暴風雨ガール 38
三十八
翌日、真鈴は午後一時きっかりに扇町公園の入り口に現れた。
あれほどミニスカートはだめだと言っておいたのに、白と薄いオレンジ色のチェックのミニスカートに薄いピンクのポロシャツを着ていた。
髪はカットしてショートヘアに近くなっていたが、それがよく似合っていて、ますます「可憐」という言葉がフィットしてきた。
「わざわざここまで出てきたけど、帰って岡田さんの部屋に行きたい」
会っていきなり真鈴は言った。
「何言ってるんだよ。今日は誕生日のプレゼントをしたいから会おうって言ったんだからな」
「じゃあ、何もいらない。岡田さんの部屋でくつろぐの」
「くつろぐ?」
「そう、くつろぐんだから」
真鈴はいつもと少し違っていた。
態度に明るさと自信が湧き出ている感じだった。
父が帰って来ることになって、気持ちがずいぶんと落ち着いてきたことが、彼女の言葉や振る舞いに無意識に表れていた。
むしろ私をからかい、はしゃいでいるようにさえ思えた。
「くつろぐって言ってもなあ。ともかく、冷たいものでも飲もうか」
「奥さん、旅行でしょ。突然来る心配がないんだから、コンビニで何か買って岡田さんの部屋でのんびりしたい。それが私の欲しいプレゼントなの」
真鈴はそう言って動こうとしなかった。
向かい合ったままの私と真鈴とを、公園に出入りする人々が怪訝そうな顔で見ていた。
「分かったよ。じゃあ、バースデーケーキを買って帰ろう。それとシャンパンだな。あっ、いや、シャンパンはだめだ。君は未成年だからな」
私たちは天神橋筋商店街にあるケンタッキーでチキンを六ピースとフライドポテトを買い、不二家で小さなバースデーケーキを買った。
ケーキ屋の女の子に「MARINさんお誕生日おめでとう」と板チョコの上に白のチョコで書いてもらった。
それを見て彼女はすごく喜んだ。
それからコンビニでビールとコーラ、シャンパンを一本買って帰った。
「部屋は散らかっているし、汚いぞ。かまわないか?」
「平気」
「お父さんに内緒だぞ」と私は念を押した。
「分かってる。私も奥さんに内緒にしといてあげる」
真鈴は勝ち誇ったような顔つきで言った。
どちらの言葉も彼女が主導権を握っているような気がして、どうも腑に落ちない気分になった。
曲がりなりにも事務所として使っているので部屋は汚くはなかったが、若い女の子を入れるのが初めてだったので躊躇した。
でも真鈴はそんな心配をよそに、部屋に入るとキッチンに立ち、冷蔵庫から適当な野菜を取り出してサラダを作り、フライドポテトを皿に移し、飲み物のグラスやフォークなどをテーブルに置いて、あっという間に食事の用意が出来た。
「ケーキはあとで食べよう」
真鈴は冷蔵庫の中をきれいに整理して、箱ごとそれを入れた。
「なれた手つきだな」
「そりゃそうよ。いつもコンビニ弁当をチーンするばっかりじゃないんだから」
彼女は当たり前のような顔をして言った。
私たちは食べて飲んだ。
最初はコーラを飲んでいた真鈴だったが、私がシャンパンの栓を抜いて飲みはじめると「少しだけちょうだい」と一口飲み、「美味しい。私も飲みたい」と言った。
グラスにほんの一センチだけ注いでやると、そのうちに自分で注ぎだし、結局シャンパンの四割は真鈴が飲んでしまった。
ふたりともケーキが入らないくらいお腹がいっぱいになり、そして少し酔った。
「ここに警察が踏み込んできたら、君は未成年飲酒で逮捕され、僕はそれを幇助した罪で一緒にしょっ引かれるな」
「岡田さんと一緒なら牢屋にでも入る」
真鈴はテーブルに片方の肘をつき手のひらに顎を乗せて、気だるそうな声で言った。
