第26話 ピアスと赤と白と
午後二時五分
デパートの駐車場からエレベーターで降り、店舗までの長い廊下を歩いてるが、私はふと思った。
私はパパ活疑惑を晴らすためにわざわざ署に向かい、謝罪パフォーマンスをしてあげた。その分の礼は食事だが、食事なら署の向かいにある客単価がえっらい高いファミレスでよかったのだ。
なのに須藤さんの恋人らしき女性へのプレゼントを選ぶためにデパートまで連行されている。クリスマス・イブにタダ働き――。
私は納得がいかない。何か私も買って欲しい。ならば須藤さんに揺さぶりをかけてみようと思い、私は早歩きで前を歩く須藤さんを呼び止めた。
「
これは電話の向こうの女性が言っていた。
甘えた声ではなかったが、優しい女性の声で、須藤さんは自分の名を呼ばれて照れていた。
「加藤」
「なんですか」
「やっぱり聞こえてたんじゃねえかよ」
「んふふ、諒輔さん、私もプレゼント欲しいです」
眉間にシワを寄せる須藤さんとにらめっこしていると、須藤さんの肩越しに見覚えのある二人に気づいた。令和最新版インテリヤクザとお洒落な熊――。
私の視線の方向へ振り返った須藤さんも気づいたようで、二人に話しかけようとしたものの、二人は背を向けて走り去った。
「逃げやがった」
「ふふっ、どんな噂話になりますかね、諒輔さん」
「……お前さ」
「諒輔さん、私はピアスが欲しいです」
「知らないよ。自分で買えよ」
「岡島が流す噂話で、また上に絞られたいですか?」
「殴るよ?」
「なら、パワハラで処分されます?」
「一万までだ」
――セコいな。年収八百万超えのくせして。
◇
私は今、ジュエリー売り場に向かっている。
若干キレているチンパンジーに大ぶりのピアスを買ってもらおうとしている。須藤さんの恋人にはネックレスでも選ばせればいいだろう。
「諒輔さん、予算アップして下さい」
「下の名前で呼ぶのやめて」
「どうしてですか」
須藤さんは大きな溜め息を吐いて、恋人の話をしてくれた。
出会ったのは半年前で、むーちゃんの知り合いの紹介だったという。須藤さんは女性の下の名前で呼んでいるが、女性は須藤さんをずっと名字で呼んでいた。
だが午前中のあの電話で、恋人が初めて『諒輔さん』と呼んでくれたという。
――私のせいでスイートなメモリーが台無し。
「付き合ってるわけじゃないんだよ」
「お友達?」
「うん。趣味が同じでね」
須藤さんは好意を寄せていて、何度か好意を伝えてはいるが、女性は趣味仲間として自分を見ているという。彼女はそれ以上の関係を望んでいないようだが、名を呼んでくれたから、想いを受け入れてくれたのだろうと須藤さんは言う。
頬を緩ませて女性の話をする須藤さんを微笑ましいと思った。それに須藤さんは私を信頼してプライベートな話をしてくれたのだと思うと、私は嬉しかった。力にならなくてはと思った。
「須藤さん、プレゼントはダメです」
「なんで?」
「趣味に合わないとか、金銭感覚が合わないとか、いろんな問題があります」
「うーん、でも……」
「花束にしましょう」
「花?」
薔薇の花束は本数によって意味が変わると聞いたことがある。花屋に行って、聞いてみればいいと思った。
◇
花売り場で、真剣な表情で花を見つめている須藤さんの瞳に色とりどりの花が映っている。須藤さんは真剣な眼差しで花を選んでいたとお相手の女性に教えてあげたいと私は思った。
だが、視界の端に岡島と葉梨がいる。邪魔な奴らめ。当然だが、須藤さんも気づいていた。
「須藤さん、チンピラと葉梨はどうします?」
「呼べ」
私は振り向いて二人を手招きした。だが二人は警戒している。
「来ませんよ」
「もう!」
須藤さんが手招きすると、二人はしぶしぶやって来た。だが警戒を解かない岡島の頭を引っ叩いた須藤さんは、食事を奢るから黙ってろと二人に言った。
二人とも要求を飲んだが、岡島はなぜ私たちがデパートの花売り場にいるのか聞いてきた。だがその質問に須藤さんは無視したから、仕方なく私が答えた。
