暴風雨ガール 46

        四十六



 私が最も大阪らしいと思った場所は、先ずは通天閣の周辺だった。


 関さんと私は、地下鉄堺筋線の扇町駅から乗って恵美須町で降りた。


 雨はすでに止んでいて、真夏の興奮状態から少し落ち着いた太陽が濡れた路面をキラキラと照らしていた。

 

 少し寂れた商店街を抜けると通天閣の下に着く。

 東京タワーとは比べものにならないくらい低くて華やかさの欠片も感じられないが、大阪の象徴のような気がして私は好きだ。


 四階の展望台から見る大阪の街は箱庭のような美しさは全くなく、薄汚れたり赤茶けたりした建物ばかりが無造作に造られた印象があり、それが逆に大阪らしい風景とも言えた。


「京都とは全然違う街並みね」と関さんは言う。


「京都は街が碁盤の目に整っていますからね。人々の心も整っていて落ち着いています。大阪はグチャグチャな街並みで、無茶苦茶な人々が多いですね。僕もその一人だな」


「岡田さんって面白いことを言うのね」


そう言って彼女は笑った。


 通天閣を出て天王寺動物園への途中、新世界本通り商店街を抜けて「ジャンジャン横丁」を歩いた。


 特製ソースに二度づけお断りで有名な串カツ屋に入ってみると、関さんは慎重な顔つきで串カツを食べていた。


 昼間から将棋に興じている多くの人々に関さんは驚き、串カツ屋の活気と、どて焼きの美味しさに眼を丸くし、大声で交わされる大阪弁に戸惑っていた。


「大阪弁って、まるでふざけているようにしか聞こえないわ」


「ふざけているわけじゃないんだけどね。つまり、気さく過ぎるという感じなのかな?」


 私は説得力のない説明をした。


 天王寺公園を少し歩き、JR天王寺駅から大阪環状線外回りに乗って天満で降り、扇町公園を斜めに貫いて部屋に帰ってきた。


 それから彼女の旅行バッグを持って再び部屋を出て、東急インへ向かって歩いた。


「さっき串カツを食べたばかりだけど、もしよければ夕食をいかがですか?」


「そうしていただけたら嬉しいです。ひとりじゃつまらないから」


 関さんがチェックインして旅行バッグを部屋に置いてから、ホテルの裏側の阪急東通り商店街にある居酒屋で食事をした。


 食事といっても私はもちろんビールを飲んだ。

 関さんは「私、お酒が大好きなの」と言った。


「それは素敵なことです。お酒を嗜まない人は人生の喜びの三割を失っているからね」


「面白いことばかり言う人ね、岡田さんって」


 関さんはよく笑った。歯が真っ白で、とても魅力的な笑顔だった。


 いつもカフェオレばかり飲んでいるんじゃないかと思っていたが全く違っていて、彼女は生ビールを三杯も立て続けに飲んだ。


 そして「あんな場所で仕事を続けていると、ときどき疑問を感じるの」と言った。


「分かります」と私は同意した。


「だから半年に一度は数日旅行するの」


 笑っていた関さんは、今度は悲しそうな表情になった。

 表情がよく変わり、大きな瞳がクルクルと忙しく動く関さんは、感情が落ち着かない様子だった。


「旅はこころのカンフル剤だからね。人生は終わりなき旅のようなものです」


 私は素直に共感した。


 関さんは「ウフフ」と笑い、ほんの少しホッとした顔になった。


「私は西条で生まれ育ったの。高校を卒業して大学へ進学しようかどうか迷ったんだけど、結局、介護資格の学校を選んだのよ。それがこの仕事をするきっかけになったの」


「愛媛なの?僕は今治だよ。ずっと長く帰っていないけどね」


「偶然ね、今治と西条って近いよ。そうだったんだ。でも私も二年近く帰っていないな」


「なかなか帰れないんだよな。帰れば、ちょっと胸が締め付けられるような気持ちになって、自分が惨めになるんだよ。だから帰りたいけど帰れないんだ」


 故郷に戻れば幼少時から若いころの思い出が蘇る。

 

 嫌な思い出も楽しかった思い出も、すべて懐かしいものとして蘇るのだが、それらすべてに切なさをも同時に感じてしまう。


 街の風景も人々の様子もすべて思い出となる時代から変化して、元のものは根こそぎ失われ、壊れてしまったような切なさを感じる。


 変化することが当然だとしても、自分の居場所がもう残っていない現実に、無意識に足が遠のいてしまうのだ。


「その気持は私にも分かるわ。駅に降りたら何かわからないけど胸が一杯になって、実家が近づいてくると歩きながら涙が出てきて、家に入るまでにいつもそれを拭くの。岡田さんの言うようになぜか切ないのよね」


 関さんの表情が再び曇った。彼女も様々なことで苦悩しているのだろう。


 居酒屋を出てから私たちはパブ風の店に入った。

 彼女はかなり酔っていた。


 私はダイキリを、関さんは軽いカシスオレンジを飲んだ。

 このような男女のシチュエイションはかなり危険だということは分かっていた。


 きっと、彼女を部屋まで送っていけば男女の関係に突入してしまうだろう。

 でもそれがどうなるというのだ?

 ふたりの未来に何が開けるというのだ?

 だから関さん、君は魅力的だ。とても素敵だ。

 君と一緒にどこか遠くの果てまで翔んで行ってしまいたいくらいだ。でも今夜はだめだ。


 私と関さんは店を出て東急インの方向へ抱き合うようにして歩いた。

 背中と腕を支えてやらないといけないくらい彼女は酔っていた。


 でも私の心配や予測を、まるで天使の矢で突き刺してしまうかのように、「じゃあ、岡田さん。おやすみなさい。今日はすごく楽しかったです」と言ってフロントでキーを受け取り、エレベータ方向へ行ってしまった。


 呆然とする私に、彼女は三歩ほど歩いてから振り返り、「また電話していいですか?」と訊いた。


「もちろん、いつでも」と私は最後の力を振り絞って返事した。

 関さんはウフフと笑って消えた。


 部屋までの帰り道、「人間はなぜ生きていかなきゃいけないのだろう?」と思った。


 そして「そしてどんなに苦しいことがあっても、決して投げやりになってはいけない」と自問自答した。


 少し前に真鈴に説いた言葉を、関さんと別れてその帰り道に反芻したのである。


 私はずいぶん疲れていた。


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