#19 Letter

 時間がゆっくりと流れていく様だった。体がふわふわと飛んでいってしまうのではないかと思う程、それは幸せな一時だった。

 祭りは終わった。フィリオはレイネを思いながら、空をただ、眺めていた。


「そろそろ帰るよ、フィリオ」


 スコルスが優しくフィリオにそう言った。レイネは彼の手を握って離れなかった。


「うんうん。ただじっと空を見上げるのも悪くないッスね」


 三人は消えたランタンに別れを告げる様に、静かに夜空を見上げていた。

 その日の宿での事だった。レイネが隣で寝静まる中、フィリオはどうも寝付けなかった。


「……スコルスさん……起きてますか?」


 彼は小声で隣のベッドにいるスコルスに話しかけた。


「……なんだい? 起きてるよ」


「僕……なんか寝付けなくて……」


「そか。寝れない時ってのは悩みがあるって証拠だよ……アンタ、ランタン祭りの時、本当は何考えてたのか、話せる範囲で構わないから、教えてよ」


「スコルスさんは何でもお見通しですね……僕、実はレイネに依存してるんじゃないかって、思うんです。もしレイネと別れる事になってしまったら、僕は一体どうなってしまうんだろうって、怖くて」


「んー……フィリオ、アンタはレイネがずっと側にいないと不安になる?」


 フィリオはレイネがおつかいに行った時の事を思い出した。あの時感じたレイネへの気持ち。彼はあの雨の日の事を考えるだけで、胸が苦しくなった。


「不安もそうですけど……とにかく心配になります。ずっと側にいてあげないとって、僕にはレイネを守る責任があるので」


「やっぱりフィリオは、レイネに依存してるよ。ま、何かに依存して生きるのは悪い事じゃない。元々フィリオは絵に依存して生きてる訳だし」


「……」


「アタシ、アンタと暮らす中で思った事があってね、人は頼ったり頼られたりしながら生きてるって事はアンタの方がよく知ってると思うけど、それってつまり、人はお互い依存しあって生きてるって事だと思うんだ」


「……なるほど」


「依存すること自体は悪くない。けどね、何か一つの事だけに依存するのは良くない。だから、世の人はより大勢の人と関わって生きていこうとする……これはアタシの持論だけどね」


「……」


「アンタがレイネの事をどう思っているのか。どう関わっていきたいか。結局はフィリオ次第だけどね。でも安心して。どうであれ、アンタは沢山の人と支え合って生きてる。一人じゃないよ」


 スコルスは優しくそう言った直後、いびきをかいて眠りについてしまった。


「一人じゃない……そうだよな……自分の言ったこと、そのまま帰ってきちゃったか」


 フィリオは一人そう呟いて、静かに眠りについた。

 そして、漆黒の空にやがて光が灯る。夜が明けたのだ。

 

「……おはよ、フィリオ。ほんと早起きだよね、アンタ」 


 ベッドから起きたスコルスが、既に朝食の準備をしているフィリオに言った。


「おはようございます、スコルスさん。今日の分のパンと、バターミルクです」


 朧げな目をして椅子に座っているレイネが言う。


「……おはよう……スコルス……さん」


「あら、おはよう。レイネちゃん」

 

 スコルスがレイネに微笑みかける。

 今日で一行の旅は終わる。ルーンプレナに帰る日なのだ。

 朝食を食べながら、三人は会話を交わす。


「確か、スコルスさんはこのままここに残るんでしたよね?」


「そうさ、アンタ達とはこれでお別れ。寂しいけど、辛くはないよ。出会いがあれば、いつかは別れが来るって、誰かさんが言ってたから」


 スコルスは窓の外を見つめ言った。窓から差し込む光が彼女の瞳を輝かせる。

 秋の太陽に包まれながら、宿を出た三人は、スコルスが左側、レイネが真ん中、フィリオが右側になって、ランテ国の街を歩いていた。


「て、つなご」


 突然レイネがスコルスに言った。


「え、アタシも?」


 スコルスは目を丸くして顔を赤くする。


「レイネ、良い提案だ。スコルスさん、繋ぎましょうよ、手」


「ま、まぁ、良いけどさ……」


 スコルスはドギマギした様子で、手を差し伸べるレイネの手をそっと掴んだ。


「レイネちゃんの手、あったかいね」


 スコルスがそう言うと、レイネはとびきりの笑顔で返事をする。続けてフィリオもレイネと手を繋いだ。


「なんか、私もアンタ達家族の一員みたいになってる……こういうの、初めてだな……」


 スコルスが左手で頭を掻く。


「手を繋ぐって良いものですよ。一人じゃないって、実感できるんです」


 フィリオが微笑んで言う。


「そうか……そうね。良い事だよね」


 三人があの賑やかな噴水広場まで歩くと、スコルスが突然足を止めて言った。

 

