20話

 どこか堅い声音が、いやに響いた。


 いつの間にかスピーカーにされている。月音は混乱して目が回って、満足に喋れなくなっていた。後ろで僅かに揺れる彼は愉悦に浸っているらしく、黙っていた。


 愉快犯により、相手の警戒が強まる。電話越しでも、誠司の空気が変わったのがわかった。


「おい、テメェ聞いてんのか」


 唸り声に月音はびくりと肩を揺らした。指先まで凍って思考すらまともに働かない。


 刺し殺すような気配に圧倒された月音に、泰華はようやく口を開いた。


「俺だよ、誠司」

「……はぁ、何だよ。警戒して損した」


 一瞬にして霧散した警戒、呆れたように息を吐いた誠司が不満げに呟く。


 安堵も含まれており、泰華は心なしか嬉しそうに笑った。月音の髪を一房つまみ、くるりと指に巻き付けて手持ち無沙汰にもてあそぶ。


「俺からの電話だって分かってただろう」

「いや、緊急事態用の携帯電話からだったから、何かあったと思うだろ」

「あ、そうそう。この電話は月音にあげたから」

「は?」

「登録してある番号は俺とお前。月音から連絡あったら、彼女の手助けしてくれ」

「はぁあ?」


 信じられない。

 驚愕をにじませた抗議にも泰華の態度は変わらない。よりいっそう楽しげに喉をくつくつと鳴らした。その凶悪な音色、やはり嗜虐心が強いのだろう。


 月音は肩身の狭い思いで、身を縮こまらせた。


 ぎゃいぎゃいと騒ぐのを、のらりくらりと泰華は躱す。不思議な会話はやがて、誠司の重たいため息で収束した。


「……あー」


 気まずそうな沈黙から、言葉を口の中で転がすように口ごもる。 


 月音から相手の出方を窺い、注意深く耳を澄ました。変に騒がしい心臓を押さえつけて、集中する。


 誠司も、月音の緊張を感じ取ったらしい。泰華と話すときとは違い、ずいぶんと柔らかい気遣いにあふれた声音で空気をふるわせた。


「泰華は、性格悪い上にうさんくさいだろうし。あいつに言いにくいことがあったら、僕を頼って。最低限、助けるから」

「あ、ありがとうございます」


 ぎゅうとワンピースの裾を握って、心細さを誤魔化した。返事はずいぶんと頼りなさげで、気の利かない響きだ。

 

 自己嫌悪に陥る寸前で、泰華が引っ張りあげるように手を重ねた。

 大きな手が、月音のそれを包み、指を絡める。

 ぬくもりが分け与えられ、心が守られていく。いつの間にか張り詰めた息をゆっくり吐き出した。


「要件は、それだけ。後でまた連絡する」

「わかった」


 短い応答。すぐさま切られた電話をテーブルの上に置くと、泰華は月音の頭に手を添え、抱えるように抱きしめた。


 胸に押し当てられ、彼の心音が微かに聞こえる。規則正しく、落ち着かせてくれた。自分の鼓動と重ねて、音楽を楽しむように身を委ねる。

 ふわりと彼の甘い香りと共に、朝に目撃した黒い人間がかすんでいく。気にしすぎなのだと、嫌な予感を否定できた。


「大丈夫。その命、必ず守る。何があっても」


 迷いなど一切ない。

 どこまでも真っ直ぐで、真摯な言葉に月音は頷いた。


 彼のそばは、安心する。


 香りに誘われた睡魔がもたげる。あくびがこぼれれば、泰華が優しく囁いた。


「今日一日、神経が張り詰めて疲れたんだろう。少し眠るといい。起きたら一緒にごはんを食べよう」


 とんとん、幼子にするように背中をゆったりと叩かれる。抗う理由もない、月音は既にまどろみに、拙くなった言葉で「ありがとう」とだけ伝えて、重たい瞼を下ろした。


 ゆらゆらと心地よい夢へと意識を委ねた。

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