暴風雨ガール 30
三十
翌日、三重の調査を終えて夜九時ごろに帰ってきた。明日の夜のフェリーで大阪南港から宮崎へ向かうつもりだ。
私は久しぶりに「安曇野」に顔を出した。
「岡田さん、またまたお久しぶりね。どうしていらしたの?」
「すみません、ちょっとややこしい男女関係に巻き込まれていたものですから」
私は思わず意味不明なことを言ってしまった。
「岡田さんって、どこまでが本気でどこまでが冗談か分からないわね。アハハハ」と、女将さんが意外に大笑いした。
「私・・・岡田さんのこと好きよ」だって?アハハハ、大笑いだよ真鈴、本当におかしい。
翌日の夜、私は大阪南港フェリー乗り場にいた。
午後八時の出航で明日の午前十一時前には宮崎港に到着する。
車を乗り入れて、二等寝台の客室でくつろいだ。
部屋には二段ベッドが八床、窓際にはテレビが置かれた四畳半ほどの和室が設けられていて、長距離トラックの運転手たちが早めに身体を休めていた。
フェリーは深夜、高知沖を走っている時はバシャーン、ザブーン、バシャーンと波をかき分け、上下の揺れが大きかったが、日向灘に入ってからは静かになり、翌日の午前十時四十分ごろには無事に宮崎港へ到着した。
カーフェリーから車を下船させて宮崎市内を南進すると、道路はそのまま宮崎自動車道とつながる。
高速道路をドンドン西へ走行し、えびのジャンクションで九州自動車道にチェンジする。
二十分も南へ走れば横川出口だ。天降川(あまもりがわ)沿いの国道五十号線をさらに南下すると霧島市牧園町に到着した。
妙見温泉は天降川沿いにあり、もともとは湯治温泉だった。
今でも一般の温泉旅館以外に自炊施設のある湯治温泉宿も数軒営業を行っている。
到着したのは午後二時前、天降川に架かった赤茶けた橋の手前に周辺図が立てられていて、田丸本館はこの橋を渡って左折したところにあった。
沢井氏が今もいるのかどうか、女性と一緒なのか、ともかく訪れてみないと分からない。
駐車場は建物の一階にあって、裏側が天降川だった。
このあたりに数軒ある湯治宿の中では最も大きいようだ。
いわゆる湯の町の温泉街とは趣が異なるが、山に囲まれた自然豊かな風景が素晴らしい。
車から降りてフロントを訪れた。
田丸本館は新館と旧館とに分かれていて、食事は朝食付きと朝夕二食付を選択できて、もちろん自炊もできた。
小さなフロントで女性から簡単に説明を受けて、「商用で来られたのでしたら二食付きで六千円のお部屋がございます」と勧められた。
私はさりげなく「沢井様はまだこちらにおられますか?」と訊いてみた。
「沢井ですか?沢井は今ちょっと所用で鹿児島空港まで出ております」
「そうですか。お帰りになられたら挨拶だけでもさせていただきたいのですが」
「夜までには戻りますからお部屋に伺わせましょうか?」
「差し支えなければ、お願いします」
声が上ずりそうになるのを辛うじて堪えた。
真鈴の父、沢井圭一はここでまだ働いていた。
真鈴が扇町公園で「お父さん、どこにいるんだろう」と、石ころを転がしながら父を案じていた姿が思い出された。
案内された部屋は極めて質素で、テレビと小さな卓袱台があるだけで、トイレと洗面所は共用だった。
ただ、食事付きの客は料理を部屋まで持ってきてくれて、寝床も時間になれば作ってくれるらしい。
私はせっかくなので部屋に用意された手ぬぐいを持って温泉に入った。
浴槽は十五人も入れば窮屈になるくらいで、板塀に囲まれた装飾も何もない温泉場だったが、湯治温泉なので昼間でも数人の入湯客がいた。
さて、沢井氏が部屋に訪ねて来たらどう話を切り出そうか、私は手ぬぐいを頭に乗せて、熱い湯に浸かりながら考えた。
しかし温泉の心地良さに眠気に襲われるだけで、何のアイデアも浮かばなかった。
沢井氏が現れたら「娘さんが待っているから、すぐに家に帰ってやって欲しい」と言う以外にないだろう。ここまできたら成り行きだと思った。
温泉から出て部屋に戻り、真鈴に電話した。
彼女は三度のコールで出た。
「ちょっと今、電車の中なの。あと三十分位してから電話して」
「電車の中って・・・まさかまた変なことをしているんじゃないだろうな」
「学校の帰りだよ、変なことって何よ?」
「それならいいんだ。大丈夫だよな?」
「大丈夫に決まってるよ。いつまでも言わないで!」
真鈴は怒った口調で電話を切った。
午後四時を少し過ぎてから再度電話をかけた。
「さっきは怒ってごめんなさい。岡田さんが疑うようなことを言うから」
私はそれに答えず「お父さんの居場所が分かった」と冷静に言った。
「それ、本当なの?」
「本当だ」
真鈴は黙っていた。
沈黙の時間が十五秒を過ぎたころ「また泣いているのか?」と訊いた。
すすり泣く声が受話器から伝わってきた。無理もないことだ。
「やっぱりお父さんは鹿児島にいたよ。今そこの温泉宿にいるんだ。夜、お父さんと話をすることになると思うけど、どう話をすればいいかな?」
「分からない・・・。でもよかった。ありがとう、岡田さん」
真鈴は小さな声で言ってからまた泣いた。しばらくそのままにしておいた。
「僕に任せてくれるか?」
「うん、お願い」
「すぐには戻ってくれないかも知れない。いろいろ事情があるようだからね。おとなにはおとなの難しい事情があるものなんだ。今度会ったときに詳しく話すよ。それでいいかな?」
「うん、それでいい。本当にありがとう。私、嬉しい」
「どうってことない」と言って私は電話を切った。
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