第14話 カステラと陰謀論と壁ドンと

 六月十八日 午後十時二十六分


 私は今、カステラを食べている。

 食べ頃を迎えた桐箱入りのカステラを食べている。

 美味しい。すごく、美味しい。

 語彙力の無さ故に『美味しい』としか言えないが、このカステラは美味しいのだ。コンビニのレジ脇にあるカステラとは違う。そのカステラとは違う美味しさがあるのだ。

 だが私は思った。

 食べ始めたら、食べ終わりがある――。

 だとしても私は、このカステラを、美味しいカステラを、また食べたい。

 ならば私に出来ることは一つだ。カステラの保存方法をインターネットで検索しよう。私はそう思った。


 検索しようとカウンターに置いたスマートフォンを私は指先で引き寄せた。

 親指と人差し指はカステラの紙を剥がした時に汚れたから中指で引き寄せたのだが、その時、私はふと思った。科学技術大国ニッポンのはずなのに、なぜ、このカステラの紙は今でもこうなのか、と。


 そっと剥がしても甘くて美味しいあの部分が、ザラメ糖が、紙に付いたまま剥がされる。

 日本の製紙技術は素晴らしいものだ。だが令和の今でもあの紙はカステラにへばり付いている。

 研究者だってカステラの紙について思うことがあるだろう。でもあの紙はカステラにへばり付いている。

 だから私は思った。きっとこれは、何か大きな力が働いているのだ、と。


 カステラの一番美味しいあの部分は紙が持っていく。残されたカステラをカステラとして認識していればいいと、私たちは思い込まされている。おそらくあの紙には庶民が知ってはいけない真実があるのだろう。

 警察組織にいる者としては、そういった類いのことには慣れている。カステラの触れてはいけない闇――。


 私はそんなことを考えながら、よくわからないことに遭遇した時は陰謀論で片付けるのが一番だな、と納得してカステラの保存方法を調べようとアイコンをタップした。


 その時だった。

 スマートフォンが鳴った。

 私の思考が読まれたのか。

 カステラの紙の闇に触れようとした思考を読まれたのか――。


 と思ったが、画面に表示された文字は『チンピラ』だった。

 令和最新版インテリヤクザに完全に切り替わるまでは『チンピラ』のままでいいだろうと、『出なくていい』から出世したチンピラ岡島から電話がかかって来ている。

 私は薬指で通話をタップして電話に出て、スピーカーにして応えた。


「もしもし」

「あ、奈緒ちゃん? 今カステラ食べてるでしょ?」


 ――コイツ、読めるのか、私の思考を!


