暴風雨ガール 16

        十六



 七月に月が替わってから少しずつ仕事を請けた。


 長く世話になったT社にもようやく開業の挨拶に行くと、すぐに結婚調査と所在調査を一件ずつ依頼された。


 結婚調査は父方実家と母方実家の現場を踏んで、それぞれの菩提寺まで知りたいという依頼内容だった。


 父方は和歌山県の田辺市というところにあり、母方は富山県の氷見市だった。


 この二十年ほどで、IT革命やグローバル化などであらゆる物事が多様化し、核家族化した現代社会において、なぜそこまで調べないと結婚を許さない親がいるのかが、私には全く理解できなかった。


 でも仕事なので仕方なく現場を踏み、聞き込みを実施し、詳細な報告書を作り上げ、依頼内容を簡単にこなした。


 梅雨入り宣言がとっくに出されて鬱陶しい天候が続いていた六月下旬の日曜日、私は遅めの朝食のあと交通機関を利用して奈良県の生駒市へ向かった。


 JR天満駅までブラブラと歩き、鶴橋駅で近鉄奈良線に乗り換え、東生駒駅で下車、妻・有希子の実家は駅から十五分ほど歩いた丘の中腹の住宅街にある。


「両親が出来るだけ早く、一度こちらに来て欲しいって言うのよ。この関係をずっと続けるのもどうかって、あなたと話し合いたいらしいの」


 有希子は実家に帰ってから、電話をかけてくるたびに困ったような声でそう言った。


「できるだけ早い日曜日に来て欲しい」と、先週電話がかかってきたとき、「君も板挟みで辛いよね。次の日曜日に必ず行くよ」と返事してしまったのだ。


 だが、向かう電車の中で、私はずっと憂鬱な気分だった。


 私は大学を二年遅れで卒業して、大学の一年後輩の有希子と結婚した。


 子供には恵まれなかったが、有希子との関係は穏やかだったし、私は彼女の欲のない人間性が好きだった。


 お金や物には興味がなく、ただ何もない日常を愛しているような女性で、一緒にいるとこころが落ち着き、幸せな気持ちになるのだった。


 だが私は男だ、独立欲は生来のものだと今になって思うのだが、人間は欲が出るとダメである。


 金融会社に新卒入社し、そこそこ仕事に自信がついたころに退職して、それから私の人生はおかしな方向へ向かってしまった。


 スポンサーに恵まれて、周りの客からも勧められたりもして、中小企業への融資を業とする事務所を出した。

 今からちょうど十年ほど前のことだ。


 しかも事務所は今回引っ越してきた兎我野町界隈である。

 違うのは、前回はかなり見栄えの良い高層マンションの一室で起業したのだが、今回はこの老朽化著しい五階建てマンションの一室という点だ。


 でも再起する場所としては問題ない。


 妻は「生真面目」と「純粋」という文字を、大きな画用紙に太いマジックペンで力強く書いて、それを大きな額に入れて部屋の壁にドーンと飾ったような女性である。


 金融業として独立する際に激しい反対はあったが、私はそれを無視してオープンした。


「あなたは絶対に失敗するわ、人が良すぎるから」


 当初から妻はそう言っていた。


 そして彼女の予測通り四年たらずで破綻、妻の忠告を聞き入れなかったことを反省した。


 そして次に探偵調査会社のサラリーマンとなったわけだが、凝りもせず再び独立、妻も義父母もあきれ果てるのは当然のことである。


「絶対に離婚しないって言ってくれてもいいのよ。私、あなたと別れたくはないし、両親がいつまでも反対するなら、そのうち黙って家を出るから」


 今も同じ気持ちかどうかは分からないが、有希子は前にそんなふうに言ったことがある。


 ただ、家に呼びつけるということは、彼女の両親はまだ私を完全には排除してはいないのだろうと考えていた。


 有希子の両親を安心させる言葉を探しながらの道中、そしてそれが見つからないまま、彼女の実家に着いてしまった。

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