第27話 ゴボウと貞操の危機と手羽先と

 一月二十日 午後八時二十五分


 私は今、ナンパされている。


 今日は中山陸さんの誕生日会だ。葉梨と私と三人で飲みに行くことになったのだが、約束の時間を過ぎても二人は来ない。だから私は三人目のナンパ対応をしている。

 四月に三十四歳になるが、熟女の私もまだまだいけるのだなと自信はつくが、面倒であることには違いない。


 葉梨は視界の端にいる。

 いつものように様子見をしていたが、符牒を送るとこちらに早歩きでやって来た。

 黒いストレートパンツに白いプルオーバー、黒のダウンベスト姿の葉梨は髪がもっさりしている。珍しく無精ヒゲを生やしているようだ。ガラが悪すぎるだろう。


 私とナンパ男の間に入った葉梨を見上げた男は逃げるように去っていった。


「葉梨、ナイス」

「んふっ……遅れて申し訳ありませんでした」


 見上げて葉梨の顔を見るが、少し疲れているようだ。仕事が立て込んでいて、今日は久しぶりの休みだから理容室に行こうと思ったが寝過ごしたと言う。


 山野の件は逐一岡島から連絡がある。たが山野は葉梨の気持ちに応じる様子は無い。複数人から山野のことは聞くが、どうも話の出処は本人のようだ。山野は口が軽くなってしまった。


 その時だった。私の背後から声がして振り向いた瞬間に私は両腕を葉梨に抱えられた。何が起きたのかと思ったが、葉梨の隣で笑う中山さんにおそらく膝カックンされたのだろう。


「遅れてごめんね」

「……お疲れさまです」

「ふふっ、ナンパされて面倒くさそうにしてるお前の顔、俺けっこう好きなんだよ」


 ――見てたのか。


 顔を見ていたということは私の視界の中にいたということだ。だがいなかったはずだ。気配も感じなかった。

 葉梨を見た中山さんは『ヒゲぐらい剃って来いよ、みっともねえな』と言った。謝罪する葉梨はしょんぼり顔だ。可哀想に。


「ふふっ、葉梨、後悔させてやるから来いよ」


 そう言って一人歩き始めた中山さんの後を私たちはついて行った。



 ◇



 私は今、来店は三度目のとある店の前にいる。


 Pub Lounge Espacio Negro


 パブラウンジ エスパシオ・ネグロだ。

 葉梨がヒゲを剃って来なかったことを後悔させると中山さんは言っていたが、ここかと納得した。


 ――葉梨は後悔で済むだろうか。


 当の葉梨は初来店でこのエリアは仕事で訪れることが無いから、立地や店名、監視カメラや非常口などの必要な情報を頭に入れているようだ。もっさり頭のガラの悪い葉梨は余裕が無いように見える。可哀想に。


 中山さんが店のドアを開けると野太い声がした。


「いらっしゃーい」

「おう、久しぶり」

「あらー、カズマちゃん、おひさー」


 ――野太い声が少し高くなった。


 中山さんはこの店では『カズマ』と名乗っている。私は初来店時に茶色のロングワンピースを着ていたせいで、ママから『ゴボウ』と命名されたが、葉梨はどうなるだろうか。

 ちらりと葉梨を見ると絶望顔をしていた。無理もない。綺麗なお姉さんのいるクラブだと思ったのだろう。だがドアの向こうは魑魅魍魎オネェさまが蠢く暗黒空間エスパシオ ネグロだったのだから。


「やっだぁー! イイ男がいるじゃなーい!?」

「うん、脱がすともっとヤバいよ」


 ――将由坊ちゃま、貞操の危機。


 中山さんはいつものソファ席に案内され、葉梨は魑魅魍魎に両腕を掴まれながらソファ席に連行されていた。


「あらやだ。ゴボウもいるー、おひさー」

「ご無沙汰しております」

「ゴボウはお客様なんだから敬語じゃなくていいのにー」


 ――客をゴボウ呼ばわりはいいのか。


 ママから好きな席に座るよう言われた私は二人がいるソファ席が見えるカウンター席に座ると、魑魅魍魎に囲まれてボディタッチというか全力で胸を揉みしだかれている葉梨と目が合った。


 ――将由坊ちゃま、がんばれ。


 葉梨の姿に笑う中山さんはあの時と同じ笑顔だ。夏の任務後に葉梨を呼んだ時と同じ笑顔だった。


 私はここのフードメニューが好きだ。大食いの私のためにキッチンのスタッフさんが次から次へといろんな料理を持って来てくれるので、毎回カウンター席に座っている。

 だが今日は中山さんのお誕生日会だ。乾杯だけはソファ席に行こうと席を立ったが、中山さんと体格の良い葉梨と四体の魑魅魍魎でソファ席はみっちみちだった。

 仕方なくソファの隅っこの脇に立っていると中山さんが手招きした。それを見た魑魅魍魎は空間を開けようとして、四体の中では比較的小柄な魑魅魍魎が葉梨の膝に座った。そして残りの魑魅魍魎はそれに抗議している。


