#14 Violet

「あめ、やんだね」


「そうだね」

 

 フィリオが上を見上げると、さっきまでの雨が嘘かのような雲混じりの青空が広がっていた。

 レイネとフィリオ、そしてシャンクの三人は、街の西に位置する漁港へとやってきた。


「おーい! サニー!」


 シャンクが波止場から手を大きく振ってサニーに呼びかける。すると、遠くで手を振り返す青年の姿が見えた。サニーだ。レイネもシャンクの真似をする様に手を小さく振る。


「レイネ、もっと思いっきり手振ってさ、『おーい』って大声で言ってごらん」


「おーい……!」


 帆船はどんどんこちらに近づいてくる。


「丁度良い。漁が終わったみたいだから、釣りはあの船を借りてしよう。ちょっとだけ待っててくれ」


 シャンクがそう言うと、砂浜にある薄汚い小屋から釣具を取り出してきた。


「……お待たせ! こいつらがありゃあ釣りができる。ま、こちとら最近網漁ばかりで、釣竿の手入れなんてしてないけどな! でも心配するな。ま、なんとかなるさ!」


 シャンクは口を大きく開けて笑った。


「いや、ほんとに大丈夫なんですか? それ……」


 フィリオはシャンクが手に持っている釣竿を見て不安げに言った。竿が三人分きちんと用意されているのは良いが、いかんせんボロ過ぎるのだ。


「なぁに、心配するこたぁねぇよ! あ、よく見たらこれ糸切れてやがる……」


「はぁ……」


 フィリオは思わずため息を吐く。


「ま、まぁ、今気付けて良かったってことで! 小屋にまだ予備の糸があった筈だから……ちょっと待っててな!」

 

「全く……このそそっかしさは親子揃ってだな」

 

 実はシャンクには娘もいる。その娘というのがルミンである。ルミンとサニーは双子で、ルミンが姉、サニーが弟と言った関係だ。シャンクは妻を亡くしてから二人を男手一つで育てて来た。その為彼の大雑把でそそっかしい性格は、ルミンに色濃く受け継がれている。

 ではサニーはと言うと……


「おーい! サニー! よく戻って来たな! また泣きべそかいて船の上で意気消沈したんじゃないかと思ってたよ!」


 小屋から戻って来たシャンクがサニーに言った。


「と、父ちゃん……あんまりからかわないでよ」


 波止場に戻って来たサニーがむすっとした顔で言って、シャンクから目を逸らした。サニーは姉のルミンや父のシャンクとはまるで逆。生真面目で引っ込み思案である。

 

「サニー、いい加減自分に自信持てよな」


 そう言ったフィリオがサニーの額を人差し指でつんと優しく突く。


「もう、フィリオまで……ひどいや」


 二人は同い年だが、フィリオは完全にサニーを歳下扱いしている。


「ははっ、でも沢山獲れてるじゃない! ようやくサニーも一人前ってとこだな」


 フィリオが網にはち切れんばかりに入った魚達を見て言った。


「ま、まぁね」

 

 サニーは指で鼻を擦って、嬉しそうな表情を浮かべた。

 するとシャンクが大声で言う。


「なーにが一人前だっこの野郎! お前は半人前の更に半分の半分だ……まだ海の男の顔になっちゃいねぇからな」

 

