#16 Trip

「やっぱり画材も……持って行くんだ」


 スコルスがあくびをしながら言った。

 今日はフィリオ、レイネ、スコルスの三人で旅に出る日である。

 スコルスとフィリオが出会った日の晩、彼女はフィリオの家にしばらく泊まることになった。そもそも彼女は行商人である故、家は無い。


「レイネ、一階の棚にある絵の具持ってきてくれ」


「わかった」

 

 フィリオとレイネがせっせと荷造りをしながら忙しなく動く。


「スコルスさんは荷造りしなくていいんですか?」


「アタシはいいのよん。普段の荷物は全部ここにあるし、家とか無いから」


 スコルスが背負っている自分のリュックを叩いて言った。


「僕はこれでよし。みんなは支度できたか?」


 フィリオが問いかける。


「うん」


 レイネが小さくうなづく。


「ウッス!」


 スコルスが真っ直ぐ手を挙げて言う。ペントは前の晩にレオナの酒場へ預けておいた。


「そしたらいよいよ出発だ。まずは隣町の港まで行って、ランテ国行きの乗船券を買う。その後は……」


 意気揚々と話すフィリオ。


「やれやれ、旅なんかした事ない癖に張り切っちゃって……仕切るべきはアタシなのにねー」


 スコルスが囁く声がフィリオの耳に入った。


「ん? 何か言いました?」


「いや、何も」


 スコルスはどこか済ました顔をしていた。


「レイネ、そのリュックは君が背負ってくれ。こっちのは僕が持つ」


 フィリオが小さなリュックをレイネに背負わせ、彼も続けてリュックを背負う。


「よいしょ……あ、これ重っ、うぐ……レイネ、ちょっとすまないが、これ持ってくれないか?」


 フィリオは画材が入ったかばんをレイネに渡した。


「重くない?」


「うん、だいじょうぶ」


 フィリオはかばんを持っていたその手でレイネの頭を優しく撫でた。


「絆って良いものねー」


 スコルスがしみじみ言う。


「絆、か」


 フィリオが家族の事を思いながら言った。


「そう。前にも言ったように、アタシはずっと一人で生きてきた。この家に来てから、アンタ達が築き上げてきた絆をひしひしと感じたんだ。そして、その固い絆で結ばれた家族ってやつを身近に触れて、思ったんだよ。この家で過ごした数日間が、孤独から解放されるきっかけになるんじゃないかってね。ありがとう、フィリオ」


 スコルスは笑顔だった。


「スコルスさん、この世の中に孤独な人なんていませんよ」


「え……?」


「スコルスさんが僕の父さんに出会えたように、この世の中はいくつもの出会い、そして別れでできてるんです。だから、出会いがない人生なんてないんですよ」


「フィリオ……」


「幸せは以外と、側にあるもんですよ」


 スコルスの頬を涙が伝う。


「そうかもね……アタシはジタンに会えた。それだけで、もう孤独なんかじゃないのかもね」


 彼女は無邪気に笑った。


「……さ、行きましょうか」


「うん!」


 スコルスは目一杯返事をした。


「いく……っす……」


「レイネ、語尾は真似なくていいぞ」


 フィリオはそう言ってクスッと笑う。

 かくして三人の旅は幕を開けた。

 しばらくして一行は隣町の港に到着した。


「つかれた」


「レイネ、着いてしまえばこっちのもんだ。ここからは船で移動するから」


 フィリオは機嫌が悪い様子だったレイネをそう言ってなだめた。

 そしてフィリオは券を買いに乗船券売り場へ一人で向かった。


「えっと……ランテ行きの券を、三枚」


 フィリオはぎこちなく乗船券売り場で言う。そして受付の「あいよ」という無愛想な言葉に、フィリオはますます萎縮してしまうのだった。


「はぁ……券買うのも一苦労だよ」


 戻ってきたフィリオがため息をつきながら待っていた二人に言う。


「慣れない場所での慣れない行動、それもいい経験だっちゃ」


 スコルスが呟く。


「あれ、みて」


 レイネが突然フィリオの手を引いて言う。彼女が指差す先には、大きな帆船の姿があった。賑やかな人だかりに凛然と佇むそれは、思わず見入ってしまうような不思議な魅力があった。


「レイネ、今からあれに乗るんだぞ」


「うん。たのしみ」


「今から乗船される方は、こちらからお乗りくださーい!」


 船上から男の声が聞こえる。


「ごめん、荷物持ち直すから先乗っていいッスよー!」


 大きな波の音に負けない様に、スコルスは大声で言った。


「分かりました。レイネ、手出して」


 フィリオとレイネはシャンクと釣りをした時の様に、手を繋いでゆっくりと船に乗った。スコルスが後に続く。


「これよりこの船は出航いたします!」


「出航だ! 帆を上げろ!」


 船員達の大声が飛ぶ。

 一斉に帆が上がり、やがて船は進み出した。

 ひたすらに船が波を切り裂く。

 カモメの鳴き声と波の音がひたすらに聞こえる。

 

「スコルスさん、この船はいつランテ国に到着するんですか?」


 一行は船端付近から海を眺めていた。


「そうね……日没までには着くんじゃないかしら」


 スコルスが空をぼーっと見つめながら言った。


「えぇ! まだ昼間ですよ? あぁ、何も食べるもの持ってきてなかったな……持って来ればよかった」


 仰天、そして後悔がフィリオを襲う。


「これならある」


 レイネがそう言って一つの小さな林檎を差し出す。


「レイネ……それ、ペントのご飯……台所から持ち出して来たのね……それ食べちゃってもいいよ」


 フィリオが言うと、レイネはその林檎にかぶりついた。


「アタシらの食料だったらここにあるよ」


 スコルスがおもむろにパンを取り出して言う。


「わ! パンだ!」


 フィリオは歓喜した。


「あのね、アタシは超一流の行商人なの。もしもの時の為に、用意は周到でなくちゃね。ほら、ここに三人分あるよ」


「ありがとうございます!」


 フィリオはスコルスから一切れのパンを貰った。

 

「……ありがとう」


 レイネも嬉しそうにパンを受け取る。


「そもそもさ、渡航にかかる時間を考えてなかった訳? アンタ、意外とドジね」


「はぁ……」


 後悔、そして今度は自責の念が彼を襲う。


「ま、いいんだっちゃ。これも経験。人は失敗を重ねて生きていくんだから」


「ははっ……ありがとうございます、スコルスさん」


 船の出発からしばらく経ち、日が落ちかけてきた頃、フィリオがレイネに話し始めた。


「レイネ、この海は『静かの海』って呼ばれてるんだ。流れが穏やかで綺麗な海だから、その名がついたと言われている。いい名前だろ?」


「しずかの……うみ」


「僕はこの海が大好きでね、海ばっかり描いてた時期もあったんだぞ。変だよな」


 フィリオはそう言って笑う。


「僕はもっとこの世界の事が知りたい。父さんが愛した、この世界の事を。だから僕は絵を描き続ける」


 フィリオが海を眺めながら言った。

 レイネは何も言わず、ただそっと、彼の側にいた。

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