「じゃ、アタシはそろそろこの辺で」


「……もう、行っちゃうんですね」


 フィリオは寂しい気持ちを抑える事ができず、思わずそう言った。


「うん……アタシね、フィリオとレイネちゃんに出会えて本当に良かったと思ってる。ありがとう」


 スコルスが指で鼻を擦りながら笑顔で言う。


「ありがとう……」


 レイネは彼女に言った。


「それじゃ、商いの準備するの手伝ってー」


「えっ……えぇ……」


 意地悪に笑うスコルス。彼女の言葉に驚き呆れるフィリオ。


「わかった」


「ほら! レイネちゃんは素直よん? フィリオもほら、この布とか持って! アタシは敷物敷くから、その上に並べて!」


「えー」


「えーじゃない。アタシはね、もうどうしようもないくらい面倒臭い女なのよん」


「はぁ……やっぱりこの人変だ……」


 ため息を吐きながらも、フィリオはレイネに続く様にスコルスの商いの準備に協力する事にした。彼女のバッグから、価値の分からない指輪やボロボロの服が次々に取り出されていく。

 

「スコルスさん、ほんとにこれって売れるんですか?」


 フィリオがスコルスに訊く。


「売ってみなきゃ分かんないのが商売ってもんだよ。そこが面白いんじゃないか」


 彼女はどこか得意げに話す。


「これ、なに?」


今度はレイネがスコルスに訊いた。レイネが手に取ったのは、良く言えば味のある、悪く言えば汚らしい分厚い木板だった。


「良い質問だねぇ……それは恐らく異国の文字で書かれた木板だよ。まだ本が発明されてなかった時代の物かも知れない……うんうん、渋くてカッコいいよねぇ……」


 スコルスはしみじみ頷く。

 フィリオは言う。

 

「本か……そうだ! 今度、本を読む練習でもしようか」


 レイネはフィリオと出会ってから、文字を読む事が出来ず、勿論書く事も出来なかった。

 レイネは好奇心からか、ゆっくりとその本を開いた。

 そして、レイネは桃色の唇をゆっくりと開いた。

 

「我々は決して忘れてはいけない」


 レイネはそう言うと、突然その木板を落とした。彼女の手は震えて動かず、顔は急激に青ざめた。

 そしてレイネは何も言わずに頭を抱えてその場に座り込んだ。


「レイネ! どうした?」


 フィリオがすぐさまレイネを後ろから抱きしめる。


「……」


「一体何が起こったんだ?」


 フィリオは心配と恐怖で頭がいっぱいになり、冷や汗が止まらない。


「わたし……よめる……これ」


 レイネは儚い声で言った。


「レイネ……君は……」


 フィリオが震える声で言った。


「……レイネちゃん! 大丈夫?」


 スコルスが呼びかける。


「……だいじょうぶ。ほら……」


 レイネはフィリオの手をそっと握り返した。彼女の手は温かかった。


「良かった……」


「レイネちゃん……この文字が読めるの?」


 スコルスが驚きを隠せない様子で言った。


「うん……だけど、よんだら……こわくなった」


 すると、フィリオが言う。


「怖くなった? レイネ、もしかして、何か思い出したのか?」


「……どこかは、わからないけど……わたし、かぞくがいる……」


「レイネちゃんの本当の家族……その本がどこの言葉なのかが分かれば、レイネちゃんが何者なのか、分かるかもしれないね」


「わたし……しりたい……わたしが、だれなのか」


「レイネ……」


 フィリオは迷った。レイネがこのまま記憶を取り戻せば、彼女は本当の家族の元へ帰りたいと言い出すかもしれない。彼女と一緒に暮らす事が出来なくなるかもしれない。そんな事を考えた時、ジタンが彼の心の中に現れた。「フィリオ、人生には出会いがあれば、別れもある。人はそれを受け入れながら前に進んでいく。だから、別れを恐れる必要はない」いつかの夕暮れ、ジタンは幼き日のフィリオにそう言ったのだった。


「ありがとう。父さん……レイネ、君がそう言うなら、分かった。突き止めてみよう。君が何者なのか」


「フィリオ……この木板、タダであげるよ。どうせずっと売れなかったやつだし、レイネちゃんが何者なのかを知る手がかりになると思うから」


 スコルスはレイネが落としたそれを拾い、汚れを払ってフィリオに手渡した。フィリオはそれをしっかりと受け取った。


「そろそろ、アタシとはここでお別れかな」


 スコルスがどこか切ない口調でそう言った。

 

「スコルスさん……短い間でしたが、ありがとうございました。それじゃ、いってきます」


「……さよなら」


 レイネとフィリオの二人はゆっくりと立ち上がり、スコルスに別れを告げた。スコルスは笑顔で言葉を返す。


「今までありがとう。アンタ達に出会えて本当に良かった。二人とも、いってらっしゃい」

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