交わる運命は耐え難き灼熱のもとで 3

『どうして?』


 それは、マテアも訊きたかった。なぜこの世界の者は他者を害してまで生きようとするのか。なぜどの人間も彼等の訴えに耳を貸してやらないのか。彼等は彼等にできる精一杯の心話で、あんなにも叫んでいるというのに。



 最後の叫びすら、彼等は黙視される。あるいは、否定を。



 マテアは配給される食事は水以外すべて拒み、一切手をつけなかった。もともと割当量が少なかったため、それらは商隊の者に見つかる前に他の女たちの間で分配されてしまう。マテアが食事をとらないことを知らせる者はおらず、誰もが知らぬふりをきめこんでいた。


 ゆえに、マテアの食事は夜、月光神の投げかける月光のみとなったのである。


 季節のせいか、はたまた厚い天幕のせいか。天幕を透かせて入ってくる月光は、あの夜の力強い月光と違って月光界の月光よりもさらに弱々しく、満足するにはほど遠い。だがそれでもないよりはましだ。地上界の月光だからこそ、布の織り目を抜けて入ってこられるのだ。これが月光界の月光だったなら、天幕内は闇一色に染まり、マテアはとうに衰弱しきって意識を失っていただろうから。



 しかしそれは緩慢な死でしかない。大切な商品である彼女が夜、外へ出してもらえる可能性は皆無なのだから。



 少しずつ、少しずつ、ナイフでそぎ落とされていく命。多少朦朧とはしていたが、それでもマテアの意識はまだ現実を向いている。明日もまだ向いているだろう。だが明後日はどうかわからない。明々後日はどうかも……。


 そんな彼女の皮膚が、突如強張った。


 通りすぎる雲影のように人の流れを映していただけの瞳に、ある一瞬を境に意志の輝きが戻り、急速に焦点をあわせた。ありえないものを見つけたときのように大きく見開かれ、食い入って一点を見つめ続ける。


 マテアは肘に力を入れ、懸命に身を起こすと馬車の後方に向かってかけ出した。

 仕切り布をはね上げ、外に飛び出す。見張りの男たちは突然間近に現れたマテアの美貌――彼等はマテアをまともに目にしたことが一度もなかったため――に一瞬圧倒され、制止の手を出し遅れてしまった。


 草地に降り立ったマテアはよろめきながらも男たちの手をすり抜け、走り出す。後方では、マテアの後ろ姿が視界に入ってはじめて彼女が馬車内にいないことに気付いた女たちの驚声がしている。

 とまれと叫ぶ男たち。けれど彼女はそんなものに耳を貸してはいなかった。見失うまいとただ一点を見つめ、感覚の半ば以上が失われたままの足を夢中で動かす。


 見張りの声を聞きつけ、彼女の逃亡に気付いた商隊の男が、ばっと彼女の進路を阻んで手を広げる。くぐり抜けようとした彼女の二の腕を掴めたと男が確信した直後、指は空箱をつぶすように拳の形となり、男の手には、それまでマテアがかぶっていた毛布だけが残った。


 マテアは陽の女神の下にさらされた。間にあって、唯一彼女を保護してくれていた毛布を奪われた直後、光矢が容赦なく彼女を打ちすえる。


 それでも。


 それでもマテアは走ることをやめなかった。激痛に速度は格段に落ち、もはや歩きに近かったが、それでも進むことをやめようとはしない。彼女の気配に気付いた男たちは、彼女を見た瞬間その美貌と意志に圧倒され、目がはなせないまま道をゆずる。委細かまわず、彼女は両手を突き出した。周囲のざわめきから近付く彼女の存在に気付き、目を瞠っている男の胸倉へ向かって。


「あなた……あなたよ!

 返して!

 この、泥棒……!」


 忘れようとしても忘れられないその面。自分がこんなめにあっているのはすべてあの男のせいなのだと、記憶に残る面影に憎悪の炎をともさない日は一日たりとなかった。あれは、あの夜<リアフ>を自分から奪ったのは、間違いなくこの男だ……!


 だが男の胸元をとり、叫んだ次の瞬間、ぎりぎりまで張りつめていた糸が切れたように、あっけなくマテアは気を失ってしまった。



 そうしてレンジュの腕には、一日たりと恋い焦がれない日はなかった、あの夜の乙女がおさまったのである。

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