暴風雨ガール 27
二十七
中央の広いスペースは概ね円形で、ここから各所に廊下が枝分かれしていた。
私が誘導されたのは左側の廊下のひとつで、少し歩くと子供の遊び場みたいに様々な玩具やアニメのクッションなどが置かれたガラス張りの広い部屋があり、どう見ても大人の男女が思い思いに無邪気に遊んでいた。
廊下の突き当りがエレベータホールになっていて、私と関さんは三階へ上がった。
三階には別の建物への渡り廊下があり、その先には別棟の大きな建物が廊下の窓から見えた。
穴吹療育園は外からは想像できないほどの巨大な施設だった。
廊下の突き当たりに再びエレベータがあり、今度はツーフロア降りた。
でもそこは別棟の三階のようだった。
つまり、最初に訪ねた建物の三階が渡り廊下でもうひとつの建物の五階とつながっていた。
山間部に建てられたこの施設は、渡り廊下でつながった建物が、その立地によってこのようになっていた。
エレベータを出て少し歩くと両側に病室と看護師詰め所があり、その向こうに診察室が見えた。
病室はいずれもガラス張りで、窺えるすべての人たちが身障者や高齢者だった。
関さんは私を控え室のようなところに私を案内した。
「ここで少しお待ち下さい」と彼女は言って部屋を出ていった。
しばらくして白衣の小柄な中年男性と一緒に関さんは戻って来た。
男性は医師で「西川です」と言った。
「沢井悦子さんにお会いしたいと仰せでしょうか?」
西川医師は受付での関さんと同様に怪訝そうな顔をした。
私は「そうです」と答えた。
「彼女はもう誰かを識別する状態ではありません。それでもお会いになりますか?」
西川医師は少し困ったような表情で言った。
やはりそうなのか。廊下から見えた知的障がい者や身障者の様子、それにこの施設の雰囲気からして、ここは一般の病人向けの施設ではないことは明らかだった。
療育園という名称からして、そんなことは想像できたではないか。
ちょっとまずかったかなと私は思った。
急ぎ過ぎているのかも知れない。でも真鈴の寂しそうな顔が頭に浮かぶと、急がざるを得ない気持ちになるのだった。
「先生、実は沢井悦子さんにお会いしたいのではないのです」
「どういうことでしょう?」
「悦子さんの弟さんがこちらにいらっしゃらないかと思って、突然伺ったのです」
私は岡田調査事務所の名刺を手渡して言った。
西川医師は名刺の裏表をしばらく見ていた。そしてそれを隣の関さんに手渡した。
「沢井様はこちらにいません。でもあなたはなぜ彼とお会いされたいのでしょうか?」
西川医師は穏やかな物腰で訊いた。
「ご身内からの依頼で沢井圭一さんを捜しているのです。決して悪い目的ではありません」
「沢井さんの居所を探していらっしゃる?それは不思議ですな」
西川医師は腑に落ちない顔で言った。
私は沢井氏の行方が分からなくなった事情をかいつまんで説明した。
「ともかく私が知っていることはわずかです。大阪で会社を経営されていて、ときどき悦子さんを見舞いにこちらにお見えでした。
そのころはまだ微かに沢井様の意思が悦子さんに伝わっていたようでした。でも、もう何年前になりますか、悦子さんの具合が悪くなって、弟さんのことも認識できなくなってしまったのです。
それからは年に一度お越しになる程度ですが、確か大阪にお住まいのはずです。悦子さんに何か緊急事態が起こったときの連絡先を聞いていますが、居所を捜されているとはどういうことなのでしょう?」
「その連絡先は、もう今は使われていないのです」
「そうなのですか・・・それは困った。でも前回は昨年九月のお彼岸の時期に来られたように記憶しています。今度来られたときに新しい連絡先をお訊きしておきましょう」
いずれにしてもここに沢井圭一はいない。
姉の病状が悪化して、沢井氏を弟と認識できなくなったことが関係しているとは思えないが、彼は年に一度程度しか訪れなくなったという。
秋の彼岸といえばあと二ヵ月後だ。沢井氏は今年もここに来るのだろうか。
私は西川医師と関さんとに誘導されて沢井悦子と少しだけ面会した。
彼女は車椅子に乗って、患者が談笑するスペースでほかの障害者と一緒にテレビを見ていた。
「こんにちは」
私は声をかけた。痩せ細った沢井悦子は首をこちらに向けた。
「ごいうーわぁ・・・」
文字で表すとそういう言葉で、唇を不自由に歪めながら言葉を返してくれた。
私は精一杯の微笑を彼女に送った。
こころの下部のあたりから胸に突き上げて来る何かの感情があった。
そしてそれは鼻の奥にまでガツンと来た。
「悦子さんは先天的なものではありません。おとなになってから人間関係の絡みで頭部に大きな衝撃を受けて、それを最初に治療した病院が間違った手術を行った可能性があります。
当時彼女は複雑な状況だったようで、そのころのキチンとした証拠は取れず、補償請求ができないのです。
ここに来たときはまだ車椅子ではなかったのですが、平衡感覚に問題があって、あちこちに頭をぶつけるのです。ヘッドギアをつけるようにしたのですが、すでに脳の衝撃が大きすぎて、後遺症が出てこういうふうになってしまいました」
西川医師は説明した。私は口に出すべき言葉が浮かばなかった。
「突然伺ったにもかかわらずご丁寧な対応をくださり、ありがとうございました」
ふたりは玄関口まで見送ってくれた。
駐車場へ戻る私の気持は落胆と遣る瀬無さと、自分自身への苛立ちを感じていた。
西川医師にしても、悦子に万が一の事態が生じたときの連絡先が通じないと困る。
今年のお彼岸を待てば沢井氏が現れるかも知れないが、そんな簡単なものではない。
徳島自動車道から香川自動車道へ入るころには日が暮れはじめた。
真鈴の父が菩提寺を訪れていたことと、父の姉の所在と現況が判明したことは大きな成果なのだが、私は敗残者のような気分で帰路についた。
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