暴風雨ガール 17
十七
妻の実家は元奈良県警の要職に就いていただけあって、このあたりでは最も広い敷地と立派な建物に思えた。
「岡田さん、何度もしつこく呼びだてしてすんまへんなあ。私も家内も有希子のことでいろいろと心配してましてな。それで久しぶりにお顔を見ながら話がしとうおましてな」
出されたコーヒーにミルクを入れて、カチャカチャと音を立てていた手を休めて、有希子のほうを見ると、彼女は手を膝の上に置いて下を向いたままだった。
きっと彼女なりに辛いのだろう。
「私は今年の秋に四十歳になります。一度は金融業で失敗しましたが、今度は四年ほど勤めた調査会社での経験を生かして、興信所をはじめました。
今は探偵調査業と呼ぶことが多いです。お父さんもお母さんもご心配とは思いますが、しばらく様子を見ていただけませんか」
「前の商売の借金はどうなりましたんや?」
「それは全部法的整理をして、今は無借金です」
「まあ、ワシらは有希子の気持ちが第一やと思うとりますから、無理に離婚せえとは言いまへんけどな、子供もないんやから、お互い別々になって一からやるのもどうかと思いましたや」
有希子は私と義父母とのやりとりを、首を少しだけ上げて不安そうに見守っていた。
「四十にもなろうかという男がいつまでも不安定では困りますわな。失礼なことを言うてるのはよう分かってますけど、こういう大事なことはキチンと言わしてもらわなあきませんからね」
確かに義父は遠慮なく物を言ってきた。仕方のないことだ。
「商売と言っても一人でやっている零細なものですが、前の金融業や物販とは違ってリスクはありません。
有希子さんを幸せにする術ですが、それは商売が軌道に乗ればできると考えています」
少し苛立っているのが自分でも分かった。
私のような男を好きになってくれた有希子を大切にしなければいけないことはよく分かっていたが、具体的な術を述べることはできなかった。
一時間余りの顔見世は終わった。離婚はしないが、いつまでも今の状態と続けるわけにはいかないという結論となった。
義父母は久しぶりに私の顔を見て、少しはホッとしたようにも思えた。
有希子は駅まで見送ってくれ、別れ際に「あなたとは別れたくはないのよ。でも私も板挟みで辛いの、それだけは分かってね」と言った。
それから私たちは手を振って別れた。
帰りの電車に乗っているときに真鈴からLineが飛んできた。
「学校が退屈!」「最近夜眠れないの!」などの短いメッセージが、困った表情のクマやウサギのスタンプとともに表示されていた。
彼女も有希子に負けず劣らず、いやもっともっと苦悩しているに違いなかった。
妻の有希子は、私が生駒の実家を訪れたあとたびたび連絡をしてきた。
義父の「四十にもなろうかという男がいつまでも不安定では困りますわな」といった言葉を、彼女は意外にも気にしていた。
「あなたに頑張ってもらいたいがための言葉だったと思うけど、ちょっと失礼だった気がするの。ごめんなさい」
彼女は気遣ったが、私が不甲斐ないのは事実だし、「気にしなくていいよ」と返事した。
結婚して十五年近くになるのに、ふたりの間に子供ができなかったことについても義父は少し触れたが、この問題は私も原因が分からない。
有希子もここ数年は諦めているフシが窺えた。
真鈴はときどき昼間や夜に「学校が面白くない!」「夜はひとりで怖い」などの短いメッセージが、困った表情のクマやウサギのスタンプとともに飛んできた。
「怖いのなら、すぐにこっちへ来たらいいから」とメッセージを返しても、「女の子を簡単に呼ばないで!」と、相変わらずの返信のあと、怒っているウサギのスタンプを必ず添えてきた。
いきなり夜中にスマホが震えるので慌てて出ると、「真鈴です。今何しているの?」と、けだるい声で言うのだった。
「何もしていない」と返答すると、彼女は「フー」と先ず大きなため息をついた。
おそらく上半身が肩の動きとともに沈むようなため息に違いなかった。
「どうしたんだ?」と訊くと、「人って、何で生きていかなきゃいけないの?」と難しい質問をぶつけてきた。
さらに「私が死んでも誰も悲しむ人なんかいない」と自暴自棄なことを言う夜もあり、「奥さんと別居しているのは、きっと岡田さんに原因があるんだわ。私には分かる」と、私を非難することもあった。
そのたびに私は「苦しいことがあっても投げやりになるな」と柄にもなく説いてみたり、「君がこの世にいなくなってしまったら、少なくとも三人は悲しみに暮れる。君の両親ともうひとりは僕だ」
と慰めたりもした。
そして私を非難する言葉に対しては反論の余地もなく、素直に謝った。
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