネ」


「……なに」


「もし……もしも、僕と君が離れ離れになる事になったらどう思う?」


 彼女は何も言わずにフィリオの腕を更に強く抱きしめた。


「嫌な質問だったかな……」


 そう呟いて、彼はレイネの顔を眺める。

 かれこれ三日間に及んだ旅を終えて、二人はルーンプレナに帰ってきた。フィリオはレイネと街を歩きながら、何処か懐かしい故郷の匂いを感じていた。


「よーし! 帰ってきたなーレイネ! ランテ国も良い所だったけど、やっぱりなんだかんだ言ってここが一番だな……」


「わたしも、このまち……すき」


 レイネは笑顔でフィリオに言う。


「しっかし寒いな……」

 

 彼は、街がより一層寒さを増している様に感じた。秋が深まり、季節は冬になろうとしているのだ。


「レイネ、これから冬って言う季節になるんだ」


「……ふゆ?」


「冬にはね、雪っていう水が白く固まったものが空から降ってくる。それが凄く綺麗なんだよ」


 フィリオは空を仰いだ。


「みてみたい」


 レイネも彼の後に続く様に空を眺める。


「多分、今年も降るだろうから、きっと見れるよ。その時は、一緒に見ようね」


「……うん」


 二人はそんな約束を交わし、手を繋いだ。この幸せが、このひと時が、永遠に続く様にと、フィリオは願っていた。

 次の日の朝、たっぷり睡眠をとって疲れを癒した二人は、いつもの様に朝食を食べる。

 ひと足先にパンを食べ終わったフィリオが、まだパンを口に咥えて黙っているレイネに言う。


「レイネ、今日は図書館に行こうと思ってる。スコルスさんがくれたこの本に書かれた文字の謎、君がこの文字を読める謎……図書館ってのは、言わば知識が集まる所だ。図書館に行けば、君の疑問もきっと解けるさ」


 フィリオは、テーブルに置かれたあの本を手に取った。

 するとレイネがパンを置いて言う。

 

「……わたし、じぶんをみつけたい。だから、いまはもう、こわくない」


「……」


「今はもう怖くない……か。僕もだよ、レイネ。今まで怖かったんだ。君が何者かを知る事が。でも知りたいって思う気持ちもあったし、何よりレイネ自身がそれを願ってる。どんな道だろうと、僕らの心はおんなじ温度だって、そう思えたから、今は怖くない」


 フィリオはレイネに手を伸ばす。彼女がその手を掴むと、彼女の温度が優しく感じられた。


「うん……おんなじ、あったかい……おんなじ、きもち」


 そして二人は図書館へと向かった。図書館はフィリオ達の家から北の方へ進んだ街外れに位置する。浴場や警吏の駐在所よりも大きなレンガ作りの建物で、そこかしこにつたが這っている。

 到着すると、フィリオは重い図書館の扉を何とか開けて、すたすたと入っていく。中に入ると人気はなく、大きな地球儀や螺旋階段、こちらをじっと見つめる彫刻が目につく。勿論、二階にもある大量の本が圧倒する様に置かれている。レイネは慣れない場所に戸惑っている様子で、あちこちを注意しながら見ていた。


「相変わらずここの扉は重たいんだよな……エリアス、どうにかなんない?」


 フィリオは足を止めて、椅子に座っている短身の娘に話しかけた。

 

「……」


「はぁ……エリアス! 起きろー」


 彼はその娘を揺さぶる。彼女の名はエリアスと言って、彼の友人である。


「……」


 エリアスは本棚に寄りかかってすやすやと眠りについている。彼女の特徴的な白くて肩にかからない程度の髪が、窓から刺す光を反射している。


「起きろってば」


「……ん? あぁ、これは初めまして。わたくしは司書の……って、フィリオさんでしたか」


 エリアスは目をぱちりと開けて、フィリオに布団の様な優しい口調で言った。


「気付くのが遅いんだよ……」


 ため息を吐くフィリオ。


「あら、随分とお若い女性をお連れなんですね。お嫁さんですか? おめでとうございます!」


 エリアスはいつもにこやかにフィリオと接しているが、しばしば的外れな言動をする。


「いや違うし……まだ何も言ってないだろ」


「あら、違いましたか……では、生き別れの妹さんと再会された……とか?」


「予想はいい。説明するよ。この子はレイネ。僕が保護した。どこからやって来たのか、なぜここへ来たのか、全く分からないんだよね。どうやって来たのか……それが一番の謎か」


