#13 Indigo

 さんさんと照りつける太陽が眩しい日のことだった。レイネの風邪が治ったと聞いたフィリオは、まるで突風の様にリーフ達の街病院へ駆けつけた。


「わたし、なおったよ……かぜ」


 フィリオがドアを開けると、すっかり元気になったレイネがにこやかに彼を出迎えてくれた。


「レイネ……! 良かった!」


 そう言って彼は思わずレイネを抱きしめた。


「しんぱいかけた……ごめん」


「良いんだよ。レイネ。あのバーベナの花、僕のために買ってきてくれたんだろ。ありがとうな。それと……ちゃんとパン、買えて偉かったぞ」


 フィリオはリーフに言われた通りにレイネを褒めた。


「……」


 彼女は少しはにかんで下を向いた。


「生憎、パンは雨に濡れて食べれなくなっちゃったけどな」


 フィリオはこう言いながら笑った。

 レイネも思わず笑みが溢れる。

 フィリオは、二人の絆がより深まった様な、そんな気がした。

 そして、レイネの風邪が治って一週間が経った日の朝、フィリオはいつもの様に散歩に出かけようとしていた。


「レイネ、今から散歩しに行くけど、一緒に……」


 フィリオは言いかけて口をつぐんだ。


「あ、やっぱり今日はやめとくか? 雨降ってるからさ」


 彼は、レイネがあの件の事から雨を嫌いになったのではないかと思い、そう提案した。


「あめ……きらいだった……あのときから」


「やっぱり……そうだと思ったよ。今日は無理しなくていいぞ」


「でも……」


「でも?」


 フィリオが聞き返した。


「あめは……きれいだって、おばあちゃんが……おしえてくれた」


「クリスおばさんか……」


「あめはね……よごれたこころを、あらってくれるんだって……そういってた」


 クリスティーンは雨が好きな人物だった。フィリオは幼き日に料理の練習をしている最中で切り傷を負い、街病院へ行った事をふと思い出した。

 その日は雨だった。泣きべそをかくフィリオにクリスティーンはこう言った。「雨はね、涙の代わりなのよ。人の悲しい気持ちや、苦しい気持ちを、神様は雨に変えて降らせているの。だから、あなたも泣く事ないわ。痛みは雨に変わるからね」幼き日のフィリオは泣きながらクリスティーンに言った。「そんなこと……言われたって……」するとクリスティーンはなだめる様に歌を歌った。「刹那に咲く花は 風の様に清く 記憶に降る雨は キミの様に深く」

 歌を聴いた幼き日のフィリオは、不思議と痛みが和らぐ様な感覚を覚えたのだった。

 

「でも……ぬれるのはいや」


 レイネはむすっとして言った。


「……だろうな」


「かさ、さす」


 レイネはどこか自慢げに言う。


「傘? あ、あぁ。そうだな……傘さして出かけよう」


 フィリオは驚いて言った。レイネが傘と言う物を知っているとは思わなかったからだ。クリスティーンに教わったのか、それとも別の誰かから教わったのか……フィリオは、子供はいつの間にか知識を増やすものなのだなとしみじみ思った。

 こうして二人は散歩に出かけた。フィリオの持つ傘が二人を覆う。雨が傘を打つ音が心地良い。

 

「せつなにさくはなは かぜのようにきよく」


 レイネが歌い始めた。


「その歌……クリスおばさんに教えてもらったんだな」


「うん。うたって……ふしぎ」


「あぁ。歌は人の心を現す。そう言う所は絵と似てるのかもしれないな」


「……そうかも」


「記憶に降る雨は キミの様に深く」


 フィリオは続きを歌った。

 しばらく歩いていると、レイネが街角にひっそりと佇んでいる紺色の紫陽花を見つけた。


「これ、なに?」


「これは紫陽花って言う花だ」


「これも、はな?」


 レイネは紫陽花をじっと見つめながらフィリオに問う。


「ほら、よく見てごらん。小さい花がたくさんあるだろ?」


「……ほんとだ」


 そう言ってレイネはまたあの歌を口ずさんだ。


「せつなにさくはなは」


「風の様に清く」


 フィリオがレイネの後に続けて歌った。

 そして二人は顔を見合わせて優しく微笑んだ。

 時が過ぎるにつれて、雨はいっそうと激しさを増していった。


「雨が強くなってきたな……よし、一旦雨宿りも兼ねて母さんの所へ行くか」


 二人はレオナの酒場へやってきた。

 

