第28話 バレンタインと初期投資と三大勢力と

 二月十二日 午後二時三十七分


 私は今、チョコレートパフェを食べている。


 向かいの席には不機嫌な顔をした松永さんと岡島がいて、二人はブラウニーを食べている。生クリームを添えて。

 私たちがスイーツブッフェに来ている理由は葉梨が岡島に話したからだ。


 先月、中山さんのお誕生日会で二月の約束を葉梨とした際、バレンタインデーだからスイーツブッフェにチョコレートのスイーツを食べに行こうと約束したのだが、それを葉梨が岡島に話してしまったのだ。

 まあそれはいいのだが、当の葉梨は仕事の都合でキャンセルになり、当然スイーツブッフェもキャンセルとなると思ったが、岡島がスイーツブッフェに行きたいと連絡を寄越し、仕方なく一緒に行くことになった。まあそこまではいい。百歩譲って我慢する。だがなぜか松永さんも待ち合わせ場所にいたのだ。


 平日の昼間、女教師モノの格好をした私と胡散臭いサラリーマン風の松永さん、そして令和最新版インテリヤクザがスイーツブッフェにいる。


 ――浮いてる! すっごく浮いてる!


 松永さんも甘い物は好きだが、スイーツブッフェはハードルが高すぎるとして行きたくても行けないらしい。そこで私に付き合わされる可哀想な男、という設定でスイーツブッフェに行けばいいと思い至り、岡島と約束したスイーツブッフェの予定に乗ったのだと。


「奈緒ちゃん、俺もパフェ食べたいから持ってきて」


 松永さんが自分で取りに行けばいいと思うのだが、女の私に付き合わされる可哀想な男の設定だからそうはいかない。面倒くさい。


「岡島、あんた持ってきて。ついでにパンケーキも」

「やだやだー! 恥ずかしいからやだー」

「奈緒ちゃん、バナナも乗せてきて」

「もうっ!」


 結局私が二人分のチョコバナナパフェを持ってくるハメになった。葉梨がいれば全てやってくれたかと思うが、バレンタインデーだから結局私がやらねばならぬだろう。スイーツブッフェなどやめておけばよかった。



 ◇



 小さなパフェグラスに入った生クリームにバナナを乗せてチョコレートをかけようとした時だった。ちらりと二人を見ると、ブラウニーを食べ終わり所在無さげに座っていた。


 ――設定も、私が離席したら無意味。


 あの二人はそれに気づいてなかったのだ。

 私はほくそ笑みながらもう一つパフェを作っていると、視界の端に相澤がいた。


 ――んんっ!? デートか?


 席に着いた相澤の後ろに小さくて可愛い女の子がいた。駅で葉梨に紹介していた女の子だ。マズい。早く席に戻らなくては。


 その時だった。

 いつの間にか隣にいた松永さんが私の耳元で囁いた。


「少し、我慢して」


 そう言って松永さんは相澤と彼女の席に行き、無理矢理相澤の彼女の隣に座った。もしかして松永さんは相澤がここに来ることを知っていたのか。だから……。


 松永さんは相澤と彼女に何か話しているようだが会話の内容は聞こえない。私は席に戻り、岡島にチョコバナナパフェを渡した。


「奈緒ちゃん、松永さんは相澤を邪魔してくるって言って行っちゃったよ」


 松永さんはデートの妨害をしている。

 これまでずっと、松永さんは相澤に彼女が出来るとデートの妨害をしていると言っていた。だから今日も……。 


 こちらに背を向ける松永さんを目を細めて見つめる相澤――。

 松永さんからはどうにかしろと言われる。だが私は何も出来ない。怖いのだ。だから今の関係でいいと思っている。

 松永さんはそんな私の気持ちを尊重してくれているから、相澤の彼女を私に見えないようにしているのだ。本当に申し訳無いと思うが、相澤を失うことが怖い。



 ◇



 横目で相澤を見ながら、私は岡島に聞いた。葉梨の件はどうなったのかと。


「葉梨の件、教えてよ」

「ん? ああ、もう山野とは会ってないよ」

「そうなんだ」

「けっこうね、葉梨は本気だったんだよね」

「えっ……」


 岡島は妹の麻衣子さんのことを言って山野を諦めるように言ったが、葉梨は聞き入れなかったという。岡島は山野に関する事実は言えず困り果てていた所に、もう連絡を取っていないと本人から申告があったそうだ。


