暴風雨ガール 12
十二
私の事務所兼自宅は2LDKだが、実質は事務所のスペースをひと部屋と、将来的には来客も想定してリビングに簡単な応接セットも置いている。
残る一部屋はベッドと窓際に小さな椅子を置いてあるだけなので、今年四十歳になる男の居宅としては粗末なものである。
日曜日の朝、隣室を覗くとA社から新たな調査依頼のファックスが届いていた。
岐阜県各務原市への所在調査の依頼であった。
明日から取り掛かろうと、調査の資料に目を通しているとスマホが震え、Lineが飛んできた。
沢井真鈴からだった。
「今、電話しちゃいけませんか?」
メッセージとともに難しい表情をした熊のアニメスタンプが添付されていた。
「大丈夫だよ」と返信して、名探偵アニメの「OK!」スタンプをまた送った。
数秒後、スマホが震えた。
「おはようございます、沢井です」
彼女の声は小さく、そして早口だった。
「おはよう、君のことを心配してたところだよ」
「私の何をですか?」
「何をって・・・その・・」
私はすぐに返答できずに戸惑った。
「お訊きしたいことがあるんです。時間のある日に少しだけでも」
会ったところで依頼人のことは絶対に言えない。
「こっちに来る?さっき起きて、雑用をしているところだから時間はあるよ」
「何言ってるんですか、そんなに簡単に部屋に呼ばないでください!」
小さな声だが、きつい口調だった。
何か気に障るようなことを言ったのかと、不思議に思ったが、考えてみれば未成年の女の子を、いくら近所だからといって気軽に呼ぶ私が迂闊だった。
「ゴメン、じゃ、公園にでも行こうか」
「扇町公園の入り口あたりにいます」
「ああ、分かった。何時?」
「午後一時ごろじゃだめですか?」
「いいよ、じゃあとでね」と言って、私は電話を切った。
扇町公園の南西側の入り口までは、このマンションからゆっくり歩いても五分もかからない。
梅雨入り宣言があったのかどうかも分からないが、快晴の日曜日の扇町公園は、多くの人々が様々なスタイルでくつろいでいた。
真鈴は午後一時に、まるでその時刻まで近くで隠れていたかのように、きっかりに私に向かって突き進んで来た。
口をへの字に曲げて、機嫌が悪そうな顔つきだ。
「こんにちは。ピッタリの時間だね」
彼女は白っぽいの膝までのスカートにエメラルドグリーンの鮮やかな半袖のセーターを着て、肩に布製の茶色の小さなバッグを引っ掛けていた。
「お昼ごはんは食べたの?」
「いえ」
「じゃあ何か食べよう。僕は朝から何も食べていないんだ。いいかな?」
「はい」と真鈴は素直に従い、私たちは扇町公園を斜めに横切って、天神橋筋商店街の中にあるグリル・レストランに入った。
「僕はピザが大好きなんだ。少し大きいから手伝ってくれる?」
メニューを見ながら彼女に訊いた。
「私もピザが大好き。でも最近は全然食べてない」
真鈴は少し肩をすくめて言った。
その仕草は普通の女子高校生のものだった。
スタッフを呼んで、サラミとジャーマンポテト、アンチョビ、ダブルチーズピザ、トマトとマッシュルームのサラダとなすとベーコンのスパゲティナポリタン、そして飲み物はアイスカフェオレを注文した。
「二人で分けて食べよう」と提案した。
「ところで訊きたいことって何だろう?」
私は真鈴の目を見て、できる限り優しい表情を意識して訊いた。
「それは岡田さんに私の尾行を頼んだのは誰かってことです。それしかありません」
彼女はさっきの普通の高校生の表情から一変して、私の目を睨むようにして言った。
「沢井さん、それはこの前も説明したように絶対に言えないことなんだよ。僕の仕事上のルールなんだ。分かってくれないかな」
「分かりません、今日は教えてくれるまで帰らないから!」
彼女は明らかに不服そうな顔つきになり、両方の頬を交互に膨らませた。
「それにね、もう今回のことを突き詰めようとするのはやめよう。君にだって不利になることがあるだろう?」
料理が運ばれて来た。
私は真鈴の皿にピザとサラダ、それにスパゲティも少しずつ取ってやった。
彼女はその間、少しうつむき加減で、ジッと黙って私の手の動きを追っていた。
「さあ、熱いうちに食べよう。君をあちこちつけ回したお詫びだ。本当は少しワインが飲みたいけど、未成年を前にして、そういうわけにいかないからね」
雰囲気を和らげ、リラックスさせようと、努めて明るく言ったつもりだが、彼女はジッと黙ったまま料理も飲み物にも手をつけなかった。
「岡田さん、じゃあひとつだけ教えて下さい」
「何かな?」
私はフォークを置いてナプキンで口を拭ってから訊いた。
「私の尾行を頼んだ人って、その人・・・私の父じゃないですよね?」
「えっ?」
「依頼した人は、私の父ではないですよね?」
「君のお父さんが?」
真鈴は頷いた。
「いや、違うよ。この前もそれは言ったと思うけど、そもそも君の尾行を依頼されたんじゃないんだ。
ある人物を尾行していたら、その人が君と会ったんだからね。そのあと依頼人の要望で君の動きを数日追っていたんだよ。もうここまで言うと依頼人は誰か分かってしまうけどね」
「そうだったんですね」
真鈴は肩をがっくりと落としで呟くように言った。
しばらく口を真一文字にして何かを考えているようだったが、そのあと「いただきます」と言って、猛烈な勢いで料理を食べはじめた。
目の前でピザを頬張り、サラダを食べ、スパゲティをくるくる巻いて口に運ぶ真鈴の様子を、私はしばらく唖然として見ていた。
そして五分ほどが経って、彼女の食事のペースが急にダウンした。
うつむき加減の顔を覗き込むと、両方の目から涙が溢れ出たところだった。
涙は両方の頬を伝い、あっという間に顎に達していた。
「沢井さん、どうしたんだ?」
真鈴は両手で顔を覆い、指の間から嗚咽が漏れるほど激しく泣いた。
近くの客や店の人が驚いた顔で私たちのほうを見ていた。
でも、そんな視線よりも目の前の彼女のことが心配になった。
「もしよければ話してくれないかな。何か事情があるようだから」
真鈴は布製のペチャンコのバッグからハンカチと手鏡を取り出し、目尻を拭った。
「ここじゃ話し辛いだろうから、もう一度扇町公園に戻ろうか?」
真鈴は素直に頷いた。
アイスカフェオレをほんの少しだけ飲んで、私たちは店を出た。
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