「岡田さんのこと、私、好きなの。どうにもならないくらい好き」
テーブルの向こう側から手を伸ばし、私の手を握ってきた。
少しうつむき加減のポロシャツの胸のあたりから小さな膨らみが見えた。
自然の成り行きで唇を重ねた。
ヘップファイブのエスカレータでの突然のキス以来だったが、真鈴のキスはまだぎこちなく、高校生の匂いがした。
私はその甘い香りを吸った。
「好きよ」
「少しだけ寝たほうがいい。調子に乗って飲んだからだぞ」
真鈴は本当に寝てしまいそうだった。私はベッドを綺麗にしてから彼女を寝かせた。
「岡田さんが好き。奥さんが羨ましい」
真鈴は繰り返し呟きながら、やがて寝息をたてはじめた。
頭の中が混乱してきたので整理しようと思ったが、シャンパンの酔いがそれを妨げた。
絶対に踏みとどまるべきだという気持ちと、このまま抱いてしまいたいという欲望とがこころの中で闘った。
でもどうにか理性が少しだけ上回った。
「もう五時前だぞ、起きなきゃ」
真鈴はエアコンのよく効いた部屋でタオルケットを腰から下にかけてぐっすり寝ていた。
私はベッドに腰をかけて彼女の無邪気な寝顔を見ていた。
「うん?」
私の視線を感じたわけではないだろうが、ハッと彼女が目覚めた。
「どうしたの?」
「寝顔が可愛いから見とれていたんだ」
「岡田さん。抱いて」
意外な強い力によって引っ張られ、私の身体は真鈴の上に覆いかぶさる形になった。
胸の下に彼女の小さなふくらみがあった。
シャンプーの甘い香りが微かに漂ってきた。
「私、どうにもならないくらい好き。こんな気持ちになったのは初めてなの」
「錯覚だって。お父さんを見つけたことへの感謝の気持ちと勘違いしているんだ」
「違うわ、絶対に違う」
ここ数年の絶望的な寂しさと不安から解き放たれたことへの感謝の気持を、おそらく愛情と取り違えているのだ。
私は少し紅潮した真鈴の可憐な顔をしばらく見ていたが、抑えが利かず唇を重ねた。そして長いキスのあと、ゆっくりと彼女の手を解いた。
ベッドから起きて、ケーキに少し太いローソクが一本と小さなものを九本立てて、部屋の電気を消してそれらに火をつけた。
「こういうのって小学生のころ以来だわ」と真鈴は喜んだ。
それから思い切り息を吸ってそれを吐きだし、ローソクの火を一気に消した。
真鈴、誕生日おめでとう。今年の誕生日のことは、君が次に好きになる人が現れるまで忘れないでくれと願った。
「最初に出会ったときのこと、憶えてるかな?」
「いつだったかな?」
「風と雨が凄かった日だよ。台風が来ているわけでもないのに暴風雨のようだった」
「なんとなく」
「真鈴の髪の毛が雨でびしょびしょに濡れて、顔が隠れていたからお化けみたいに見えた」
「ひどい言い方」
「でも、ようやく暴風雨みたいな生活が通り過ぎたってことだな」
「えっ、何?」
「いや、何でもないよ。ともかく誕生日おめでとう」
知り合った日のことがずいぶんと遠い日のような気もしたが、わずか三か月余り前のことだったのだ。
短期間でいろんなことがあったものだと私は思った。
真鈴は午後七時前に部屋を出て行った。
「もう泊まって行けよ」と言ってみたが、「お父さんやお母さんから電話がかかってくる可能性がゼロじゃないから、居たいけど帰る」と拒否した。
思慮深い頭の良い子なのだ。
私は真鈴が部屋を出て行く姿をジッと見ていた。
彼女がドアの向こうに消えてしまうと、さっきまで胸の中にいたのに、もう手の届かないところへ行ってしまったような大きな寂しさに襲われた。
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