14話

「お前、絶対王子様役なんて似合わないから止めといたほうがいいよ」


 午後二時。

 信頼における者と用事を済ませたあと、適当なカフェに入った。


 コーヒーを飲みつつ、足を組んで渡された資料へと目を通す。周りは月花で囲んでいるので危険はないが、長く滞在したくはない。携帯電話から聞こえる声に相槌を打ちつつも、思考の片隅には、セーフティハウスに残した彼女がいる。


「お前が似合うのって悪役。というか、今も悪役の動きしてるじゃん。無関係の僕が、彼女を可哀想だって思うぐらい」

「何を言っている。俺は彼女に対して、これ以上ないくらい愛情を注いでいる」

「歪んでんだよな」


 何を今更と鼻で笑えば誠司が、重苦しいため息をついた。


「陽野月音は、一般人だろ」

「ただの一般人ではないが」


 だからこそ関わり合いを持てる。

 ルールを破る行為ではないから。


 そう続ければ、やはり呆れた様子が返ってくる。しかし、同類である誠司に対して、興味などない。


 泰華はまた一口、コーヒーを飲んで、資料を傍に控えていた手下に渡す。次のを手にして、素早く目を通した。


 長い髪が肩からこぼれ、乱雑に払った。華奢な体格でポニーテール。後ろから見れば身長の高い女性に見間違われる。


 それを狙っているとはいえ、髪の手入れは鬱陶しくてかなわない。舌打ちをこぼせば、電話の向こうで悲鳴が聞こえた。


「機嫌悪いのかよ」

「ああ、彼女と離れているからな」

「朝食一緒に食べたんだろ」

「もう五時間も会えてない。それに怖がっている」

「そりゃ、知らねぇ男の家に一人残されたら怖いだろ」

「風呂に入る余裕はあるみたいだが……ふむ、彼女の住んでいた環境からして無音は良くないみたいだ。帰りに何か買っていくか」

「ご執心だことで」

「そうだな」



 物憂げに息をついて、目を閉じる。瞼の裏には鮮明に光景がよみがえった。忘れたくない――随分と前の、夜。


 月夜の晩。肌を焼かず、密やかな幕を下ろす時刻。

 彼女は、ふわりと降り立った。


 シャツから伸びた細く白い腕が、闇夜に浮かぶ。

 足がはねるように、しなやかに動いて身を躍らせる。静謐に、彼女は赤い血の花を身体に咲かせて、熟した林檎のような唇には弧を描いていた。


 毒々しくも男を魅了して誘惑するそれは、当時の泰華を容易く惹き付けて、芳香が冷静さを焼いた。


 短い黒髪が濡れて、艶やかに靡く様を、泰華は呼吸すら忘れて魅入っていた。言葉通り、全てを奪われたのだ。


 あの頼りなさげで無防備な首筋に噛みつきたい。

 鈴の声を発する果実の唇を塞ぎたい。

 滑らかで美しい髪を梳いて口づけて。全部。



 ――全部、奪いたい。



「……やっぱり、お前、王子様じゃねぇよ」


 姫をさらう悪役だよ。


 泰華は瞼をあげた。

 顔に触れれば笑みを象っている、彼女は驚くだろう。自分が笑うのは、敵か彼女相手だけだと教えれば。

 

 心に渦巻く欲望が身体を呑み込み、思考を麻痺させる。こぼれた嗤いは狂気にまみれ、店内に響いた。

 できた手下は表情ひとつ変えやしない。そこだけは好感が持てたがすぐに、その感情は彼女へと塗り替えられた。


「一応、忠告するけれど。彼女を手に入れて、飽きたらぽいっとかないよな」

「ありえないな」

「……いっそ捨ててくれよ。だるいから」


 泰華は自分に執着心とは無縁だと思っていた。昔から周りにあるものが灰色に醜くうつった。一度だけ、自分の中で何かが起きそうだったときも、それも不発に終わってしまった。

 