「うん。なんでわかるの?」

「十五日に葉梨の実家に行って桐箱に入ったカステラを土産にもらったでしょ? なら食べ頃は今日だから、奈緒ちゃんは喜び勇んで食べてるだろうなと思って」


 ――葉梨家のお土産は桐箱入りカステラが標準仕様なのかな。


「うん、美味しい」

「美味しいよね、あのカステラ」


 チンピラ迷惑電話は迷惑なのだが、カステラが美味しいことは同意するしかなく、しぶしぶ話を聞いていると、チンピラは驚くべきことを言った。


「うちの冷凍庫にいつもあるよ」


 うちの冷凍庫にいつもあるよ。うちの冷凍庫にいつもあるよ。うちの冷凍庫にいつもあるよ……なぜ、あるのだろうか――。


「なんで?」

「葉梨が入れておいてくれるから」


 カステラは冷凍庫で保存するものなのだろうか。カッチコチになっても解凍すれば元のカステラになるのだろうか。


「食べ切れないカステラはラップで包んでチャック付きの袋か保存容器に入れておけばいいよ」

「そうなの?」

「うん。食べる時はちょっと置いておけばいいよ」

「そうなの?」

「うん、カステラは凍らないから」


 なんということだ。カステラは凍らないのか。それは検索すれば出てくるのだろうが、知りたかったことをチンピラから教えられて検索せずに済んだのだ。

 私は初めて岡島ナイス、と思った。

 ならば紙のことも聞いてみよう。


「あのさ、カステラのあの紙ってさ」

「ああ、一番美味しい所がくっついてムカつく紙?」

「うん」

「温めればいいよ」

「そうなの?」


 岡島は続けた。温めるとザラメ糖が溶けて紙と分離しやすくなると。ペリッと、ペリッと楽に剥がせると。


「葉梨の親父さんが教えくれた」

「そうなんだ」

「親父さんは『甘くて美味しい所なのに勿体ないよね』って言ってた」


 ――お父さん、国家公務員も地方公務員も考えることは同じなんだね。


「ねえ奈緒ちゃん」

「なにー?」

「葉梨のこと」


 私は葉梨の実家に行った日、家に帰ってすぐに岡島へ連絡した。葉梨のプライベートは聞いていないが、何かあったようだからしばらく会わないと伝えたと岡島へ言うと、岡島も何か思い当たる節があったようで同意してくれた。


「女、みたい」

「ああ、やっぱり」

「うん。俺は会ったことある」

「そうなんだ」


 岡島は言った。多分無理だろう、と。

 仕事は不規則で休日もいつ呼ばれるかわからない。そんな警察官について来てくれる女性はなかなかいない。結婚したとしてもそれは同じだ。

 一般女性だと警察組織が理解出来ずに夫婦関係が破綻することも少なくない。


 岡島もそうだった。

 岡島は別れた奥さんに一途だった。マメに連絡していた。デキ婚だったが、奥さんを大切にしていた。だがどうしても、岡島は女性のいる店へ行かなくてはならなかった。女関係は仕事上、必要だったから。

 それが我慢ならなかった奥さんは子供を連れて実家に帰ってしまった。

 別れた奥さんの父親は隣県の同業で現職だったから岡島の味方になってくれたが、奥さんは警察官の妻に嫌気が差したと言って、離婚した。


「奈緒ちゃん、葉梨を気遣ってくれてありがとう」

「えっ……」

「ちゃんと後輩の面倒見てる」

「あー、そうだね、ふふっ」



 ◇



 いつの間にか岡島のくだらない話に変わっている。

 後輩の本城昇太がコンビニのサンドウイッチを剥がしたら具が端にしかなくてキレたと。コンビニへカチコミに行こうとしていた所を須藤さんに頭を引っ叩かれたと。


 ――すごく、どうでも、いい。


 私は残りのカステラをラップで包みながら右から左へ聞き流していたが、岡島が昨日起きたことを話し始めた時、私は目眩がした。


 岡島は署で松永さんに会ったという。

 すっ転んだ手駒から報告を受け、岡島の供述と整合性が取れて私に非があると松永さんは判断したが、なぜか岡島は壁ドンされたという。


 松永さんの壁ドンは四つある。

 片手で顔の横に手をつく一般的な壁ドン、両手をつく壁ドン、折り曲げた腕をつく壁ドン、そして――。


「階段降りてる時に髪掴まれてそのまま壁ドンされた」


 ――そっちの壁ドン、か。


「耳のとこ、ちょっと痛い」

「可哀想に」

「あれ、心配してくれてるの?」

「うーん……」


 近々に松永さんとは会うことになっている。

 松永さんは私に四つ目の壁ドンをすることはないが、非のない岡島がそっちの壁ドンをされたとなると、私も覚悟が必要だと思った。


「じゃあさ、またこの前みたいに頭いい子いい子してくれない?」

「私がしてあげなきゃいけない法的根拠は?」

「ん、新しい返しだね。『バカなの』と『殴るよ』は飽きたの?」

「バカなの?」



 ◇



 午後十一時十分


 チンピラ岡島の電話が終わり、私はネットでサンドバッグを見ていた。


 ――ボーナス入ったら、買う。


 一人掛けソファと小さいテーブルしかないリビングダイニングは横長十二畳で、トレーニングマシンを置くスペースはまだある。

 私はワクワクしながらスマートフォンでサンドバッグを見ていた時、メッセージが届いた。

 松永さんだった。


 そういえば松永さんの性欲分も上乗せされてお説教食らったんだったな、と思い出しながらメッセージアプリのアイコンをタップした。





 

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