第13話 螺旋階段とソファと優先順位と

 午後三時十八分


 私は今、衝撃に耐えている。


 葉梨の実家で出迎えて下さった、花柄のエプロンをした小柄な女性は葉梨のお母様ではなかったのだ。


「加藤様、お待ちしておりました」


 にこやかに私の訪問を歓迎して下さったその女性はお手伝いさんだった。

 その女性の向こう側、玄関と玄関ホールで二十畳以上はありそうな家なのだが、二階まで吹抜けで正面は螺旋階段だ。

 上りきると廊下は左右に伸びていて、玄関正面の、その二階の廊下の向こうの大きな窓にはステンドグラスが嵌め込まれていた。


 高卒公務員夫婦の私の実家は普通の家だ。

 番犬のマロンは犬小屋を倒壊させるアホな子だ。


 だが葉梨はどうだ。葉梨の父は元官僚で天下り中、姉と妹は官僚だという。なぜ長男の葉梨は警察官なのかと聞けば、駅の改札口でスカウトされたからだという。それは事前に調べていた件だったな、と思いながら聞いていたが、官僚を目指さなかったのか、親は高卒警察官に反対しなかったのかと聞くと、賛成してくれたという。


 ――すごく、意味が、わからない。


「さ、加藤様。応接間はこちらでございます」


 ――応、接、間、だと?


 この玄関ホールを見ただけでわかる。本当に応接間があるのだろう。うちはダイニングテーブルでだいたい済ませるのに。


 私はただ葉梨と二人きりになれる静かな場所を探していただけなのだ。それは官僚の自宅の応接間ではない。なのに、どうして、こうなった。



 ◇



 私は今、衝撃に耐えている。


 応接間に通された私は驚いた。ソファがいっぱいあるのだ。


 来客を何人想定しているのかと、数えてみれば二十人以上だ。

 そして私はどこに座ればいいのかと悩んだ。黒い革張りのソファに白いレースのカバーが半分掛けてあるソファだ。ここは署長室かと思ったが、よく考えたら署長室にもこんなにソファは無い。どこに、座れば、いいんだ。

 そして応接間は何畳あるのかと考えたが、もう私は諦めることにした。


 ――お父さん、官僚って凄いんだね。


 だが私は考えた。

 今日の私は葉梨家の子息の職場の先輩として招かれたのだ。ならば上座だ。私は、上座だ。

 官僚宅に訪問した地方公務員ならば廊下で正座だろうが、今日の私は違う。

 入口、ソファのレイアウト、それらから導き出された上座は――。


「加藤さん、こちらに」

「うん、ありがとう」


 葉梨、ナイス。上座がイマイチわかんなかったんだ。だがこの席は、私が導き出した上座と同じだ。だから多分、上座なのだろう。

 だいたい下っ端警察官など、こういった応接間の外では立哨だ。入ったとしても壁際に突っ立ってるだけだ。


 ――お父さん。娘は今、官僚の自宅で上座に座ってるよ。


 私は桐箱に入ったカステラを食べてモメラニアンと遊んだら走って帰ろうと思った。



 ◇



 午後五時五十分


 私は今、衝撃に耐えている。


 葉梨そっくりのお母様と、背が高くて品の良いお父様から、葉梨の誕生時の写真を見せられた。だがそこで終わるのかと思ったが、甘かった。

 そこから葉梨の幼稚園入園、卒園、小学校入学、運動会、遠足、社会科見学、家族旅行、習い事の発表会などの葉梨ヒストリーを聞かされて、写真を見せられて、二時間以上が経過しているのだ。


 ――まだ小学校を、卒業していない。


 当の葉梨は隣にいるが、モメラニアンの新入りのウニちゃんを太ももに仰向けにさせ、お腹をこちょこちょさせながら笑っている。

 もう一頭のクルミちゃんは私の膝の上で寝ている。


 ――私は何をしに来たんだっけ。


 だが、今日で葉梨を形作るものが理解出来た。

 御両親に愛される葉梨は正しく育った良い子だ。

 警察官となり闇金の取り立てみたいな格好が似合うようになってしまったが、一升餅を背負うチビ葉梨、道着を着るチビ葉梨、ピアノやバイオリンを弾くチビ葉梨、ランドセルが小さいチビ葉梨、どの写真にも可愛く笑うチビ葉梨がいた。

