暴風雨ガール 23


        二十三


 翌日、三枝さんとの約束の時刻より少し早く日航ホテルに着き、二階のフロント前のソファーで待った。


 土曜日のホテルは、当然だが平日のようにビジネスで待ち合わせをしている人よりも、何かの集いで来ている人がほとんどだった。


「あのう、岡田様でしょうか?三枝ですが」


 約束の午後一時を少し過ぎて、私の前に水色のワンピース姿の女性が立った。

 フロントの様子を眺めていたので気づかなかったのだ。


「あっ、どうも急にお呼びだてしてすみません。下のティーラウンジへいきましょう」


 三枝さんは少しふっくらとした体躯で、笑顔が人懐っこく、年齢は三十代半ばに見えた。

 私はすぐに名刺を渡した。


「三枝様の電話番号は佐久間様から教えていただきました。沢井様のお嬢様よりお父様を捜して欲しいとのご依頼なのです。何かお心当たりがありましたらお訊きしたいのです」


 私は世間話も交わさずに、要件を単刀直入に伝えた。


「奥様はお元気なのでしょうか?」


 三枝さんは本当に心配そうな表情で言った。

 ちょっと事情があってご自宅にはいらっしゃらないと、私は正直に現況を答えた。


「では、お嬢様がおひとりなんでしょうか?」


「そうなりますね。でもお母様とはときどきお会いされているようだし、何とかひとりでも頑張っていらっしゃるようですからご安心ください。

 ともかく、どんな些細なことでも結構です。何かお心当たりはないでしょうか?こんなことは関係がないだろうと思われることが、意外と糸口となることもあるんです」


 私は重ねて言ってから、ティーラウンジの上品で高価なコーヒーに口をつけた。


「沢井社長はとても穏やかな人柄で、社員に優しい方でした。小さな会社でしたから管理職と社員の隔たりもなく、家庭的な雰囲気の職場でしたね。

 皆が楽しく仕事をしていたように思いますし、会社の経営もどうにもならないほどには悪くなかったようでした」

 彼女は膝に手を置いて当時を思い起こしている感じだった。

 コーヒーに手をつけずにいたので、どうぞと勧めると少しだけクリームを注ぎ、そして一口飲んだ。


「本当に手形の決済ができない状態にまで、経営状態が悪化していたのですか?」


「毎月のように多少の資金繰りの必要があったとは思いますが、手形決済が不可能なほど詰まっていたとは思えませんでした。

 社長が匙を投げた理由は、おそらくご自身の夢が叶わなくなったことによって、自暴自棄になられたのだと思います」


「それはどういうことでしょう?」


「会社はいわゆるOEMで化学品の開発を行っていて、サンプル製作から製造まですべて外注だったのです。

 社長は化学配合飼料を研究していて、特許申請が認可されてから製品になるまでは何年もかかっていました。

 サンプルを持ち込んで提案するのですが、なかなか実現せずに先行投資ばかりが続いたので資金繰りは大変だったようです。

 そして最も期待していた大手の化学商社との開発が流れてしまったときはかなりショックを受けていたようでした。実現すれば大きな売り上げが期待できたのに」


「でも行方をくらますことはなかったのでは?」


「そう言われればそうなんですが・・・」


「ほかに何か思い当たることがありませんか?」


 三枝さんはコーヒーカップを口に運んでゆっくりと飲みながら、何かを思い出そうとしているように思えた。


「そういえば徳島へたびたび出張されていましたね。取引先の把握はしていましたが、当時徳島にはその対象となる会社はなかったですから。

 でもそれは関係ないでしょうね。確か社長のご実家が香川県でしたから、お墓参りに行かれていたのかも」


「そんなにたびたび徳島へ出向かれていましたか?」


「二ヶ月に一度程度でした。得意先のないところになぜかなと思ったことがありました」


「それは何日間くらいの出張でしたか?」


「そうですね、四、五日程度だったように思います。水曜日か木曜日に行かれて、月曜日の朝には出社されていましたから、土日は実家に立ち寄られていたのかも知れません」


 真鈴の話だと丸亀の実家には行ったことがなく、祖父母は父が結婚前にすでに亡くなっていたとのことだった。


 このあと、三枝さんからこのほかに特に手がかりとなるような話は得られず、長く時間をいただいたことへの礼を述べて別れた。

 私はともかく香川県の丸亀に行ってみようと思った。


 事務所に戻り、先日の愛媛の調査で得た情報を整理して、報告書にまとめることにした。

 窓の外を見ると、高層ビルの谷間に鮮やかなオレンジ色の夕陽が、今まさに沈みゆくところだった。


 しばらくその光景に目を奪われていたが、昨日真鈴が会いたいと言っていたことを思い出し、「今何してるの?」とメッセージを飛ばした。すると十数秒後にスマホが震えた。


「メールでもよかったのに」


「そんな言い方ってないでしょ、声が聞きたかったのに」


「そうだね、悪かった」


 私は素直に謝った。


「何もしていないよ。ぼんやりテレビを見ながら、ときどき勉強」


 真鈴は少し眠そうな声で言った。


「来年は大学だろ。ちゃんと受験勉強しないとな」


「行きたいけど、お金がないもの」


「お金なんてどうにでもなるって。僕だって大学へ親の援助なしで入って、六年かけて卒業したんだよ。奨学金も受けられるし、心配ない」


 真鈴の高校は府下でも有数の進学校で、大学進学率はほぼ百パーセントだ。

「お父さんのことで明日から動くけど、進学の問題はそのあと話し合おう」


「岡田さん」


「うん?」


「何でそんなに親切にしてくれるの?」


「何でって・・・そうだな、真鈴は尾行で初めて捕まった女の子だからかな。放っておけないんだ」


 私は全く説得力のない説明をした。


 彼女はスマホの向こうでずっと黙ったままになった。


「香川のお父さんの実家に君は一度も訪ねたことがないって言ってたね」


「うん、お墓参りには行ったことがあるけど、実家はずっと昔になくなっているはず」


 徳島に何か記憶がないかを訊いてみたが知らないと言う。


「ともかく、帰ってきたらまた連絡するから」と言って電話を切った。


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