第40話:歌姫の場合

 第40話:歌姫の場合


 八月中旬の某日。


 とあるビル内にあるレッスンスタジオ。

 そこに二人の女性の姿があった。

 一人は絶世の歌姫と呼ばれる浜崎奈美恵、もう一人はメイドの美沙理である。


 毎日欠かさずボイストレーニングをしており、発声や滑舌などを丹念に磨いている。

 やらない日は体調が悪くなるほど、体に染み付いた欠かせないルーティンだ。

 当然今日も、それが目的でここに居るわけである。


「お嬢様、タオルでございます」

「ありがとう美沙理。 この後はダンスレッスンだったかしら?」

「この後はマネージャーとの打ち合わせがございます。 その後でダンスレッスン、ミュージックTVのメッセージ撮影、音楽雑誌のインタビューとなっております」

「そう……撮影はコメントが必要よね」

「はい、二十秒ほどだったと記憶してます」

「はあ、分かったわ。 休憩は終わりね、続きをやるわ」

「かしこまりました、タオルをお預かり致します」


 タオルを回収すると入口付近まで下がり、浜崎をじっと見守る。

 この立ち位置も、振る舞いも、やり取りも、全て毎日行われている日常。

 欠かせないからこそ、違いがあると違和感になって集中できないとかなんとか。

 会話内容の違いは別として、浜崎の拘りであると以前インタビューでも話していたらしい。


 それから約一時間後、日課を全てこなしてスタジオを後にした。


「美沙理、コーラはあるかしら」

「も、申し訳ありません、普段飲まれないのでご用意がございません」

「そう、打ち合わせの時に出してちょうだい? 今日は飲みたい気分なの」

「承知致しました」

「ありがとう、よろしくね」


 傍から聞いてもなんてことない会話をしながら車で移動をする。

 目的地は事務所も兼ねている自宅。

 今は美沙理を含めたメイド六人と、七人暮らしをしている。


 それから、特に会話をすることもなく、静かに車が走っていく。

 自宅の門前に到着すると自動的に門が開き、完全に開き切ると車を滑り込ませる。

 そのまま玄関の大扉前で車が止まると、美沙理が先に降りて車のドアを開ける。


「「「「「お帰りなさいませ、お嬢様」」」」」

「ただいま、マネージャーは?」

「まだ到着されてません、お時間通りに来られるかと思われます」

「そう、シャワー浴びてくるから着替えの用意お願いね」

「かしこまりました」


 そんなやり取りの後、ひらひらと手を振って脱衣所へと向かった。

 向かう先は三つある浴室の内の、浜崎専用の浴室である。

 白い陶器に金の猫足が付いた、お気に入りの浴槽で一息吐くのが至福の時なんだとか。

 これもインタビューで言っていたので、ファンなら皆知っていることだ。


「ふう……ミルク風呂にすれば良かったかしら? なんだか柚子では落ち着けないわね……失敗したわ」

「お嬢様、お着替えご用意致しました」

「ありがとう、もう少ししたら上がるわ」

「承知致しました」


 扉を隔てた向こう側で律儀に頭を下げて退室していった。

 用意された服は、部屋着以上外着未満といったラフなもの。

 世間がイメージする浜崎とはだいぶかけ離れた服だが、プライベートはこんなものだろう。

 さすがにコレはイメージを壊してしまう為、知る人ぞ知るネタだったりする。


 …………

 ……


「お嬢様、マネージャーがいらっしゃいました」

「そう、分かったわ。 コーラは赤いラベルのかしら?」

「はい、ご所望のキョカ・コーラをご用意しております」

「ありがとう。 悪いけど、以前買った黒猫のティーカップで出してちょうだい」

「え、あ、はい、かしこまりました……?」

「ふふふ、よろしくね」

「お嬢様が望む通りになさい」

「しょ、承知致しました!」

「美沙理、行くわよ」

「かしこまりました」


 浜崎は普段から水かお湯出し麦茶、メイド手製のスポーツドリンク、紅茶しか飲まない。

 コーラを飲みたいと言うのも数年振りだし、それをティーカップでなんて初めてのこと。

 いったいどこの誰の影響を受けてこんな事を言い出したのか、浜崎と美沙理しか知らない。