 フィリオはレイネと出会った時の事を思い出した。レイネが光を放って海の中から出てきたあの時、何が起こっていたのか……考えて分かる様な話ではなかった。


「そうですか。それで貴方は……なぜここへ?」


「レイネの謎を解く為に、協力して欲しいんだ。君の知識と、この本達の力を借りたい」


 エリアスは、彼女の親が残したこの図書館を守る為、たった一人でここを管理している。


「そういう事なら、協力させてください。ここにある本の内容は、ほとんど頭の中に入ってますので」


「何十回と聞いたよそれ」


「あら、そんなに何回も言ってましたか……えーと、何か鍵となる言葉を教えてください。探してみますので」


 エリアスに鍵となる言葉を教えると、すぐにその言葉に関する本が置いてある場所に案内してくれる。彼女が司書の仕事をする中で会得した特技だ。


「おっと、今回は言葉の代わりに木板を見てもらいたいんだ。これなんだけど、どうもよく分からない言葉で書かれている」


 フィリオはあの木板をエリアスに差し出して言った。手がかりとして持って来たのだ。

 彼女はそれを受け取ると、ゆっくりと深呼吸をした。


「木板ですか……珍しい物をお持ちなんですね。それでは早速……読ませていただきますね」


 自信のある口調でエリアスは言って、受け取った木板をじっと見つめた。


「なるほど……これは大変興味深いですね。この国の言語でない事は確かなのですが……」


「ですが?」


 フィリオが訊く。するとため息を吐いたエリアスが言った。


「わたくしにもまだ知らない知識があるものですね……これを頼りに、調べてみましょうか」


 エリアスがどこか悲しそうな顔をして言った。

 彼女は生まれた時から本に囲まれて育った故頭は良く、それに見合う程の自信に満ち溢れた人間だった。彼女なりのプライドが傷ついたのだろう。


「まさか君にも分からない事があるなんてな。よしエリアス、一緒に探してみようか。君の新しい知識を」


 こうしてフィリオ、レイネ、エリアスの三人は、あの本と同じ言語で書かれた本を見つける為に図書館中を探し回ったが、結局見つかることはなかった。

 

「……結局、見つかりませんでしたね、フィリオ」


 悲壮な顔をするエリアス。彼女のプライドが、破れた紙の様に引き裂かれる音が、こちらにも聞こえてくる様だった。


「ま……まぁ、世界は広いって事さ。伸び代があるって事は、まだ前に進めるって事だから」


 フィリオはエリアスを必死に励ます。


「……そうですよね。やっぱり、貴方の言葉には不思議な力がある様に感じます。勇気と元気を与えてくれる……そんな力が」


 彼女が彼の方を見上げて言った。


「僕のじゃないよ。父さんの言葉さ」


「そうでしたか。それもジタンさんの意志、ですね」


「あぁ。ところで、二階に一つだけ開かない扉あるじゃん? あそこには何があるんだ?」


 フィリオがエリアスに訊くと、彼女は言いにくそうに答えた。


「実は……わたくしにも分からないんです……亡くなった父から『もしいつか、お前の目の前にどうしても分からないものが立ち塞がった時、この鍵を使え』と言われ、その扉の鍵を渡してくれたんですが、まさか……」


「今がその時、だな」


「わたし……きになる」


「そうですね。きっと、今がその時ですね。開けてみましょうか。あの扉を」


 かくして、司書室から鍵を持ってきたエリアスは、フィリオとレイネが見守る中、二階の扉の鍵を開けた。


「ここが……守るべき部屋……」


 エリアスが驚いた様に言った。中はほこりだらけで窓は無く、一つの本棚があるだけだった。


「守るべき部屋? この部屋の名前か?」


 ランプを持ったフィリオが彼女に問いかける。


「はい。代々続くわたくしの家系はこの図書館と、この部屋にあるものを守り続けてきました。この部屋の鍵の在処も、ここに何があるのかさえも、秘密なんです」


「じゃあ、ここに何があるのかは知ってるんじゃないのか?」


「父はそれすらも教えてくれませんでした」


「そうか……そんなに重要な何かがここに……あれ? 木板がここにも……」


 フィリオが呟くと、レイネが棚に駆け寄って、一枚の木板を手に取る。本棚には、その板一枚しかなかった。


「ほこり被ってるから、よく払ってね」


「『月光記 第一章』」


 フィリオの忠告を無視してレイネは木板を手に取り、呟いた。


「読めるのか? それ!?」


 フィリオは驚いてレイネに言った。彼女は何かに気付いた様子で言う。


「……あ」


「どうしたレイネ?」


「あのいたは……このいたの……つづき」


「続き……なのですか? 一体、どう言う事なのでしょう?」


 エリアスも驚きを隠せない。


「レイネ……その板、一章って言ったよな? 最初から読んでみてくれ」


 フィリオは覚悟を決めた様に話した。


「……わかった」


 そして、レイネは読み上げた。


「我々人類は、足と腕を二本ずつと、背中に自由の象徴たる白き翼を授けられた神の生み出した存在である。我々は月と言う名の大地に住み、平和に暮らしていた。しかしある時、神の存在を信じまいとする者達が現れた。やがて我々とその者達は戦争を始め、全体の半分の人々を死に至らしめた。我々はやがて戦争に敗北し、翼と記憶を奪われ、青き星へと送られる事となった……」


 そう言ってレイネは黙り込んだ。


「え……?」


 フィリオは唖然として立ちすくむ。


「おもいだした……わたし……つきからきたんだ」

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