 ――楽しそうで何よりだ。


 テーブルの上にはバースデーケーキが置かれ、たくさんのボトル、グラス類、フルーツの盛り合わせが所狭しと並べられていて、それらを囲んでみんなでわいわいしている。


「それじゃ、カズマちゃんのお誕生日のお祝いを始めまーす!」

「ありがとー!」

「カズマちゃんはいくつになったのー?」

「二十四歳、でーす!」


 ――ひと回り、サバ読んでる。


 野太い声のバースデーソングが店内に響き、相変わらず胸を揉みしだかれている葉梨は仕事モードでやり過ごそうとしてキリッとした顔をしたが、そのせいで魑魅魍魎から野太い歓声が上がってしまっている。


 隣の中山さんは皆と乾杯して機嫌良く飲んでいた。

 本来は葉梨ではなく松永さんがいるはずなのだが、今回は松永さんがキャンセルしたという。

 その話をした時の中山さんは少しだけしょんぼりしていたが、松永さんがキャンセルした理由が女だったからすぐにキレ始めた。


「酷くね? 俺の誕生日だよ?」


 ――同期の誕生日と女、か。


「松永さんはたまに会うイイ女がいるそうですよ」

「マジで!? じゃあしょうがねぇな」


 ――納得するんだ。


 中山さんは松永さんに自撮りを送るという。

 私にあれこれ指示して私と一緒に撮った自撮りを松永さんにメッセージアプリで送ったが、開いたままのトーク画面を見ると、誕生日会の誘いとそれを断る松永さんのメッセージが目に入った。


『誕生日会やるから来て』

『いつ?』

『一月二十日』

『多分ムリだよ』

『やだ来てたっくんに会いたい』


『りっくんお誕生日おめでとう』

『明日は無理』

『行けなくてごめんね』

『わかった』


 中山さんの誕生日は昨日だ。

 松永さんは誕生日当日にちゃんとお祝いのメッセージを送っている。同期同士の仲の良さを垣間見て頬が緩んだが、送った画像に既読がついたと思ったらすぐにメッセージが返ってきた。


『バーカバーカ!!』

『加藤に何してんだバーカバーカ!!』


 メッセージに目を落とす中山さんは頬を緩ませている。

 警察学校で苦楽を共にした同期は特別な存在だ。中山さんは葉梨が来てくれて嬉しそうにはしているが、松永さんもいたらもっと嬉しかっただろう。



 ◇



 カウンター席でオムライスを食べていると、中山さんが隣に来た。

 葉梨を放置するのは危険だろうと思い振り向くと、いつの間にか白いプルオーバーを脱がされていた葉梨は長袖のインナー越しに胸を揉まれている。だが魑魅魍魎の扱いに慣れたのだろう。上手いことあしらっている。さすが葉梨だ。


「お前本当によく食うな」

「おかげさまで」


 私は中山さんとは夏以来会っていなかったが、松永さんとは何度か会っているようで、松永さんが私の体型の変化について悩んでいると教えてくれた。


「お前みたいな化け物って、なかなかいないんだよ」

「化け物」


 身長一メートル六十五センチ以上、痩せていて筋力体力のある人間のことを指している。本来は男がする任務なのだが、お試しで私を訓練してみたら合格して今に至る。後任を探したが少子化に貢献しただけで終わった。


「松永がさ、丁寧に食べた手羽先の唐揚げのお前が適当に食べた手羽先になったって言ってた」


 ――肉が残ってる、という意味だろうか。


「二キロ」

「えっ?」

「お前があと二キロ増えても、俺らは対応出来るようにしたから無理しなくていいよ」


 中山さんは、上限体重が二キロ増えたことで該当者が増えるから後任をまた探せと言う。


「鬼子母神奈緒をナメてはいけませんよ」

「あれな、本当にびっくりしたな」


 独身警察官が次々と妊娠するという事態を重く見た上の方の人たちは、私を全署出禁にした。本気で意味がわからなかったが、配置転換や産休対応を考えたらそれがベターな判断だったと今は思う。


「いらっしゃいませーって、あらおひさー!」


 野太い声が来店客を出迎えるが、そこにいたのは須藤さんだった。

 須藤さんはソファ席で魑魅魍魎から胸を揉まれている葉梨を二度見したあと、私たちがいるカウンター席を見た。


「陸、誕生日おめでとう」


 優しい笑顔の須藤さんは中山さんにソファ席へと誘う。私に『もっと食べなよ』と囁いた中山さんは頬を緩ませて席を立った。

 中山さんは須藤さんを慕っている。

 須藤さんは仕事を捨てて今夜はやって来たのだろう。須藤さんは後輩や部下の面倒見がいい。だから家庭がダメになったのだが。


 新しい恋人はあれからどうなったのかと思うが、なんとなく、大丈夫そうな気がした。





 

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