 写真を眺める御両親は頬が緩みっぱなしだ。


 ――あたたかい家庭。


 微笑ましくて、私は葉梨の実家に来てよかったと思った。だが、走って帰りたい気持ちは変わらない。



 ◇



 午後六時十五分


 私は今、衝撃に耐えている。


 六時を過ぎた時だった。葉梨のお母様と誤認したお手伝いさんが応接間のドアをノックしてこう言ったのだ。『お食事のご用意が整いました』と。


 帰れないじゃないかとは思ったが、私は御両親に促され、クルミちゃんを膝から下ろして立ち上がると、クルミちゃんとウニちゃんが私の足元にまとわり付いて歩けなかった。それを見た葉梨がモメラニアンを小脇に抱えて御両親の後をついて行った。

 葉梨の脇の下からモメラニアンが顔を覗かせているのを見ながら私も一緒に行くと、そこでまた私は衝撃を受けた。


 案内された先には、白い楕円形の十人掛けダイニングテーブルがあった。テーブルランナーがあって花が、蝋燭があったのだ。


 ――皿が、二枚重ね。


 こんなの得体の知れないインフルエンサーのお洒落生活SNSだけの世界じゃなかったのか。


 この猫脚のダイニングテーブルで、猫脚のダイニングチェアに座って、カップ麺を啜ることもあるのだろうか。食べかけの煎餅の袋を水色の洗濯バサミで留めてダイニングテーブルに置くこともあるのだろうか。


 ――無いのだろうな、きっと。


 私は早く走って帰りたいと思った。地方公務員とは住む世界が、違う――。



 ◇



 午後八時三十二分


 私は今、衝撃に耐えている。


 夜遅いからと、私を車で送るよう御両親が葉梨に言ったのだ。駅を挟んで徒歩二十分だし、走れば十分だし、そもそも私は警察官なのだか、御両親は女性だからと言って葉梨が送ってくれることになった。

 だがその車が、コレだ。ドイツ車の最上位クラスよりも高い国産車だ。私が三年働いても買えない車――。


「ねえ葉梨。これってハイブリッド車?」

「いえ、ガソリン車ですよ」


 ――エンジン音はどこにいった。


 クラウンパトも公用車も高級車の部類だが、この車はレベルが違う。唸りをあげて坂道を登る実家のコンパクトカーが恋しい。


「葉梨。私は今日、身の程を知った」

「んっ!?」



 ◇



 住宅街を抜け、駅に向かう少し混んだ道を眺めながら、私は何とも言えない疲労感を感じつつ葉梨を見ると、またスマートフォンを気にしていた。

 車は信号で止まってはいるが、警察官としてはスマートフォンの所持、操作、画面注視はだめだ。だが、葉梨の表情が少し、曇った。

 プライベートだろう。恋人だろうか。


 葉梨ヒストリーは中学の入学式で今日は終わり、続きは次だと御両親から言われている。次もあるのか――。

 だが今の葉梨のプライベートは知らない。知った方がいいと思うが、今は仕事を一緒にしているのではないから、それは不要な情報だと私は思っている。だが言ってあげないと、先輩の私が言わないと、真面目な葉梨は私を優先させてしまう。


「ねえ、葉梨」

「はいっ!」

「プライベート、最優先させなよ」

「えっ……」

「会うの、しばらくやめよう。電話とかメールも、優先させなくていい」


 葉梨は黙ってしまった。

 警察官は仕事故に恋人と長続きさせるのは難しい。葉梨は生活安全部だ。尚更、難しい。

 そこに私と関わらなくてはならなくなったのだ。

 このままでは恋人と終わってしまうかも知れない。葉梨の様子は、それを表している。


「葉梨、優先順位は、間違えてはいけない」

「あの、えっと……」

「私を優先させなくていい。わかった?」

「…………」

「返事は?」

「はいっ!」


 私は葉梨の顔を見た。喜んでもらえるかなと思ったのだが、違った。喜色は無かった。

 無理もない。先輩からそう言われても額面通りに受け取るべきなのかそうではないのか悩むだろう。ならば私は嘘をつけばいい。


「葉梨、私さ、二ヶ月は戻って来れない・・・・・・・から、八月末か九月頭に連絡するから」


 七月は松永さんに拘束される予定だが、長引く気がする。


「岡島には言っとく」

「……はい」


 自宅マンション付近まで送ってもらい、私は『大切にしてあげなよ』と言って、桐箱入りのカステラを抱えて車を降りた。

 食べ頃は三日後、らしい。





 

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