暴風雨ガール 43

        四十三



 八月も下旬にさしかかったある夜、有希子から夜遅くに電話がかかってきた。


「遅くにごめんなさい」


「いや、まだ起きてたから大丈夫だよ」


「今、少し話してもいいの?」


 有希子は深刻そうな声で遠慮がちに言った。


「いったいどうしたの?」


「実はね、今日病院へいってきたの。そしたら、片方の乳に腫瘍ができてるって」


「えっ?どういうことなのかな」


「前から右のおっぱいにシコリがあったのよ。痛みはないけど前より大きくなったみたいだから病院で診てもらったの。そしたら腫瘍らしいの。悪性か良性かは来週のはじめに分かるけど、すごいショック」


「それって、乳癌ということ?」


「それが来週分かるのよ。もし乳癌だったらどうしたらいいのか途方に暮れるわ」


 乳癌がどんなものなのか全くの無知だが、もしそうだとしたら切除しないといけないだろう。


「ともかく結果を待とう。結果が出ないうちからあれこれ悩んでもしょうがないじゃないか。だから落ち込むな」


「分かったわ。そう言ってくれると少し安心した。遅くにごめんなさい」


 有希子は電話を切った。


 そしてその一週間後、近県の調査で数日駆けずり回っていた私のスマホが鳴った。

 着信は有希子からのものだった。


 応対に出て彼女の元気のない声を聞いた瞬間、私は悪い知らせだと直感した。


「この前の検査の結果が出たのだけど、やっぱり乳癌だったのよ。明日入院してすぐに切除手術することになったの」


 有希子は不安がった。私は適切な言葉が見つからなかった。


「どうしたらいいのやろ・・・途方に暮れるわ」


 有希子は電話口で泣きはじめた。


 様々なことが一気に頭の中を襲ってきた。

 女性の身体はデリケートなものだと知っている。

 もしかしてふたりの間に子供ができていれば、このようなことにはならなかったのではないかとも思った。


「ともかく、病院はどこなんだ?明日行くから」


「奈良の総合医療センターよ」


「分かった」と言って私は電話を切った。


 少し前、鹿児島へ真鈴の父を訪ねた翌日、明け方にフェリーで大阪に戻り、疲れて眠っていたらベッドわきに有希子が立っている夢を見たことを思い出した。


 その時有希子は「大変なのよ、どうしていいか分からない」と言っていた。


 何が大変なんだと訊くと、急に顔がどす黒く豹変し、目が釣り上がって口は大きく横に広がり、牙を見せた。


 そしてその顔を近づけて「何で私たちに子供がいないの!自分勝手なことばっかりして、あなたなんか死んでしまえばいいわ!」と、まるで地底から唸りをあげるような野太い声で私を罵った。


 あのときの有希子の鬼の形相が今鮮明に蘇ってきた。

 夢のことが現実となってしまうのか。


 奈良総合医療センターは、近鉄奈良線の新大宮駅から南へ十数分歩いたところに所在していた。


 午前中に入院手続きを行って、午後一時から主治医の説明があり、彼女の両親も当然同席する。

 私は顔を合わせたくなかったが、避けられないことだった。


 受付で本日入院した岡田有希子の部屋を訊いた。


 まだ離婚していないのだから彼女が岡田姓を名乗っているのは当たり前だが、今更ながら不思議な気がした。


 有希子の病室は南病棟の六階の相部屋で、入ってみたがベッドに彼女の姿はなかった。


 一階の外科診察フロアへ降りて看護師に尋ね、教えられた診察室に入ると、すでに有希子の両親も来ていた。


「何と言って良いか・・・信じられないことです」と私は挨拶をした。

 彼らは軽く会釈しただけで言葉もなかった。


 若い主治医が説明をはじめた。医師はパソコンの画面に取り込まれた有希子の右の乳房のレントゲン写真を見せながら説明を行った。


 レントゲンの画像は私には分からなかったが、右の乳房をすぐに切除しなければいけないことは理解した。


 手術は明日実施される。

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