「あらフィリオ! おかえりなさい! 雨の中よく来たわね! レイネちゃんも、おかえりなさい」


「ただいま、母さん」


 雨の日なのにも関わらず、酒場の客は沢山いた。フィリオは入って間もなく、酒を飲む一人の男が目についた。


「あれ、シャンクさん? どうして今ここに?」


「その声は! フィリオじゃないか! いやーなんだか久々だなぁ……! 最近調子どうよ……俺はぜっこーちょーだ! へへっ」


 陽気に話すこの中年の男はシャンクと言う。漁師を生業としている。


「お、そいつが例の娘ってのか! えーと名前は確か……」


「レイネって言います」


「……そうか! 俺はシャンクってんだ。レイネ、よろしくな」


 シャンクはビールが入ったコップを持ったままレイネにそう言った。

 

「俺は今せがれに漁を頼んでんだよ。そろそろ親離れして独り立ちしねぇとだし、何より俺はさっさと仕事辞めて、未亡人眺めながら酒を飲みてぇんだよ」


 そして彼はレオナの方を向いてにやりと笑った。


「な、なんて事言うのシャンク! 私はね、今でもジタンを愛して……」


 シャンクとレオナは幼馴染で、かれこれ三十数年の仲になる。


「はいはい……じょーだんだよじょーだん。先輩とあんたは街一番のおしどり夫婦だからな」


 ジタンはシャンクより少しだけ歳上である。それ故彼はジタンの事を昔から「先輩」と呼んでいるのだ。


「フィリオ、お前も一杯飲むか?」


「いや……僕お酒弱いし……」


 フィリオはやんわり断った。


「遠慮はいいんだよ……この国じゃ十八にもなれば酒が飲めんだ。飲まないと損だぞ?」


「そうかな……まぁ、ちょっとだけなら……」


「よーしその意気だ! 飲め飲め!」


 フィリオはシャンクの隣のカウンターに座った。


「レイネ、隣おいでよ。お酒は飲ませられないけど、ジュースとかあるし」


 「ジュースって?」


「果物を絞って作る飲み物だよ。オレンジで作ったジュースなんかもあるぞ」


「……のみたい」


 そう言ってレイネはフィリオの隣に座った。


「レイネちゃんにはオレンジジュースね? フィリオは何にする?」


 レオナがフィリオに言う。


「僕はりんご酒でいいや」


「何? りんご酒だとぉ? そんな物はガキの飲みもんだ! おいレオナ! エールビールをフィリオに持ってこい」


 シャンクはすっかり酔っ払っている様だった。


「シャンクさん……それはちょっと……」


「ちょっとシャンク……! まったく……酒癖の悪さは相変わらずよね……」


 レオナは額に手を当てため息を吐いた。

 レオナはフィリオにりんご酒を、レイネにオレンジジュースを出した。

 レイネは細い両手でそっとグラスを掴んでゆっくりオレンジジュースを口に運んだ。


「どう?」


 フィリオがレイネに言う。


「うん。おいしい」


 シャンクはジョッキいっぱいに入ったエールビールを豪快に飲んでいる。


「くーっ! 美味い! 最高だ!」


「シャンク、今日はこのくらいにしたら? 雨の中サニーに漁に行かせて……自分は昼間から酒飲んで……ほんと情けない男……」


 レオナが失望した様な顔で頬杖をついて言った。

 サニーとはシャンクの息子である。


「うっ……分かったよ、じゃあ……せがれの所に行って様子を見てくるよ……だから、その『情けない男』ってのは撤回してくれ、な?」


 シャンクは人に貶されるのが大嫌いな男だった。

 

「あー……なんでこんな奴が結婚出来たんだろ……」


 レオナはボソッと呟いた。


「あ! そうだ! お二人さん、釣りにでもどうだ? せがれの様子を見に行くついでだ。海、そして風を直に感じるってのはいいもんだぞ」


 シャンクが突然そう言った。


「僕達を釣りに……? そんなこと言ったって、今日は雨ですよ?」


 フィリオが言ったその時、窓から太陽の光が差した。彼の言葉は嘘になった。


「あら? 雨止んだみたいね。うん、せっかくだし行ってみたら?」

 

「……やってみたい」


 レオナの言葉の後に、レイネが小さくうなづく。


「よーし! そうと決まれば早速出発だ!」


 シャンクが元気良く叫ぶ。

 それじゃあ三人とも、いってらっしゃい!」


 レオナは三人を笑顔で見送った。

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