「俺も調べたけど事実だった」

「そう」


 山野の件はもう私のせいではないと松永さんは言うが、違うだろう。葉梨の新しい恋も叶わなかった。


「奈緒ちゃん」

「なに?」

「葉梨がさ、麻衣子さんから手紙を預かってきたんだよ」

「……もしかしてラブレター?」

「うん」


 官僚もずいぶんと思い切ったなと思うが、恋する麻衣子さんならばそうするだろう。


「で、どうすんの?」

「……どうしよう」

「もうこの際だからさ、麻衣子さんの瞳を逮捕してきなよ」

「何言ってるの?」



 ◇



 松永さんにメッセージを送り、そっと店を出た私たちはバレンタインチョコ売場にやって来た。


「葉梨に渡すチョコを買うから渡してよ」

「俺には?」

「一緒にスイーツ食べたでしょ?」

「やだやだー、直くんもチョコ欲しいのー」

「バカなの?」

「うん」


 女性客でごった返す売場に岡島も一緒に行くかと尋ねると拒否した。まあ仕方ない。私は岡島を置いて売場に行った。


 葉梨はよく食べるから大容量のチョコレートが良いだろうか。だがバレンタインデーだ。ちんまりとした高級チョコの方がいいだろう。

 私はそんなことを考えながら売場を巡っていると、松永さんが横にいた。


「相澤の彼女、すっげー不機嫌になったから任務完了」

「……最悪ですね」

「だろ? 奈緒ちゃんがどうにかしてくれれば俺も良心が痛まないんだけど」

「……すみません」


 目を伏せた私を覗き込むように顔を寄せた松永さんは、「奈緒ちゃんからバレンタインデーのチョコが欲しいな」と言った。


「スイーツブッフェへ一緒に行ってあげましたよ」

「それとこれとは別じゃないの?」

「別じゃないです」

「もう!」


 松永さんならバレンタインデーのチョコの一つや二つ、望まなくとも集まりそうだと思うが、最近の松永さんはすっごく大人しくなっているから予定は無いのかも知れない。


「須藤さんには渡しますよ」

「俺には?」

「ナッシングです」

「もう!」


 プリプリしながら松永さんは岡島の元へ行った。

 そんなにバレンタインデーのチョコが欲しいのなら買ってあげるか。仕方ない。ひと月後にリターンが確約されているのだ。初期投資は惜しんではいけないだろう。



 ◇



 午後十時三十二分


 私は今、湯船に浸かっている。


 お風呂に入るといつも考えることがある。

 風呂上がりにはさっさと髪を乾かせ、さっさとスキンケアしろ、さっさとストレッチしろの三大勢力があり、世の中の女子は毎夜選択を迫られているのだが、実際のところはどれが最優先なのか今でもわからない。


 スキンケア、だろうか。だが松永さんの弟さんは髪を乾かしてと言っていた。スキンケアをしない男ならそうだろう。だか女はそうはいかないのだ。

 風呂上がりにキンキンに冷えたビールをプシュッとするあの一瞬が幸せなのだから、髪もスキンケアも後回しなのだ。


 そうして女子力皆無の結論を出して風呂を上がるのがいつものバスタイムなのだが、今日はチャック付きポリ袋に入れたスマートフォンが鳴っている。

 誰だろうか。画面を見ると葉梨だった。

 私は折り返すためにすぐに風呂を出た。



 ◇



 電話口の向こうの葉梨は弾んだ声をしている。

 バレンタインチョコのお礼を言っているが、何だかとても嬉しそうだ。


 ――三粒で千五百円、払った甲斐があった。


「大きいピーナッツチョコ、美味しかったです」

「えっ?」

「五個も入ってました」


 それは岡島に渡した三百円のチョコだ。

 もしかしてアイツは葉梨用のチョコを食ったのか。


「あのさ、そのチョコは岡島用のなんだけど」

「ええっ!?」

「今は官舎? 岡島はいるの?」

「岡島さんは出かけました!」


 岡島はチョコをどうしたのかと葉梨に尋ねると、一粒を自分にくれて、岡島も一粒食べて残りは残してあると言う。


「美味しかったでしょ?」

「はいっ! でもあのピーナッツチョコも美味しかったです」

「岡島にはきちんと伝えたんだけどね。ごめんね」

「とんでもないです。ありがとうございました」


 葉梨は、岡島と官舎のリビングでチョコを分け合って食べたと言う。高級チョコと庶民派チョコではラッピングや味に明確な差があったと思うのだが、二人共あまり考えていないようだった。男なんてそんなもんだ。


「残りの一粒は葉梨のだからね。食べなよ」

「そういうわけには……」

「んー、じゃあさ、次に会った時に買ってあげる」

「えっ、でも……」

「いいからいいから」


 さすがに後輩へ三百円のチョコはないだろう。

 岡島から現金を回収して葉梨にまた買ってあげようと私は思った。





 

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