「お待たせ」

「お疲れ様、奈美恵さん」

「ええ。 いつも通りコーヒーでいいかしら?」

「はい、大丈夫ですよ」

「美沙理、お願いね」

「かしこまりました」


 来る度に飲むからだろうか、さほど時間が経たない内に用意が完了した。


「コーヒーとミルク、角砂糖六個でございます」

「ありがとう」

「コーラでございます」

「ありがとう。 ふふふ、変な感じね」

「奈美恵さんがコーラなんて、珍しいですね?」

「そうね、なんとなくかしら。 今日このタイミングで飲むのが最善と、何故かそう思ったのよ」

「虫の知らせに似た何かですかね?」

「どちらかというと『直感』が働いた、といった方が正しいかしら」

「ふむ、なるほど……」


 傍目に見て、コーラをティーカップで飲むことに何の意味があるのか意味不明である。

 しかし、そこにツッコミを入れるのはどうかと思い、マネージャーは鋼の心でスルーした。

 二人は一口啜ってティーカップを置く。


「では打ち合わせ始めますね」

「ええ、お願い」

「ご存知かと思いますが、このあとは収録とインタビューがあります。 どちらもそう時間を取られるものではないので、夕方前には全て終わると思います」

「わかったわ」

「次ですが、正直今までにない案件なので困っているんですが……」

「内容を聞かないと答えようがないわね、とりあえず詳細をお願い」

「わかりました、本日アニメへの出演依頼が来ました。 タイトルは『アイドルドリーム!』で、資料はこちらです」

「ふうん……」


 アニメやアーケードゲームに関する情報が書かれた紙が数枚机に置かれる。


「役どころとしましては、主人公が通うアイドル学園の高等部を卒業したOG。 学園でも伝説的な存在として知られていて、現在は名前だけ登場しています。 そこへ学園長から依頼を受けて、講師役で主人公と初対面、といった感じです」

「ふーん、アニメは詳しくないのだけど、コレは人気なの?」

「そうですね、女児向けアニメですがファン層は非常に広いようで、女児はもちろん十から三十代の男女にも人気です」

「男性にも人気なのね……」


 資料をパラパラ捲ると、イヤーマフラーズとスター・ランブルの名前が目にとまる。

 聞いた事がない名前だが、抜擢されるということは歌はそれなりなんだろうと思考する。


「アニメのアフレコ以外に、変更がある可能性はありますが既存の曲四曲と、オリジナルの曲二曲の収録が予定されています。 アニメオリジナルキャラなので、アーケードゲーム用の収録は予定されていません。 ただ、今後家庭用ゲーム機でゲームが出る場合、収録が発生する場合があるようです」

「なるほど……悩むわね」

「三クール目からの登場なので、お返事はまだ大丈夫だそうです。 ひとまずオファーとしてかなり前倒しでお話を持ってきていただいたようですので」

「わかったわ、ひとまず保留でお願い。 ……ちょっと思うところがあってね、前向きに検討させてもらうわ」

「ありがとうございます、九月中にはお返事欲しいそうなので、それまでに私にお願いします」

「美沙理、スケジュールにメモ入れといてちょうだい」

「かしこまりました」


 返事をする時には既に書き込んでおり、パタリと閉じて澄まし顔である。

 今までラジオやテレビといったメディアに出る事はあった。

 しかしそれはあくまで歌手として、浜崎奈美恵としてであり、アニメは言わずもがな。

 何故、どうして、誰の影響でこんなにも悩んでいるのか、ほとほと謎は深まるばかりだ。



 ----


「お嬢様がアニメですか……なんという僥倖でしょうか。 これは是非お受けいただくよう動くべきですかね……」


 自室でそんな事を呟く美沙理。

 その瞳には、アイドルドリームのイベント限定ポスターが写り込んでいる。

 ふと視線をずらすと、アイ〇ツシリーズのバインダーが数十と収められた本棚が……。


 ただのファンとは思えない瞳が僅かに燃えるように怪しく揺れた……。

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