第五話 別離 -サヨナラ-

「え、甲斐田っち、一緒に来ないの?」

「勘違いもはなはだしい。……遅れていくと言っているだけだ。猪どもが、また集まってこないとも限らんからな」


 彼は相変わらずロボットの上に腰掛けたまま――いや、最早もたれ掛かるようにしてそう言った。

 完全にリラックスを極めている。


殿しんがりが必要だろう。おまえ達は、先に行け」

「でも……」

「七生、彼の意思を尊重しよう。僕らを守るため、ここで鬼を食い止めてくれると言っているんだ。それに、彼の心臓は……」

「案ずるな復讐者、俺は甲斐田豪だぞ? 時間さえあれば、生き延びる方法の一つや二つ、容易く思いつく!」


 太い笑顔で啖呵たんかを切って見せる豪さん。

 さらに月彦さんからさとされて。

 田代さんは、ようやく踏ん切りがついたようだった。


 彼ら二人と、六車さんは、ロボットを連れてピックアップポイントへと向かう。

 別れ際、彼女は、


「甲斐田豪! あんた、きっと生き延びなさいよ。それで……またうちの肉、食いに来なさい。あたし、ずっと、ずーっと待ってるから!」


 目尻を真っ赤にしながらそう告げて、何度も振り返りながら。

 田代七生は、この場を後にした。

 そして。


「……トウサク、七生は行ったか?」


 しばらくして、豪さんが不自然な問いを放つ。

 彼女たちの姿は、とっくに見えなくなっている。

 そもそも、彼はあらん方向を見詰めているのだ。

 疑問に思いながら肯定すると、刹那、彼の身体が傾斜した。


 滑り落ち、ベシャリと地面に落ちる長身。


「豪さん!?」


 慌てて駆け寄り、抱き起こして。

 ぼくはただ、絶句する。


 服の下から帰る触感は、グズリとしたもの。

 両手にはべったりと赤黒いものがつく。


 彼の手術着が赤いから気が付かなかった。

 気が付けないように、彼が振る舞っていたのだ。

 その全身は、数多あまたの裂傷と、血に濡れていたのに。


「あ、あああ、ああ!」


 なにが……なにが死んだふりだ。

 こんなの、まるで――


――まったく、俳優冥利に尽きる演目だ」


 皮肉げに呟く豪さん。


「どうして、こんなになるまで」

「……ふん、田代七生の前で、甲斐田豪という俳優は、ああでなくてはならん。それだけだ」


 かっこうをつけていただけなのだと、彼は口元を歪める。


「だが……俺は――いや……は、違うよ」


 張りのない声。

 弱気に震える声音。

 いくつもの姿を演じてきた彼の、これまでのどの役とも違う一面が覗く。

 甲斐田豪の、本性が。


「ずっと、演技をしてきた。あのひとの店を潰してしまったんじゃないかっていう罪悪感に押し潰されそうで、自分を律するためにいきった男を演じていた」


 そこにいたのは、誰も知らない〝誰か〟だった。

 世間が思い浮かべる名優。

 その、どの姿とも合致しない等身大きよわな青年が、生涯を賭して演じた役こそ〝甲斐田豪〟だったのだと突きつけられる。


 自らの罪に震え、それでも恩返しをしようと。

 罪科ざいかむくいようと全霊をかけた弱く愚かな青年の。

 きっとあれら全てが、理想の姿だったのだろう。


 田代七生という女性の前に立つとき、一番ふさわしいと望んだ姿だったのだ。


「トウサク……いや、一歩さん、ありがとう。あなたがいなかったら、ぼくはここまでこれなかった」


 そんなことはない。

 ぼくは何もしてない。

 感謝されるようなことなど、一つだって。

 ぼくらはただ、いつもあなたに頼りっきりで。


「この島に連れてこられたときは、もうだめかと思った。寂しくて、心細くて、死ぬんだって……でも、あなたがいた。あなたが、仲間になってくれた。誰でもよかった、目についた人を言いくるめようとした。けど、あなたは真摯にぼくと向き合ってくれた」


 だからと青年は言う。


「最後まで、甲斐田豪でいられた。あなたに、すくわれた」


 彼の身体が痙攣けいれんをはじめる。

 急激な失血によるショック。

 流出していく熱量。

 顔色は青ざめ、唇は紫になり。

 もはや……もはやその目は、何も見ていない。


 ただ、譫言うわごとのように。

 こう呟く。


「死にたく、ないなぁ」


 彼の双眸から、涙がこぼれた。

 次から次に、ボロボロと。

 表情筋を動かす体力すらないだろうに、それでも彼は悲痛に泣き続けて。


「やっと会えたんだ。ずっと探していたんだ。あのひとに謝って、ありがとうと言って、そして……また……肉を食べて……焼いて、貰って……」


 そうだ。

 そうしましょうよ。

 いまからでも遅くない。

 田代さんたちに追いついて。


「うん。それ、いいな。始まるんだ……ぼくの人生。ぜんぶ……これから……やっと――」


 両目から、完全に光が失せる。

 その身体が、ドッと重さを増し、二度と動かなくなった。


 死んだ。

 彼が、いまここで。

 恩人が、息を引き取った。


「…………」


 ぼくは、彼の身体を地面へと横たえる。

 そうして、空いたままになっていたまぶたを、そっと閉じさせて。


「……救われたのは、ぼくのほうです」


 トウサク。

 そう呼ばれることが、本当は辛かった。

 どうして自分だけ、理不尽な罵倒されるのか、全く納得できていなかった。

 けれどそのままじゃ生きていけないから、折り合いをつけた振りをして、飲み込んだ振りをして。

 死んだように、今日まで生きてきた。


 正直、この島で死んでもいいと初めは考えていたんだ。

 自分の作ったゲームで死ねるなら、本望だって。


「でも、違う」


 あなたがいたから。

 あなたが、トウサクという言葉の意味を、ずっと素敵な呼び名に変えてくれたから。

 だから、ぼくは。


「いま、初めて思いました。ぼくは――死にたくない。生きたいって!」


 彼のすぐ側に落ちていたライフルを拾い上げる。

 見遣れば、猪の残党が遠巻きにこちらを観察していた。

 あわよくば、死体を食らおうというのだろう。

 ぼくは銃口を空へと向けて、ありったけ撃ち尽くした。


 弔砲ちょうほう


 驚き、逃げ去っていく猪たち。

 墓標のように、ライフルを地面へと突き立てる。


「――――」


 なにを言えばいいか解らなかった。

 けれど、ぼくはもう、行かねばならない。

 だから……舞台を降りる役者へ、最大の賛辞を込めて、喝采を送る。

 万雷の拍手はなくとも。

 ただ、一言。


「おつかれさまでした。あなたはきっと、当世随一の役者です」


 走り出す。

 ジュラルミンケースを背負い、ピックアップポイントを目指して。


 生きるために、駆け出した。

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