13話

「出かける。外出は控えてくれ」

「……はい」

「風呂やベッド、その辺のものは好きに使うといい。ただこの玄関だけは、開けてくれるな。たとえ呼び鈴が鳴ろうとも」


 追っ手に見つかる可能性があるからな、と付け加えた泰華は、上等そうな黒いスーツに身を包んで家を出た。月音を放置する、というのは些か不気味だ。昨日であったばかりの他人を信用しすぎではなかろうか。いや。


「何もできない、か」


 月音一人。何ができようか。男はその部分を信用しているのだろう。正しい、出て行く気力もなければ何か仕掛けようとも思えない。


 無駄な思考を止めれば、他人の家に一人残された居心地の悪さが押し寄せる。不安定、物音がしない部屋には慣れていない。


 出て行った扉を眺めて数分。心細さに顔を歪めつつも、どうにか身体を動かしてシャワーへと滑り込んだ。


 おそらく眠っている間に汚れを拭き取ってくれたらしいがが、やはりしっかりと水で洗い流したほうがいい。


 熱めのお湯を浴びて、備えられたボディーソープやシャンプーなど使う。どれも新品で、月音が来てから揃えられたのがうかがえる。


 至れり尽くせりなのが、また意図が読めないので不安を煽る。


 柑橘系の香りをまとい、さっぱりとしたところで、あらかじめ用意された白いワンピースに着替えて、寝室へと飛び込んだ。服のサイズはいつ調べて……考えれば考えるほど不自然が見つかるのが恐怖である。


 柔らかく沈むベッドに、ゆっくりと横たわり深く息を吐いた。他人がいないというだけで身体から力が抜けていった。


 緊張から解き放たれると痛みが存在を主張して訴えるが、気にならないほど安堵を覚えた。追われていつ殺されるかもわからない状態が続いていたせいか、一晩経っても疲れはとれきっていない。


 濡れた髪は肩に付かない程度の長さだ。自然乾燥でも構わない、手間を考えれば面倒でタオルを巻く。


 目を閉じて部屋の音に集中する。耳は何も拾わない。外の、車の走行音も、人の騒々しさも、風も。何もかも部屋には届かない。まるで切り取られたかのように静粛で清らかだ。全てが新品で白くて、汚れなど一切ない。


 ――この部屋は守られている。

 唐突にそう思った。きっと泰華は、本気で誰もいれる気がない。昨日出会ったばかりだというのに、そこだけは信じ切るのは何故か。それは月音自身にもわからない。


 ただ。昨日。月音を好きだと告げたとき。


 あの熱を孕む獰猛な瞳が、余裕のない吐息が。嘘は含まれず、むき出しの感情だと知らしめている気がした。あれを演技というには、あまりに。


「こわい」


 食い殺されるかと錯覚した。こちらを呑み込む勢いで覆い被さる激情があった。


 とくとく、鼓動が規則正しく刻む。唯一の音に耳を澄ませて、意識を眠りに沈めていく。することなどない、したいこともない。ならば体力を取り戻すのに専念すべきだ。うとうと、時間もわからなくなり。やがて。完全に安らかな闇へと飛び込んだ。


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