そろそろ脱出します。

 何度かの休憩を挟んで、既に六時間以上が経過していた。


 距離としてはさほど進んでいない。


 しゃがまないと進めない場所や、急こう配、大きな段差などがあって、街中を歩くのとは事情が異なるのだ。


 尿を飲み、残り少ないレーションを分け合い、どうにか体力を維持している。

 睡眠をキッチリと取れていた点も良かっただろう。


 とはいえ、希望は湧き始めていた。


 誰の耳にも水流の轟音が聞こえるようになっていたからだ。


「やっと、尿から解放されるわけか――」

「が、がぶ飲みすっぞ」


 氷室とサッカー部男子は、手と拳を打ち合って喜んでいる。


 歩く穴道けつどうの岩肌も湿気を帯びており、足元も気を付けないと滑るようになり始めていた。


「そんな元気は残っていないと思うが――」


 先頭を歩くオサムからは、水源に迫りつつあることへの喜びは感じられない。


「――決して走らないでくれ」


 転んでケガをする事態を警戒しての忠告だ。


 簡易治療キットはリュックに入っているが、本格的なものは宿泊施設に置いてある――といより学校に没収されている。


 だが、オサムの忠告は、わずか数秒後に破られることになる。


 うねる様にカーブした先に進んだ時のことだ。


「え?」

「えええ!!」

「うおおお」

「まじっ!?」


 その光は、余りに眩く、そして圧倒的だった。入り組んだ穴道けつどうによって隠されていた陽光が、進む先に突如あらわれたのだ。


 全開となっている瞳孔が縮むまで、何があるか分からないほどの輝きに見えた。


 だからこそ――、


「で、出口だぞッ!!」

「やったあああ」


 大声を上げて走り出してしまった彼らを責めることは出来ない。


「ちょっと、オサムきゅんの言う通りに――」


 オサム原理主義者のキララは声を荒げたが、氷室、伊集院、サッカー部男子、そしてお調子者は、我先にと懐かしい光が待つ奥へと駆けて行く。


 だが、キララはもちろんのこと、怖がりの双葉アヤメと、意外にも慎重派ギャルである白鳥ミカは、オサムの言いつけを守り足元に注意を払って歩いている。


「――言う通りにしなさいよ。クソむ――」


 お約束――と言えば良いのだろうか。


 キララが、クソむしの「し」を言う前に、意外な俊足ぶりを見せ先頭を走っていたお調子者が転んでしまった。


 続くサッカー部男子が重なる様に転び、続いて氷室が――。


 最後は、伊集院が束となった彼らと衝突して、反動で尻もちをついて倒れる。


 水流の放つ轟音に隠れ、ガシッという不吉な音がしたのを、オサムだけは聴覚で捉えていた。


 ――尻ポケットにスマホを入れていた記憶があるのだが……。


 オサムは、イヤな予感がした。


 ◇


「クソッ。出口かと思ったのに」


 氷室が悔しそうに足元を蹴った。


 ――やはり、チロルチョコが命綱になりそうだな。


 ひっそりとポケットの中を調べ、地獄の黄金を落としていないことを確認する。


「あ~あ、こんなオチだと思ったけどさぁ。ちょっとだるいわ」

「ミカ、俺がついてっから――」

「で、BJ――じゃなくて戸塚っち、これからどうすんの?」


 サッカー部男子をガン無視しつつ、ギャル白鳥はオサムの方を向いた。


 微妙に呼称を変えることで、相手との距離感を調整するのが彼女の特徴である。


「まあ、洞穴から出れはしたけどさ――」


 辿り着いた空洞には水が流れており、そこを辿っていくと洞穴から出ることができた。


 懐かしの青空が拡がり、来栖岳の周囲を一望できる絶景ポイント――。


「し、下を見ると怖いね」


 アヤメはぶるぶると震えて白鳥にしがみつく。


 絶景ポイントの足元は、断崖絶壁となっていたのだ。


「ふむ。だが、状況は大いに改善した。水が在り、新鮮な空気を吸えて――なおかつ電波が入るかもしれないだろう?」

「あっ」

「オサムきゅん💕」

「そうだった、ねね、伊集院っ」


 言われて思い出したゴリラは、慌てて尻ポケットからスマホを取り出した。


「やった、連絡して助けてもらお」

「この高さだと救助ヘリかな」

「つうか、マスコミの取材がやばそうじゃね?」


 一気に場の空気は盛り上がったのだが――、


「ぐおっ」


 呻き声を上げた伊集院が白目を剥いた。


 それを見たオサムは小さく息を吐く。


「よもやと思ったが――故障していたのか?」

「ううううううおおおおん」


 ボロボロと涙をこぼし、伊集院が頷いた。


「てめ、ふざけんなよ。なんだって――あっ!!さっき転んだ時かよ!?」


 走るなと言われて走ったバカの一人、サッカー部男子が吠える。


「クソがッ。おらおら、京極ッ!!」


 近くに立っていたお調子者――京極の胸倉を掴んだ。


「あん時、最初にスッ転んだのお前だったよな。つうか、そもそもお前が斜面を転げ落ちてなきゃ、とっくに俺らは帰れてたんだよ!!」

「うるさいっ!!お前なんて、怪我人を見捨てようとした薄情者だろっ!!」


 サッカー部男子と京極が醜い争いを始める。


「おい、こんな場所で止めろって。危ないからさ」


 女子ポイントを稼ごうと考えた氷室は、仲裁に入るべく二人の間に立った。


 ――BJばっかりにポイントを稼がせるわけにはいかないしな。


「ちっ、ウソツキ氷室かよ」


 教室では絶対服従だったお調子者が、イケメン氷室に毒を吐く。


「はあ?ウソなんて――」

「知ってんだぞ。食料持ってないなんて言ってたけど、お前がチロルを隠し持ってること!!」

「ば、バカ言うなよ。持ってないって」

「じゃ、ポケットの中を見せろよ。このウソツキ野郎めっ」

「止めろ!!」


 自身のショーパンに手をかけようとした京極を、氷室は力いっぱい突き飛ばす。


「うわっ」


 落ち癖のある京極は、またも崖から落ちそうになるが、必死に腕を伸ばしを掴んだ。


「――え!?」


 その何か――は、不運なことにギャル白鳥の茶髪だった。


「ぎゃあああぁぁぁ――」


 ここから先は、全てが五秒以内の出来事だったが、見ているアヤメにはスロー再生として記憶に残る。


 まず、髪を思いきり引かれた白鳥は、悲鳴を残し皆の前から姿を消す。


「キララッ!!!」


 鋭いオサムの声にミリセカンドで反応した天王寺キララは、自身のペットボトルのキャップを開け、中に入った毒液をあたりに振り撒いた。


「うおっ」「ぎゃ」「げげ」「ひぃ」


 氷室、伊集院、サッカー部男子、京極の目が、キララの毒液で潰されるが、アヤメは辛うじて難を逃れる。


 その為に、以降の異常現象を目の当たりにすることとなった。


「ええええええっ!?」


 なんと、オサムが崖下へ向かって、垂直面を全速力で駆け下りて行ったのだ。

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