アルフ=イルク帝国記(あるいはアルフリースの狂記) 1

 マテアの言う地上界・シャウアルには、シーリャンという大陸と広大な海、大小無数の小島がそこかしこに点在している。そして、シーリャン大陸にはいまだかつてない、巨大な帝国が過去存在した。


 名を、アルフ=イルクという。


 これは史上はじめての大陸統一という偉業をはたした双子の兄弟・アルフレーエンとイルフリーエクの名をとってつけられたものだ。


 大陸統一前、彼等はイーリイェンという、当時の大陸では中規模の国の第二・第三王子だったが、二人は戦乱の最中大陸南よりのラゥマイアス高原にある古城を改築して拠点とし、アルフ=イルク国建国を突如宣言した。そして統一後、帝国とあらためたのだった。


 一方、アルフレーエンとイルフリーエク、それに彼等を大地母神の御子と崇拝する大勢の国民から見離され、弱体化したイーリイェン国の王位は病弱の第一王子・リシエカが継ぎ、独立王権を認められるかわりに服従を誓わされた国の一つとなった。

 アルフ=イルク帝国は過去に例をみないほど強大にして大陸最高の軍と技師を保持しており、その指示に不満を持ったところで誰にもどうすることもできなかったのである。


 それから百数十年、人類発生以来はじめてではないかと囁かれるほど平和な時が、大陸全土を覆っていた。


 大陸統一中の戦乱は、のちに生まれた者が口伝として聞いても言葉を失ってしまうほど苛烈さを極めており、それが四半世紀にも及んだ結果、死者の数は大陸人口の約三割にも及んだ。

 滅んだ村や町の数は数えきれない。それゆえ今は各地に残る戦争の爪跡という後遺症を治療することが先決と、誰もがそのことに専念したからだった。


 勝利者であるアルフレーエンとイルフリーエクもまた、戦時中の計略の犠牲となり、略奪などで荒れた町々を修復することに力を入れた。生活水準を戦争前よりも引き上げ、言語の統一や帝国への忠誠を盛りこんだ教育を徹底させ、地方の情報が中央に伝わりやすいよう伝達機構の改善を進め、安全で効率よく旅ができるように街道を整え、兵宿をいたるところに設け――民衆が、自分たちへの惜しみない援助に素直に感謝し、二人を新たな主人として歓迎したことも、アルフ=イルク帝国の定着に関係した。武勇に優れた者は<力>の持つ権威を過信しすぎるあまり、必ずしも政務に優れているとは限らないというのが世の常だったが、しかし彼等は英雄の名に恥じない名君ぶりを発揮したのである。


 強い光があれば必ず相応する強い影が生まれるように、大勢の者の羨望と嫉妬の矢面に立つのは運命の成功者には避けられない。

 しかしいくら羨んだところでアルフ=イルク帝国という強風をそうそう押しやれるものではなく、その者たちの大半は胸のうちを悟られないよう生涯沈黙し――それができなかった者の大半は断頭台の露と消え、残りは生死不明となったため――百数十年という時間が無難に流れ去ったのだった。


 平和という、無血の時代が続いた。


 皇帝個人が大陸全土を常に統治できず、他者を代理人としてたてる以上、そしてすべての代理人がすべての土地と小作人を管理しきれない以上、小競り合い程度のいざこざはそこかしこであったものの、そのどれもが戦と呼べるほどのものでなかった。


 歴史という長さで見れば、ほんの瞬きほどの時間でしかないこのつかの間の時代が終わりを告げたのは、イーリイェン国王子・アルフリース十二世即位の年である。


 彼は、旧大陸法においてアルフレーエン・イルフリーエク両王子が王位を得る権利を持たなかったこと、正当な王権はリシエカ第一王子が国法に従い継承しており、両王子は己らが王になりたいがために他国侵略を行った独善的な人物であり、ひいてはすべての国が衰退・貧困に陥る原因を作り出した許しがたき者であると主張。彼等がただの薄汚い王位簒奪者であるのは帝国法や旧大陸法よりも厳正な、神の定められた法によって明確であると断言し、そして大陸(帝国)皇帝の座につくのにふさわしいのはリシエカ王子の直系の子孫である自分であると主張した。


 もちろん、当時のアルフ=イルク帝国にも皇帝とその世継ぎはいた。齢七十のセゼーラク皇帝とその孫・弱冠四歳のイルフリーエク五世である。


 アルフリース十二世はまだ成人したての十六歳の青年だったが、備わった才智は歴代の王の中でもとび抜けていた。


 現皇帝はいつ死んでもおかしくなく、次の皇帝はまだほんの子供であるというこの好機を、即位前からアルフレーエン皇帝の再来とまで囁かれていた彼が見逃すはずがないのも道理だろう。


 なにより彼は変革を求めていた。平和に慣れて向上心というものを失いかけ、怠惰な日々を重ねていた者たちに強い不満を感じ、また何の緊張感もなく続いていくだけの歴史に憤りを感じていた。



 この革命が成功するとは、おそらくアルフリース十二世自身思っていなかったはずである。



 帝国発祥時に比べれば見劣りするとはいえ、まだまだ帝国の軍事力は他国を威圧するにあまりあったし、帝国領土は急峻な高峰を持つ東のリリューノア山脈や北氷洋に守られ、南には二百ゼクターノン(この世界の距離の単位。一アーノンが成人男性の歩幅分で、十アーノンが一ゼクターノンになる)も行けば茫漠たる砂漠が広がっている。帝都・リュアスはそれに輪をかけて攻略は難しく、陣を構える死角のない荒野、高く厚い外壁、白兵戦に適した街路などに守られており、ひそかに攻略を考えたアルフリース十二世以前の反逆者たちも、この地を都とした初代両皇帝の先見の明を思い知らされた思いで実行を踏みとどまってきたのである。その困難さがアルフリース十二世にわからないはずがない。


 彼は、諦めることに慣れて、このまま飼いならされた羊のような一生を終えるよりも、理想を追い求めて血肉をたぎらせ、尽きぬ井戸のような夢から沸き上がってくる高揚感とともに生きてこそ人の道であるということを、なんとしても人々に気付かせたかったのである。たとえ、それがその者にとって分不相応なねがいであろうとも。

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