暴風雨ガール 48



       四十八



 二日後の日曜日。私は近鉄奈良線の東生駒駅近くの喫茶店で有希子と会った。   

 有希子は十日ほど前に部屋に来たときより顔色が悪く、話す声もか細く弱々しかった。


「それで、君の両親は早く離婚しろって言うのか?」


「そうなのよ。岡田の姓から鈴木に戻せって、何を考えているのか分からないわ」


 きっと鈴木家の財産に関係することから、離婚を急いでいるのだろうと私は思った。


 縁起でもない話だが、ひとり娘の有希子は鈴木家の財産のただひとりの相続人だ。

 私が関係していたら、万が一の時にはアカの他人に財産がいってしまうことを危惧したのだろう。

 有希子がこういう状態の時に、嫌悪すべき考え方だと思った。


「僕が金融業を失敗して君に心配をかけた。これは事実だし、金銭面でも苦労させたよね、悪かったと思っているよ。

 でも夫婦って、良いときも苦しいときも分かち合っていくものじゃないのかな?君の両親の気持ちがよく分からないよ」


 両親が実家に帰って来いと言って、それを拒否しなかった有希子にも言いたいことがあった。


「世の中には難しい状態に陥っている男女や夫婦が無数にあると思うよ。それらすべてを結果や善悪で結論付けてしまうのはどうかな?

 君の生真面目なところは理解しているよ。それが君の良いところでもあるんだから。

 でもね、人間は多くの過ちや失敗を犯しながら生きているんだよ。だから、一度くらいは大目に見るという優しさや寛容さが、人間には必要なんじゃないかな。

 僕の失敗を許さずに、君の両親は離婚を勧めている。自己弁護をする気持ちはないよ。

 ただ、癌を患って苦しんでいる状態の君に、過度な心労をかけるのは、親としてはどうなんだろうと思っているんだ。先ずは有希子の病気が良くなることが第一なんだからね」


 有希子は話の途中から涙ぐんだ。


 彼女の苦悩も分かるが、こうなった経緯は含まれていない。

 でも私は弱くなっている人間を前にして強くは言えなかった。


「ともかくもう一度よく考えてみるよ」


 一時間半ほどで有希子と別れた。


 部屋に戻ると、T社からファックスが数枚届いていた。

 留守番電話に入っていた東京の企業調査と新潟の所在調査の指示書だった。


 企業調査は東京に本社を置いているマルチレベルマーケティング企業の実態調査である。


 所在調査は、依頼人が関西に住む複数の身内で、遺産相続に伴い、ひとりだけ行方が分からない同胞の所在割り出しだった。

 もう二十五年も居所が分からないらしいとあった。


 何で今ごろになって捜そうとするのかといえば、所在が不明な相続人がいると遺産相続手続きが進まないからなのだ。


 その身内のことを心配しての調査ではない。

 遺産という金銭をめぐっての仕方なしの調査なのだ。


 二十五年も会わない同胞たちとはいったい何なのだ。

 いずれにしてもこの二件の調査は、共に金銭欲に関係しているものだった。馬鹿げている。


 私は調査資料を整理し、調査日程をあらかた組んだあと、真鈴に電話をかけた。

 彼女はまるで電話を待っていたかのようにすぐに出た。


「今、何しているんだ?」


「何もしていないよ。そろそろ勉強しようかなと思っているの。お父さんが一年浪人して大学を受ければ良いって言ってくれたんだけど、早めのスタートが大事なの」


「それは良かったな、君ならどこの大学でも歓迎されるに違いないよ」


「岡田さん、声が少し震えているよ。寒いの?」


「生きているといろいろと辛いことがあるからな」


「何言ってるの、岡田さんらしくない弱気な言葉」


「お父さん、優しくしてくれるか?」


「うん、すごく」


「それはよかった。お父さんがもし君を泣かせたりしたら、僕は許さないからな。絶対に許さない」


「どうしたのよ、岡田さん。何があったの?そっちに行っていい?」


「いや、来なくていい」


「でもちょっと伝えたいことがあるのよ」


「何かな?」


「お父さんが、この部屋は狭いから、以前住んでいた堺市のあたりでもう少し広い部屋を借りて引っ越そうって言うの。年明けには引っ越すかもしれないの」


 真鈴まで私の元から遠く去っていくのか。

 私はしばらく返事ができなかった。


「岡田さん、聞いてるの?」


「聞いてるよ、ちょっとショックだなって思っただけだよ」


「そっちへ行っていいでしょ、だめ?」


「ダメだけど、今すぐ会いたいんだ。外で会おう」


「いいわ、エレベータ前で待ってる」


「じゃあ、君が僕を捕まえた京橋駅で会おう。僕を捕まえた駅の二階のエスカレータのあたり、憶えてるかな?」


「分かったわ」と真鈴はシリアスな声で言った。


 このときの「分かった」という言い方は、真鈴が私を捕まえてからこの日が来るまでの必然性を「分かった」と言ったように聞こえた。


- 暴風雨ガール 了-


引き続き「続・暴風雨ガール」を連載します。

よろしくお願いします。

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暴風雨ガール 藤井弘司 @pero1107

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