暴風雨ガール 28


        二十八



 穴吹療育園を訪れた三日後、私は真鈴と扇町公園にいた。


 この日、昼過ぎに「今から会いたい」とメッセージが飛んできた。


「学校はどうしたんだ?」と訊くと、「今日は一学期の終業式だよ。今、学校を出たところ」と、ウサギのピースマークと一緒に返信が届いた。


 新たな調査案件の予定を組んでいただけだったので、「いいよ」と了解した。


 七月もそろそろ終わりだ。彼女に捕まってから三ヶ月があっという間に過ぎ去ろうとしていた。


「お父さん、どこにいるんだろう」


 真鈴は公園の石コロを蹴ってポツンと呟いた。

 白のミニスカートと淡いピンクのポロシャツがよく似合っていた。

 私たちはアイスを買って、木陰の芝生に座った。


「どこかで真鈴のことを毎日思っているよ」


「そうかなあ」


 容赦なく照りつける太陽を眩しそうに見ながら「体育座り」に足を揃えた。

 ミニスカートがさらに上にずれて眩しい太ももが露わになった。


「それより真鈴、今度から僕と会うときは、そんな短いスカートはやめなさい」


 私は前を向いたまま言った。


「えっ?」


 私の言葉がすぐに分からない様子だったが、「なんだ、変な人」と言いながら両手でスカートの裾を下に引っ張った。


「こんなのちっとも短くないよ。今の女子高生って、もっとこんなところまでの短いスカートを履いてるんだよ」


 真鈴はスカートの裾を足の付け根に近い位置まで上げた。

 この光景を公園内の人が見たなら、きっと警察に通報するだろうなと思った。


「おとなをからかうんじゃないよ、まったく。それより今年の九月のお彼岸に丸亀のお寺でお父さんを待つかな、それとも住職さんにお願いしておくかな。お父さんが現れたらその場からすぐに電話をくれるようにって」


 真鈴は黙っていた。


「でもそんな簡単なことじゃないからなあ」


 そんなことでは片付かない。

 大切なことは、真鈴の父が自分の意思で家に戻ってくることだ。

 戻る前に父のほうから彼女に連絡することが大切なのだ。


「ごめんなさい、いろいろと」


「少し時間をくれるかな、方法を考えてみるから」


「ううん、岡田さんには本当に感謝しているの。心の支えにもなってくれているから。でもどうして私にこんなに親切にしてくれるの?何のメリットもないのに」


 真鈴は首を数回左右に振りながら言った。


「メリット?メリットはあるよ。素敵な女子高生とデートできるんだから」


「デート?」


「デートだろ、こうして公園で一緒にアイスを食べてる」


「変な人」


 真鈴は小さくため息をついた。


「いつも食事はどうしてるんだ?」


「チーンだよ」


「は?」


「だから、コンビニ弁当とかを買って、電子レンジでチーンするの」


「若い女の子が、そんなんじゃだめだな。ちゃんと料理しないと」


「フン、偉そうに言って、岡田さんだって外食ばっかじゃない」


 公園を出て、マンションへの途中にあるスーパーで真鈴に食材をいろいろ買ってやった。


「料理を作れって言うのね」と、最初は不服そうな顔をしていたが、作った料理で自信作を持ってきてくれるらしく、「作れって言うのなら、ちゃんと味見してよね」と、結局、彼女の料理教室に関わることになった。