「須藤さんのこ痛たたたっ! やめっ須藤さっ……爪! 爪!!」
須藤さんにパワハラされる私を見慣れている岡島は無表情だが、狂犬加藤がパワハラされている姿を初めて見た葉梨は驚いて岡島の後ろに隠れた。
――岡島よりデカいから丸見え。
その時、須藤さんの仕事用のスマートフォンが鳴った。私たちから少し離れて応答する須藤さんの表情を見ていたが、少し、目つきが変わった。
こちらを向いた須藤さんは岡島を呼び、電話を終えると話し始めた。隣にいる相手にしか聞こえない発声法で二人は話している。
岡島はこちらに戻って来たが、須藤さんはまた電話を取り出した。
「奈緒ちゃん、須藤さんが花束を買っておいて欲しいって」
「うん、わかった」
そしてまた岡島は須藤さんの元へ行った。岡島のハンドサインは『葉梨はここにいろ』だった。
「葉梨、花束を買おう」
「はい」
◇
花売り場の中にいた女性店員に声をかけ、薔薇の花束をお願いした。
「何本にいたしますか?」
「本数によって意味が違うんですよね?」
「ええ、そうです」
店員は薔薇の色と本数の意味が書かれた紙を見せてくれた。
――色にも意味があるのか。知らなかった。
色は赤が良いと思うが、白も良いかも知れない。本数はどうしようか。
隣の葉梨も紙を見ている。
男の葉梨に決めてもらう方がいいかと思い、葉梨を見上げた。
「あのさ、自分は相手が好きなんだけど、相手は……まあ、自分に悪い印象は持っていない女性に渡す薔薇の花束、葉梨なら何本にする?」
私はそう言って、葉梨に紙を渡した。
葉梨はものすごく真剣な表情で見ている。
――山野の件はどうなったのかな。
その件は岡島からの情報だから、私は葉梨に聞くことは出来ない。だが岡島と同様に私だって心配だ。
「加藤さん、色は赤だと決めているんですか?」
「うーん、赤が良いかなと思ってるけど……」
葉梨は白が良いと言う。
白い薔薇には、純粋、あなたにふさわしい、相思相愛などの花言葉がある。これに本数の意味を合わせる。
「本数は?」
「一本か七本、うーん……五本、ですね」
薔薇五本の意味は、『あなたに出会えて嬉しい』だ。七本は『ひそかな愛』で、一本は『あなたしかいない』だ。
「悩むね」
「そうですね」
「ま、この話は秘密にね」
「はい。わかっています」
◇
午後二時五十分
「タクシーかよ」
須藤さんは署に戻らなくてはならなくなり、食事はキャンセルとなった。
今、須藤さんが運転する須藤さんの私有車に、岡島と葉梨、そして私が乗っている。助手席に葉梨、運転席の後ろに岡島、助手席の後ろは私だ。
白い薔薇の花束を抱える私はルームミラー越しに須藤さんの視線を受けている。
ラッピングは赤と濃緑、ゴールドのリボンでクリスマスらしい花束になった。
葉梨は、『お相手の女性の心が決まっていないのなら、白い薔薇が良いと思います』と言った。もしダメだった時に、『須藤さんがダメージを負わないで済むという利点もあります』と笑っていた。
確かにそうだ。出会えて嬉しいという気持ちを伝えただけだと逃げ道が出来る。赤い薔薇ではそうはいかない。そこまで気が回るとは葉梨は凄いなと思った。
◇
自宅のある路線の駅前で降りた私に、須藤さんは車を降りて私の元へ来た。
謝罪パフォーマンスをさせたこと、デパートに連行したこと、なのに結局食事は無しになったことを詫びた須藤さんは、食事とピアスは日を改めてと言い、薔薇の花束の礼を言って車に戻った。
――パワハラしなければジェントルポリスメンなのに。
花を真剣に選んでいた須藤さんの姿は、想いを寄せる女性へのひたむきな気持ちが溢れていた。
私にはそれが羨ましかった。
クリスマスの装飾がされ、クリスマスソングが流れる賑やかな駅前に独り残された私は、去りゆく男三人が乗った車を見送りながら、切ない気持ちになっているのは空腹だからだと思い至り、ラーメンを食べてから帰ろうと、心に決めた。
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