暴風雨ガール 47
四十七
秋も深まり、有希子と別居してから半年近くが過ぎ去った。
でも別居しているからと言って夫婦仲に大きな亀裂があるわけではなく、ほぼ毎週土曜日は私の部屋に前触れもなくやって来た。
私は有希子と一緒にいると、ぬるま湯に浸かっているような心地良さをいつも感じる。
彼女の病状は、退院後一時は体調が良好に向かっていたがやはり安定せず、仕事ができるまでの回復には至らなかった。
「あなたにこんなことを言うのは気がひけるのだけど、先のことを思うと不安で眠れないの。どうしたらいいのか分からない」
有希子は嘆いた。
でも実家は裕福だし、ひとり娘の有希子を離そうとしない限りは、私たちが元のように同居することは難しいと考えていた。
十一月も半ばを過ぎ、私は四十歳となった。
二日間、長崎へ所在調査の仕事に出て、週末の金曜日の夜に大阪に戻り、疲れた身体を引きずってそのまま「安曇野」を覗いた。
「あら岡田さん、お久しぶりね。岡田さんにはいつもお久しぶりって言っているような気がするわ」
いつものように女将さんが言った。
「でも、そのとおりですから」と私は返事してカウンターの片隅に腰をかけた。
「疲れていらっしゃるようね」
「強行軍で参りました。壱岐という島を訪れたのですが、カラスミがすごく美味しかった」
「壱岐ってどこかしら?」
「ほら、福岡からずっと北の方の韓国への途中にある小さな島でんがな。ね、岡田さん」
常連客のひとりが言った。
「そうですね、でもあそこは長崎県なんですよ」
「そりゃ知りまへんでしたな。てっきり福岡県とばかり思うてましたわ」
「岡田さんって、何をしていらっしゃるのか分からないわね」
女将さんが笑って言った。
明後日は有希子と会うことになっていた。
今後のことをじっくりと話し合う必要性からだった。
そのことを思うと私は憂鬱な気分になってしまう。
自分の幸せだけを考えれば有希子のことは深く考えなくてよいのだが、私たちは夫婦だからそういうわけにはいかない。
私は何か画期的な策がないかを考え続けていた。
二本目のビールを飲み干したときにスマホが鳴った。真鈴からだった。
「家のほうに電話したら留守番テープだったから」
「九州に仕事で出ていたんだ。少し前に帰ったばかりだよ」
「そうだったのね。実はね、お父さんが今月最後の日曜日に帰ってくるの」
「最後の日曜日って二十八日だな。うん、それはよかった。本当によかったな」
「今どこなの?」
「今か?そうだな、すごく素敵な女将さんがいる店だ」
「そうなの・・・岡田さんと会いたい。今夜帰ってきたら、部屋に行ったらだめ?」
「だめだ」
「・・・分かった。じゃ、おやすみ」
電話がプツっと切れた。
私はスマホを持ったまま頭の中が無思考状態になり、刹那さで茫然自失に近い状態に陥ってしまった。
「あら、どうされたの?」と女将さんが心配そうに訊いた。
「可愛いい女の子の誘いを断ってしまいました」と返事すると、「アハハハ、本当に岡田さんって可笑しいわね」と、腹が立つほど女将さんが笑った。
部屋に帰ると留守番メッセージランプが点滅していた。
二日間の出張中にたくさんのメッセージが残っていて、その中にはT社の部長からのものもあった。
「九州案件に行ってもらったばかりで悪いけど、来週か再来週でもええから、東京の企業調査と新潟の所在調査があるんやけどなあ。頼まれてくれへんかな」と彼は懇願していた。
この際何でもやってやるよ、金も欲しいし、本当に東奔西走の探偵になってやるからどんな案件でもいっぱい持って来い。
私は少し苛立った。
有希子からのメッセージは明後日の時間と場所の確認だけだった。
そして最後のメッセージは真鈴からのものだった。
「何よ、馬鹿!だめだなんてハッキリ言わないで。私、まだ高校生よ。繊細な女子高生なんだからね。岡田さんの馬鹿!」
留守番テープには電話をガチャンと切る音まで残っていた。
「でも真鈴、君はいつも『私、もうおとなだよ』って言うじゃないか」
私は小さく声に出して呟いた。
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