 真鈴と別れて部屋に戻ると、電話の留守番メッセージランプが点滅していた。


 普段、自宅の電話に留守電を残すのはT社の部長かA社の社長だ。

 また急ぎの案件かと思って、私は荒っぽく再生ボタンを押した。


「関です、先日は遠いところを沢井様のお見舞いにお越しくださってありがとうございました。お伝えしたいことがあって電話しました。また夕方か夜にかけなおします」


 メッセージをくれていた関という女性が、先日の穴吹療育園の人だと分かるのに十数秒かかった。


 西川医師に差し出した私の名刺を、関さんに手渡していた光景を思い出した。


 夕方までの時間が待ち遠しかった。夕方とは何時あたりを指すのだろうと、国語辞典で調べたりもした。

 辞書には日没時刻の前後一時間と定義されていた。


 私は三重県の調査案件について、現場の地図やルートを確認しながらも全く頭に入らず、関さんからの電話を待ち続けた。


 でも陽はとっくに沈んでいるのに、電話は午後七時を過ぎてもかかってこなかった。

 私はインスタントコーヒーを何杯も飲みながら待った。

 そしてようやく午後八時前になって電話が鳴った。


「関です。憶えていらっしゃいますか?」


「電話を待っていました。もちろん憶えています」


「今、少し話をしても大丈夫でしょうか?」


 関さんの声は、遠くから急いで駆けて来たみたいに少し息が乱れているようだった。

 多分電話の向こうで右手を胸に当てて呼吸を整えているに違いないと思った。


「僕は何時間でも大丈夫ですよ。電話代がかかるからこちらからかけます」


「いいの。今夜は当直なんです。今は休憩時間だし、会社の電話だから大丈夫。昼間自宅から電話してみたのだけど、お留守だったから」


「すみません、公園でアイスを食べていたものですから」


「えっ?」


「いえ、何でもありません。ところでこの前は突然訪ねたのに、いろいろとありがとう」


 ようやく落ち着いた様子の関さんに私は礼を言った。

 関さんは「いいえ」と短く答えた。


「岡田さん、西川先生には内緒にして下さい。岡田さんは多分、沢井さんの奥様から依頼されてお越しになったのですよね?ずっと長くご家族に行方を教えずにいるのですもの」


 関さんは切り出した。私はとりあえず「はい」と返答した。


「実はここで前に働いていた女性と沢井さんが親しくなって、それはもうずいぶん昔の話で、私がこの施設に就職する前からのことらしいのです。

 私が勤め始めたときにはすでに沢井さんがお姉さんを、つまり悦子さんの様子を見に来られるたびに、その女性の家に泊まって帰るようなお付き合いでしたから。

 記憶にあるのは療育園の裏山にその年の桜が咲きはじめたころでした。沢井さんがここにいつもより長くいらっしゃって、多分十日以上・・・それからその女性職員が急に退職して、ふたりでここを出ていかれました。

 突然いなくなったわけではないんですよ。キチンと退職手続きをして引っ越していかれましたから」


 関さんは、記憶を思い起こすように、言葉を選びながら話をして、そして少し黙った。


「それで、あなたはおふたりの現在の居場所をご存知なのですか?」


「はい」と関さんは答えた。


 受話器を持ちながら頷いている様子が分かる「はい」だった。


「その女性が辞められてからも、暑中見舞いや年賀状が療育園に届いていました。でも、昨年も今年も届いた様子はなかったから、今もまだそこにいらっしゃるかどうかは分かりません。ただ昨年の秋にも悦子さんをお見舞いに来られています」


「関さん、私におふたりの居場所を、今はもういらっしゃらないかも知れませんが、その場所を教えていただけませんか?」


「霧島温泉です」


「えっ?」


「鹿児島県の霧島温泉というところです。そこから年賀状や暑中見舞いが届いていました」


 私は気持が昂った。真鈴の悲しげな表情が頭をよぎった。


「霧島温泉に住んでいらっしゃるのでしょうか?」

「そう、霧島温泉にある湯治温泉で、旅館の名前は田丸本館。確かそういう名前でした」


 私は慌ててメモをとった。


 関さんはここで大きなため息を一度ついた。

 受話器から彼女の吐息がカフェオレの香りとともに流れてきそうな深い吐息だった。


「このこと、本当に内緒にしてくださいね。西川先生も知らないことなの。私も森さんみたいに、誰かにここから連れ出して欲しいわ。

 この施設でずっと働いていると、正直言って気が滅入るの。仕事は嫌いじゃないのよ、望んでここに就職したのだから。ただ、こういう山の中でしょ、気持ちが塞いでしまうときがあるのよ」


「森さんというのはその・・・沢井氏と一緒に療育園を出て行った女性職員の名前ですか?」


「そう、森京子さん。今はもう四十歳くらいになっているはず」


 関さんはそう言ってもう一度、今度は軽くため息をついた。


「私、もう仕事に戻らなくちゃ。沢井さんとお会いできればいいですね」


 彼女は電話を切ろうとした。


「なぜ、鹿児島、つまり霧島温泉に行かれたのでしょうか?」


 私は最後に訊いた。


「森さんの実家が鹿児島だからです」


 関さんは答えた。そして「岡田さん、また電話してもいいですか?」と言った。


「いつでも電話して下さい。スマホにいただけたらすぐに分かります。電話番号は・・・」


 スマホの電話番号を伝えた。関さんは電話を切った。


 関さんの声は「時をかける少女」のように透明で繊細だった。

 そして素晴らしい情報を提供してくれた。私は一度大きく深呼吸をした。


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