The Water

#15 Strange

 レイネとフィリオの邂逅から早半年、世界を暑く照らす太陽は日に日にその力を緩め、木の葉は照れたように赤く染まり始めていた。

 ある曇りの日の事、フィリオは商店街の一角で絵を売っていた。

 街行く人は皆彼の絵を見向きもせず素通りしていく。

 こんなものは彼からしてみれば見慣れたいつもの光景である。しかし彼の心は決して折れない。「絵は決して安い買い物じゃあない。だからこそ、大衆に好かれるよりも、一人の心を強く打つ絵を描く事が大切なんだ。でも、何よりも自分の納得いく絵を描けることが一番なんだけどな」ジタンの言葉がずっと、彼を支えているのだ。


「お? アンタ絵描きか! こりゃいいモンだ、うんうん、あの人と同じ匂いがするよ……流石ルーンプレナと言ったところナリね」


 大荷物を持った長身で華奢な女がフィリオの絵を凝視する。彼女が首を傾げると、乱れた茶色い髪がほんの少し揺れた。


「ありがとうございます。ゆっくり見ていって下さい」


「見ていく見ていく……! こりゃアンタ、将来名の知れた絵描きになるよ……うんうん! この絵ちゃん達、全部買っていこうかしら」


 舌を小さく出して女が言った。彼女の眼鏡が絵を反射する。


「え! 全部……ですか?」


「そそ! 全部でいくらかッスか?」


 女が突然身を乗り出して言った。女とフィリオの鼻先が触れる。


「ほ、本気なんですか?」


 フィリオが顔を引っ込めて言う。


 「アタシの目を見な」


 フィリオが女の目を見る。


「……あ、えと」


 彼は、女の大きな目に吸い込まれてしまうかの様な、奇妙な感覚を覚えた。


「アタシはスコルスってんだ。よろしくだっちゃ」


「よ、よろしく、お願いします」


 フィリオは困惑のあまり、ついたどたどしくなってしまう。


「あれ? キミもしかして、女子が怖いのぉ? てことは……」


 そう言ってフィリオの頭をポンと優しく叩くスコルス。


「あぁ……そう言うことじゃないんですが……」


「じゃ何なのさ」


「いきなり『全部買っていこうかしら』なんて言って、急に頭触ってきて、やたら変な喋り方で、顔近くて……そんな人に出会したら誰でも困りますよ」


 フィリオは怒りを交えながら言った。


「あら? ちょっと年頃の男の子には刺激が強すぎたかしら?」

 

「だからそう言うことじゃなくて……」


 フィリオは頭を抱える。


「アタシみたいな人、嫌い?」


 スコルスが直球に訊いた。


「嫌いって言うか、苦手って言うか……とにかく、もうちょっと人との距離を考えてください」


「距離? 人の心の世界ほど興味深いものは無いね。アタシはどんな所でも歩いてどんな物でも売る超一流の行商人だけど、人の心だけはお金に変えられなかったよ。それだけ価値があるってことさ」


「今度は何が言いたいんですか?」


 フィリオはもうスコルスと関わりたくなかった。


「アンタの心が欲しい」


「は……?」


「絵は人の心を表すんだろ? アタシはアンタの絵を通して、アンタの心に惚れたのさ」

 

「それは嬉しいですけど、その言葉ってまさか……」


「絵は人の心を表す」ジタンの言葉だ。


「まさかってまさか、知ってるのかい? ジタンの事?」


「えぇ。知ってるも何も、僕の育ての親ですよ」


「そうかい! どうりで同じ匂いがした訳だよ……うんうん……アタシね、昔ここから遠く離れた街で、旅の途中だったジタンに会ったんだ。アタシは彼の描く世界に一目惚れして、そしていつの間にかジタンという存在さえも好きになっていった。でも彼にはもう、愛する女性がいた……」


「……」


 フィリオは何も言うことが出来なかった。かけてあげる言葉が思いつかなかったのだ。


「アタシはずっと絵描きを探してたのさ。ジタンみたいな人をね。それではるばる彼の故郷であるルーンプレナにやってきたってワケ。いやーまさかジタンのご子息にお会いできるとは……光栄なことよん」