「そうやって父ちゃんは、海の男の顔じゃないっていっつも言うけどさ、海の男の顔って一体なんなのさ!」


「海の男の顔ってのは……ほら、俺だよ俺」


 それを聞いたフィリオとサニーは同時に「はぁ……」とため息を吐くのだった。


「……それでサニー、ちょっとこの船貸してくれるか? こいつらと釣りして遊ぼうと思ってな」


「まぁ、この船は父ちゃんのだし、いいよ。けど、ここんところ父ちゃんずっと遊んでばっかりで……」


 サニーが言いかけると、シャンクはサニーの口元に人差し指を添えた。「黙れっておくれ」とでも言いたいのだろう。


「よし! フィリオ、レイネ、早く乗りな!」


 シャンクが帆船に飛び乗って二人を急かす。


「レイネ、ゆっくりで良いから気を付けてな」


 シャンクに続いて二人も船に乗った。


「これが……ふね?」


 レイネが不思議そうに船を見つめた。


「そう、水に浮かぶ乗り物だ」


 フィリオがいつもの様に優しく彼女に教える。


「あん? 船も知らねぇのかレイネは? 不思議なヤツだな……」


 船の上でシャンクが言った。


「そりゃあもう、海の中から突然出て来たくらいには……」


 フィリオはそう言って「しまった」と思い口をつぐんだ。


「え?海の中から?」


「あぁ、いやえっと……うん、まぁ、とにかく変で不思議な子なんですよレイネは」


 誤魔化すフィリオ。


「お、おう」


 シャンクはいまいち納得していない表情を浮かべて言った。


「いいか! 出発するぞ! 船酔いして吐くなよ!」


 シャンクが帆を張ると、帆船がゆっくりと動き出す。それと同時に波止場に佇んでいる海鳥達が一斉に飛び立った。


「とり……うみ」


 レイネが空を見つめる。


「夏って感じだな、レイネ」


 フィリオが彼女を見て言う。


「レイネ! フィリオ! これ持っとけ。ほら!」


 シャンクは乱暴に二人に釣竿を投げ渡した。


「おわっ! 全く乱暴だな……」


 フィリオは呆れつつもそれを受け取る。


「レイネ、これは釣竿って言って、魚を釣る道具だ。こうやって糸を……」


 フィリオはそう説明しながら釣糸を投げた。


「フィリオも昔は船に乗る事すら怖がってたもんな! はっはっはっ!」


 シャンクが大きく笑う。


「やめてくださいよ、恥ずかしい」


 フィリオは顔を赤らめた。そんな会話を交わす間に、レイネは釣糸を海にそっと投げた。


「レイネ、なかなか上手いじゃん。そんじゃ僕も」


 フィリオも続けて釣糸をそっと投げる。シャンクもいつの間にか黙り込んで海に垂れる細い糸をじっと見ていた。

 海鳥の鳴き声が聞こえる。

 波の音が聞こえる。

 沈黙が続く。


「なぁフィリオ……」


 シャンクが口を開いた。


「なんです?」


「何度も言うが、俺は先輩の背中を見て育った。お前と一緒だ」


「……何度も聞きました。それ」


「先輩はいつも笑顔で、落ち込んだ時に励ましてくれて、博識で、常に夢を追い続けている、カッコいい人だった。そして俺は、そんな先輩を心から尊敬していた」


「……それも何度も聞きました」


「話はこっからだ。先輩が死んだ時、俺は正直絶望した。先輩のいない未来をどう生きれば良いか、分からなかった」


「それは僕も、そうでしたよ……」


「そうだろう……俺は、俺と同じ思いを持つお前に妙に親近感が沸いた。だからよく釣りに連れて行ったりしてたんだよ。お前と同じ時を過ごしたかったからだ。今思えば、先輩の意志を継ぐお前に、俺は生きる希望を見出したのかもしれないな」


「希望……ですか」


「俺はお前を心から信用してた。血は繋がっていなくても、お前は先輩の息子だからな」

 

「……」


「これからいくつもの困難がお前を襲う。と、思う。だけどこれだけは忘れちゃあいけねぇ。お前は先輩、ジタンの息子だ。胸を張って生きろ。そして、絵を描くんだ」


「……なんですか急に。らしくないですね、シャンクさん」


 フィリオは笑いながら言った。


「おいおい、俺はやる時はやる男なんだよ。それに、この話はいつかお前が大きくなったら伝えなきゃって、ずっと思ってたんだ」


「にしても、シャンクさんがそんないい事言う人だったなんて、ちょっとびっくりです」


「なんだとぉ……言ってくれるじゃねえか!」


 そう言って二人は笑い合った。


「なんか……ひっぱられてる」


 レイネが突然言う。


「おい、魚影が見えるぞ! こりゃ大物だ! よしフィリオ! 一緒に引き上げるぞ!」


 シャンクとフィリオはすかさずレイネの手を掴む。


「いいかレイネ、力をグッと込めて、ゆっくり引き上げるんだ」


「グッと……」


「そうだ! 魚がこっちに近づいてきただろう。上手いぞレイネ!」


 シャンクが嬉しそうに言った。

 魚影がみるみる大きく、はっきりと見えてくる。

 夕日が彼らを優しく照らす。


「よい……しょ!」


 フィリオがそう言った途端、水面から勢いよく大きな魚が顔を出した。

 魚は必死に海へと戻ろうともがいている。


「よし、あとは船に引き上げるだけだ! レイネ、フィリオ! もう少し……だ!」


 シャンクの言葉に二人はうなづいて、思い切り力を込めて竿を引っ張った。


「つ、釣れた!」


 フィリオが思わず叫ぶと、魚は釣針を咥えたまま空中を泳ぎ、船に大きな音を立て着地した。

 釣れた魚はレイネの胴体程の大きさで、表面は銀色に光っている。


「お前ら、よくやったな! まっさかこんなおっきい魚が釣れるなんてな!」


 シャンクは優しく微笑んだ。

 三人は釣り上げた魚を見て笑い合った。


「そら……きれい」


 レイネがふと空を見上げて言う。


「空?あぁ、もうすっかり夕方だね」


「空か……先輩が好きだったっけな……」

 

 三人が仰いだ雨上がりの空は、すみれ色に染まっていた。

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