暴風雨ガール 39

        三十九



 世の中はお盆の真っただ中だ。暑い夏はまだ終わらない。


 風鈴の音色が心地良い夏に生まれた真鈴は、父と無事に会えて幸せな二日間を過ごせたようだった。 

 十五日の昼前に彼女からメッセージが飛んできた。


「今お父さんが帰ったの。空港にいるんだけど電話してもいい?」


 名探偵アニメのOKタンプを返信すると、すぐにスマホが震えた。


「楽しかったか?」


「うん、楽しかった。今年中に必ず戻るってお父さんが約束してくれたよ」


「よかったな。でもあまり嬉しそうな声じゃないぞ」


「そんなことないよ。メチャ嬉しい」


「それならいいんだけど」


「岡田さん、またそっちへいってもいい?」


「部屋に入れることはできないけど、扇町公園でマックやアイスクリームを一緒に食べるのはいつでもオッケーだよ。エビフライが食べたかったら変なマスターがいるレストランへも連れて行く」


 真鈴はしばらく考えているようだったが「分かった。いろいろありがとう」と言って電話を切った。


 ひとつの長編ドラマが、いったん長いコマーシャルタイムに入ったような気がした。



 有希子は十六日にヨーロッパ旅行から帰国した。

 その日の夜、久しぶりに「安曇野」でビールを飲んでいるときにスマホが震えた。


「光一、さっき帰ってきたわ」


 有希子の声を聞いたとき、懐かしさと同時にホッとするような気持ちになった。

 真鈴への愛情の種類とは対極にあるような有希子への気持だと思った。


「おかえり。無事でよかった」


「自宅に電話したら留守だし、携帯へかけたの。今どこにいるの?」


「今は・・・安曇野にいるんだ」


「どこよ、安曇野って?」


「金貸しをしていたころからときどき立ち寄ってた飲み屋さんだよ。ほら、綺麗な女将さんのいる店」


「知らないわ、そんな店。綺麗な女将さんって、私が帰る日にそんな店にいるって不真面目じゃないの?」


 有希子は急に機嫌が悪くなって電話を切った。

 何で彼女はこうなんだろう。


 彼女の両親が私たちの夫婦仲を引き裂いたと言っても過言ではないのに、別居中の暮らしにまで文句を言われる筋合いはない。


「あら、岡田さん、どうしたの?」


 首を左右に振っている私を見て女将さんが訊いた。


「変な女なんです。僕の理解の範囲を超えています」


「綺麗な女将さんって言ってくれて嬉しいから、ビール一本奢らせてね。お盆明けで、まだ休みの会社が多いから暇なのよ」


 女将さんはニコッと笑って言った。


 無意識な言葉から得をすることもあるのだと不思議に思いながら、綺麗な女将さんからコップにビールを注いでもらった。


 部屋に帰ると確かに有希子からの留守番メッセージが入っていた。


「お盆でも仕事なの?どこに行ってるの?」とそのテープは不機嫌そうだった。

 仕方なく有希子に電話をした。


「さっきは悪かったよ。今部屋に戻ったから」


 私はとりあえず謝った。


「留守の間、何も変なことしなかったやろね?」


「変なことって、どういうことを言ってるんだ?」


「浮気に決まってるやない。許さへんからね、もしそんなことをしたら」


「許さないって?」


「終わりってことよ。浮気なんかしたら、私、絶対に嫌やから」


「本気だったとしたら?」


「光一、どうしたの・・・酔ってるの?」


「今夜はちょっと疲れてるからもう寝るよ。ともかく無事に帰ってきてよかった」


 そう言って、初めてこちらから電話を切った。


 私はなぜか有希子の言葉に挑戦的になってしまった。

 彼女の独占欲は理解する。まだ夫婦関係にあるわけだから当然かも知れない。


 独占される気持ちも悪いものではない。でもそんなに高飛車に言わなくてもいいだろう。


 君の知らないところで僕はひとりの女子高生の父親捜しに奔走し、その当人への気持と、その気持を抑えないといけない理性とのはざまで苦しんでいるんだ。


 何かの引き金で、一気にその女子高生に突っ走り、そして戻れなくなってしまうかも知れない。


 僕は君の所有物でもかまわないと思っている。でも僕だって何もない日常じゃない。



 有希子はその週の土曜日に部屋に来た。最近は突然前触れもなくやって来るくせに、この日は朝九時前に電話がかかってきた。


「光一、今日そっちへ行ってもいい?」


 有希子は戸惑ったような声で訊いた。私は彼女の質問の意味が分からなかった。


「どうしたの?いつも何の連絡もなく来るくせに」


「うん、じゃあこれから行く。お土産があるから」


 ホッとしたような声で彼女は電話を切った。

 先日、私のほうから初めて電話を切ったことをずいぶん心配していたようだった。


 その約一時間半後、有希子は肩にバッグをかけて、両手に紙袋とビニール袋を持って、汗だくになって部屋に現れた。   

 でもいつもと様子が違っていた。


「今日は私、家に帰らへん。ここに泊まるからね。もし両親から電話がかかって来たら闘って。絶対に負けんといてね」


 有希子はいきなり言った。


「私、今日は家に電話せえへんから。多分夜十一時を過ぎたら、ここに電話がかかってくるわ。そのとき、はっきりと言うてね。私を帰さへんって。絶対に言うてね」


 興奮すると関西弁が丸出しになる癖が、彼女の真剣さを意味していた。


「どうしたんだよ、喧嘩でもしたのか?」


「ともかく今夜、闘って。私も一緒に闘ってもええから」


 有希子は水玉模様のブラウスのボタンを二つばかりはずしてようやく椅子に座り、ハンカチで汗を拭った。


「ともかく落ち着いて。何があったの?」


「どうもこうもないのよ、本当にもう嫌。あの人たち、お金があれば幸せになると思っているのやわ。幸せってお金じゃなくて、好きな人と一緒にいられることなのに、それが分からへんのよ。

 光一が不安定な状態だから、お前はともかくいったん離婚しろって言うの。まだ若いし子供もいないんだから、安定した人からの良縁があるかも知れないって、何でもお金お金って馬鹿みたいやわ。そうやろ、光一。アンタはどう思うてるの?」


 二ヶ月ほど前に彼女の実家を訪れて以来の苛立ちを、有希子は私にぶちまけるように言った。


「ともかく冷静になろう」


 冷蔵庫から冷たい麦茶を出してグラスに注ぎ、有希子の前に置いた。

 彼女はそれをゆっくりと飲んだ。


 額の汗が引き、興奮状態だった表情も次第に落ち着いてきた。


「今夜泊まればいいよ。僕たちは夫婦だし、親にどうこう言われる筋合いじゃない。

 でも、泊まることをキチンと言っておいたほうがいいだろう。電話がかかってくる前に、僕のほうから連絡して筋を通しておくよ」


 私は有希子を諭した。


「光一がそうしてくれたら嬉しいわ。あの人たちの言うことばっかり聞いてられへん。私、これまでずっと親の言いなりになって、仕事も生活もキチンとやってきたのやから」


 有希子はそう言ってから、彼女にしては珍しく泣いた。


 今、私が守ってやらなければいけない女性はふたりいると思った。

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