「……スコルスさんの気持ちはよく分かりました。お金があるなら売りますよ」


「んー……」


 スコルスが自分の唇を優しく噛む。


「どうしたんですか?」


「やっぱり気が変わった。もっと面白いこと思いついたんでね」


「と言うと?」


 フィリオが首を傾げる。


「アタシとアンタで旅に行かない? 隣の街にでっかい港があるだろ? あそこで乗船券買ってさ、ランテって国まで! 一緒に行こ!」


 スコルスは目を輝かせ言った。


「え! そんな急に言われても……」


「遠慮は要らないって! ほら! 早く荷物畳んで、荷造りするよ!」


 スコルスはそう言ってフィリオの手を握る。


「早くって言ったって、まだ決まった訳じゃ無いでしょ? 大体スコルスさん、距離の詰め方変ですよ?」


 するとスコルスは動きを止めて、二人の間に少し沈黙が流れた後、口を開いた。


「あー……そうね。よく言われるよ。うん。お母さんはわからないし、お父さんもいない。この世に生まれてから、ずっとひとりぼっちでいたからかな……」


「ひとりぼっち、か」


 フィリオはリーフの言葉を思い出した。「フィリオ、お前は家族に恵まれているんだ。親に愛情を沢山与えられて育った子もいれば、親に捨てられた子もいる」彼女は孤独に耐え、強く今を生きている。世界は広いのだ。


「分かりました。一緒にその旅、付き合いますよ」


「え? いいの?」


「ただし……」


「ただし?」


「家族がいるんで、一緒に連れて行きたいんです。それでも良いなら」


 レイネは今家で留守番をしている。


「家族と? 留守番させればいいのに……」


「それが、えっと、なんていうか……とにかく僕の家にきてもらったら分かると思います。荷物畳むので、ちょっと待っててください」


 それからしばらくして、二人はフィリオの家に着いた。


「へぇ……十八歳にして自宅を持つとは……立派なもんだよ、うんうん」


 スコルスがアトリエの空気を目一杯吸って感嘆する。


「空き家を改造したんです。二年くらいかかりましたけど」


「絵に対する情熱は親譲り……って事ッスかねー……」


「どうしても、夢だけは諦めたくなかった。それだけです」


 二人は階段を登りながら言葉を交わす。


「レイネ、留守番してすまなかった……」


 フィリオが二階に上がると、ベットで静かに寝ているレイネの姿が目に入った。


「って、寝ちゃってたか……」


「その子がアンタの家族か。妹かい?」


「いえ。浜辺で……倒れていたのを、僕が保護しているんです」


 誰も「レイネは海から光を放って出てきた」と言っても信じてもらえないだろう。


「それで、家族の事とか、生まれ育った場所とか、記憶が無いみたいで……」


「身元が分からないから、アンタが家族として受け入れてやってるって訳ね」


 スコルスは勝手に椅子に背もたれを抱える様にして逆向きで座っていた。彼女はとことん行儀がなっていない。


「ま、そういう事です」


 フィリオはレイネの小さな頭をそっと撫でた。


「……ん」


 レイネがゆっくりと目を開けた。


「おっと、起こしちゃった……ごめんなレイネ……」


「あのひと……だれ?」


 レイネが警戒してフィリオの服を掴む。


「あぁ、あの人はスコルスって言うんだ。今日知り合ったばっかりなんだけど、悪い人じゃないから。ちょっと変な人だけどね」


「変? よく言われる……ッス……」


 スコルスはそう言って突然いびきをかいて眠り始めた。


「な?」


「……うん」


 レイネは納得した様子でフィリオと顔を見合わせた。


「それでなんだけどさ、レイネ、旅って知ってるか?」


「たび?」


「どこか遠い所へ出かけるってことさ。おっきな散歩みたいなもんだよ」


「……おもしろそう」


 笑みが溢れるレイネ。


「よし! そうと決まれば早速出発! 『思い立ったらすぐ行動』!」


 フィリオがそう言った途端、スコルスがむくりと起き上がり言った。


「そのレイネって子、面白そうじゃん……よし……一緒に連れて……行こう……」


 そしてスコルスはまた眠りについた。


「やっぱり変だ。この人」

 

 こうして三人はランテという国へ旅に出る事になった。

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