暴風雨ガール 14


        十四


 翌週、月曜日に岐阜県各務原市の所在調査に向かった。


 事前に調べていたこともあって、依頼人が連絡をとれなくなった人物の所在はすぐに判明し、現在の生活状況などを聞き込みして調査は一日で終了した。


 戻って来てから簡単な報告書を作成し、A社にファックスを送った。

 翌日にはこの前の長い尾行調査の報酬と含めて、かなりの金額が口座に振り込まれていた。


 怠惰な日常を復活した。


 目覚めた時刻にはとっくに世の中は一日の動きを開始していて、社会の歯車が円滑に回転していた。


 雲ひとつないバカ陽気が、部屋から一歩も出ないと固く決意していた気持ちを焦らせた。


 午前十一時を過ぎて、ようやくベッドから出た。

 定期的にこのように怠惰な気持ちになってしまうことを、有希子が嫌っていたのは分かっていたが、性分だから仕方がない。


 A社からの電話がスマホを震わせ、社長からのメールも何度か届いていたが、緊急案件ではないようなのですべて無視していた。


 だが、今朝のメールには「緊急!」と書かれていた。


「緊急!明日から開始して欲しい尾行案件が入ってきました。何とか連絡頼みます」


 でも、尾行は当分やりたくない。私はそのメッセージを睨みつけながら憂鬱な気分になった。


 そのときスマホがブブーと震えた。着信は真鈴からのものだった。


「は~い、岡田」


 寝起きだったので、不注意にも欠伸をしながら電話に出てしまった。


「真鈴です。欠伸しながらって、失礼じゃないですか?」


「ご、ごめん、ミステイク」


「今何してるんですか、いったい?」


 真鈴は怪訝そうな声で私の現在の状況を訊いた。


「今はその、起きたところだよ」


「こんな時間まで寝ていたんですか?」


「ああ、ちょっとね、昨日の夜が遅かったものだから。ところでどうしたのかな?」


「どうしたのかなって、いつでも連絡してかまわないって言ってくれたからかけたんですけど、ご迷惑ですか?」


「ああ、そうだったね、ごめん。ちっとも迷惑なんかじゃないよ」


「岡田さん、もしかして彼女さんがそばにいらっしゃるの?」


「いや、彼女なんていないよ。奥さんは実家だし」


 電話の向こうで真鈴は十秒ほど考えているようだった。

 そして「今日、少しだけ会いたいんです」と言った。


「学校はどうしたの?」


「体調がよくなくて、今日は休みました。でもたいしたことないの。もう元気」


「今日は一日何も予定がないから大丈夫だよ。こっちに来る?」


「だからぁ、簡単に部屋に呼ばないでって」


「あっ、そうだった、ごめん。じゃあ、三十分後にこの前の扇町公園の入り口にするかな?」


 真鈴は「それでいいです」と言って、スマホを切った。


 すぐにバスルームに飛び込み、身体にこびりついているであろう臭いを丁寧にボディソープで消し落とした。


 三十分後の約束をしたが、髭を剃ったりしているうちに時間が経ってしまい、扇町公園の南西側入り口に約束より十分近く遅れて着いた。


 真鈴は入ってすぐのところの花壇の前で待っていた。


「やあ、ごめん、ちょっとシャワーに時間がかかったんだ」


 真鈴はこの日、ジーンズに淡いピンクのTシャツ姿だった。

 いつものように短めの髪を書道で使う太い筆のようにうしろで束ねていた。


「昼ごはんは食べたの?」と私は訊いた。

 会ってすぐの言葉としては不適切だったかもしれないが、他に言葉が思い浮かばなかった。


「まだです」


「マックでも入る?それとも他にリクエストがあるかな。お腹が空き過ぎて死にそうだ」


「岡田さんって、私がいつもお腹を空かしているって思ってるんですか?」

「えっ?」


「この前だって、会ってすぐに何か食べようって言ったでしょ」


 真鈴は不服そうに意見した。


「そうだった?レディに対して失礼だな、ごめん。でもまあ何か食べようよ。美味い物を食べているときって幸せな気分になれるじゃないか」


 真鈴は私の言葉に何も答えずに歩き出した。


 私は彼女を天神橋筋商店街の中にある喫茶・グリル「プランタン」へ連れていった。


 この店のオーナーの伊藤氏は、あの兎我野町の行きつけの小料理屋「安曇野」に、自分の店が一息ついたころにときどき現れるので、以前からそこそこ懇意にしているのだ。


「これはどうも岡田さんやおまへんか。珍しいでんな。おっ、別嬪さんのお嬢さんですな。岡田さんとは似ても似つきまへんがな」


 伊藤氏が私のうしろに立っていた真鈴を見て余計なことを言った。


「伊藤さん、僕の娘じゃありませんよ。僕には子供はいませんからね」


「あっ、そうどしたな。こりゃ失礼」


 私は真鈴を席に座らせた。彼女はなんとも表現するに難しい顔をしていた。


「ごめん、悪い人じゃないんだけど」

「別にいいですよ。私、気にしてません」


 メニューを見ている真鈴に、私はエビフライ定食を勧めた。


「岡田さんが勧めるならそれでいいです」と彼女は言った。


 ウエイトレスにエビフライ定食をふたつと食後の飲み物はホットコーヒーを注文した。


「飲み物はジュースがよかったかな?何でもいいんだよ、遠慮なく言ってくれれば」


「コーヒーでいいです。私、もうおとなですよ、コーヒーくらい飲めます」


 真鈴は少し不満そうに言った。


 私は彼女の気に入らないことばかり言っているような気がした。

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