 彼女だけなのだ。


 彼女は、泰華の欲を強く刺激した。あまりにも強烈で強引で、苛烈な感情は瞬く間に泰華を支配した。

 欲しい、欲しい、欲しいと本能が訴え、叫ぶ。ぞくりと肌が粟立ち、喜びの笑みが浮かんだ。あのときから彼女だけが。


「陽野月音だけは、必ず」


 手に入れるとも。


 執着心にまみれた吐息交じりの声は、熱に浮かされ濡れていた。着実に手中に収めるために、慎重に動かねばなるまい。


 それ以外は、些細な問題だ。


 虎沢秀喜の思惑も、彼女の願いも、周りの喧騒も。


「泰華、情報は集まりきった?」

「まだだ。餌に食いつくまでには時間がかかる。そちらこそ、首尾はどうだ」

「奇跡。としか言いようがない。いや僕たちがあまりにも不甲斐ないからか」


 重苦しい溜息まじりに、誠司が弱音を吐いた。それがあまりに深刻そうで、普通なら哀憫すら抱くだろう。奴も顔だけは優男で、女からは高評価だ。


「僕たち凪之と月花が守ってる羽無町で、どうやってここまで勢力を広げたのか全く検討もつかない」

「虎沢秀喜のことか」

「それに決まってるだろ。……しかも未だに御本人様の行方は掴めていない。はぁ、今から恐怖だよ」

「恐怖か。何にだ?」

「この大失態、親父がなんて言うか。また嫌味をちくちくちく刺すに決まってる。いや僕が悪いんだけど」

「下働きは大変だな」

「下働きじゃねぇわ。くそ、お前と俺の失態なんだからな」

「はは」


 愛想笑いとも嘲笑ともとれる声に、誠司の二度目の溜息をついた。死にそうだな、と率直に思った。実際はそんな玉ではない男なのだが。


 怯えて、儚い泡沫のように繊細かつ壊れやすい。柔い姿を見せるくせに、いざとなれば常人が目を背け、嫌悪することすら平気でこなす。そういうところが、好ましい。


「マジで親父への報告するまでに最低限、虎沢秀喜が、月花と凪之に噛みつけるほどの勢力を拡大した原因。それと虎沢秀喜の居場所だけは突き止めないと」

「それじゃあ足りないだろう。お前の親父さんは、虎沢秀喜の首を用意しとかないと満足しないさ」

「否定できねぇ」


 ちょうど手に取った報告書に、虎沢秀喜の名前が書かれていた。


 虎沢秀喜――月花と凪之を踏み台に、羽無町を支配を目論む新組織。


 血気盛んなのは構わないが、少々派手にやりすぎている。波乱を巻き起こす、厄介な悪性の腫瘍は取り除くのが月花と凪之の役目だ。


 羅列された文字を追っていれば、誠司の雰囲気が、真剣なものへと切り替わる。泰華は、無表情のまま言葉を待った。

 そろそろだと予想していた。膠着状態に加えて、荒れる凪之の組織内。誠司の我慢も限界に近い。だから、泰華は何一つ驚きもない。


「……なぁ、そろそろまずいかもしれない」

「それは何度も聞いたが」

「っあのな、うちの連中抑え込めない! もう既に何人かはお前を狙って勝手な行動を始めてんだ!」

「そうか。それは光栄だな」


 抑揚のない返答。

 その瞬間、破壊音が電話越しに響いた。

 

「――俺の親父を殺されかけてンだッ! 疑わしい奴は、たとえ月花当主のお前でも殺すッうちのやり方は知ってンだろォが!」


 声を荒げる誠司に泰華は、眉一つ動かさない。

 知っているとも、答えない。


 凪之は『家族』を大切にする。報復は家族に関すれば激しいものになる。月花とは少々異なる部分だ。


 誠司が弱り切った様子で、泰華に懇願する。

 

「頼むから、お前の潔白を示してくれ」

「不可能だな」

「お、まえ」

「はは。血がのぼった若手連中、それも他人の組織の奴らを説得できるわけないだろう。どれだけ証拠を提示してもな」


 誠司に即答してから、ぴくりと肩を揺らした。


 こちらの空気が変化したのを、いち早く察知したらしい誠司は、一方的に通話を終了させた。彼と長い付き合いが出来ているのも、この察しの良さのおかげだろう。


 至極面倒だと足を組み直した。

 資料に一瞬だけ目をやる。凪之当主殺人未遂――その文の下に、無情にも書かれた報告。




『凪之は内部分裂が起き始め、月花泰華を最重要人物、容疑者と判断するものが多数。月花に加担した協力者である共に所在不明――』




 ――途中で資料を片付けて、カップを片手に微笑みを貼り付ける。男女問わず色めき立つ、華やかで艶やか。優しさも忘れず忍ばせた完璧な花を咲かせる。泰華は自分の魅力を嫌というほど理解していた。


 この容姿は利用できるか、反対に厄介でもある。


 からん、とベルが鳴ってドアが開く。背後で客人が踏み入るのを聞きつつ、ふと近場のケーキ屋を思い出した。


 さっさと帰らないと。彼女には教え込まなければならないこともある。


 人を殺す意味もわからず、それでも自分が生きるために何もかもを――己すら捨てる彼女。かわいくて、あわれな彼女。


 だが、あの無防備さはいただけない。泰華にだけなら構わないが、そうではないだろう。躾ける必要がある。


「月花だな」


 招き入れた客人が前の席へ荒々しく座る。野太い声に嫌悪感を抱きつつ、泰華は無言で笑みを捧げる。目の前の男が、僅かながら顔を紅潮させて目線を彷徨わせるのを、つまらない気持ちで見続けた。


 ああ、早く彼女に会わなくては。


 これから起きる惨劇より、先にある逢瀬に思いはせた。

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